死にも近い無気力
人は突然何もできなくなる時がある。
好きなことも嫌いないことも、生きることに必要なことも趣味のことも、なぜか突然すべてが出来なくなる瞬間がある。
例えばいつも仕方がなくやっていてできることならやりたくなかったことが出来なくなるならまだわかる。
だってそれはもともとやりたくなかったものであって、できることならばそれをやらずに生きていきたいと思っているのだから。
そういったものをやらずに生きていけるのであればそちらのほうが楽だし辛くないし楽しく過ごすことが出来るだろう。
こういった何かが出来なくなる時はたまにある。
例えば何かを作る仕事でいいアイデアが浮かばなくなる時はあるかもしれない。
それは自分の中でアイデアが浮かばなくなってしまっているのでしっかり休んで回復するしかない。
でもこの時だって本当に何もやりたくなくなるわけではない。
消費的な趣味ならやりたいと思えるし、ご飯だって食べたいと思うし、お風呂だって入りたいと思うだろう。
でも私が今回言っているのはそんな生易しいものではない。
何故かわからないけど猛烈になにもやる気が起きないのだ。
眠いわけでもない、疲れている気もしない、心が辛くなっているわけでもない、なぜか知らないけれども全く何に対してもやる気が起きないのだ。
恐ろしいことだ。
理由もわからずに人間として死んでしまっているのとほぼ同意義のようなこの現象、怖くないと言うほうが嘘になるだろう。
別に好きなことをしていいのだ、別に嫌なことをやる必要はないのだ、でも何もできないのだ。
すこししたらこの現象は治まることが多い。
でも、いつこの現象が恒久的なものになってしまうかわからないこと自体が恐ろしい。
そう考えてもこの現象は良いことではないと思う。
ただサボりたくて仕方がないほうがまだましだ!たださぼりたいだけならばある程度サボったら回復するだろうからね。
私は人間として死ぬ瞬間というものについて幾度となく考えたことがある。
それは生物的な死であったり、精神的な死であったり、人権がなくなった時であったり。
でも人間として死ぬというのはよく物語の表現であるように魂が死ぬというのが一番人間の死として私は受け入れられる。
この好きなことにすら無気力になってしまう感覚はその魂の死に近いような気がしてしまい、私はどうしても怖くて仕方がない。
私は今その疑似的な死から復活した。
それはもう恐ろしい体験だった。
なんで私は何もやりたくないんだろうと、何も考えられない頭でぐるぐるぐるぐると何度も考えた。
気が付いたら私はキーボードを叩いていた。
これはいいネタになると。
著:もはや一種の病気を疑われる者




