愚かな私の愚かな世界
いつだって時の流れは速すぎて、いつだって人間には時間が足りなくて、やりたいことだけやっていればいいわけではなく、自分の好きなことに充てれる時間は少ない。
人間には莫大な睡眠時間が必要で、人間には食事やお風呂の時間が必要で、他人と遊ぶためには他人に時間を合わせる時間が必要で、誰かに時間を合わせないと独りぼっちの時間を歩む必要が出てきてしまう。
人には平等に時間が流れているが、人が出せる速度は平等ではなく各個人にとっての限界速度というものが存在する。
要領のいい人はすべてにおいてある程度速い速度を維持し、様々なことにおいて余裕を持って行動ができる。
逆に要領がよくない人は自分の持てる時間を費やすことで要領のいいひとの少し下のスペックを発揮する。
誰しも優秀でありたいが、本当に優秀で要領のいいひとは人生が少し楽になるのは事実だろう。
自分が誰かと比べて話している以上、自分以上の人間と自分以下の人間がいるのは当然だろう。
だからこそ自分より要領の人を見て羨ましく思うのも、自分よりも要領の悪い人を見て憐れむのも人間にとって自然な話である。
人々がそのどちらに着目するかによって自己評価が変わってしまってめんどくさいのだが、自己評価が低くなってしまう人は上ばかり見ていて、自己評価が極端に高い人はしたばかり見ているかもしれない。
すべての人がこの条件に当てはまるとはつゆほども思わないが、大まかな指標ぐらいにはなるだろう。
私は自分が求めるスペックよりもだいぶ要領が悪く、自分の思い描いたことすら満足にこなすことはできない。
自分でも趣味ややりたいことが多い人間だということは重々承知しているつもりだ。
でも私にとってそれらは欠かすことのできない要素でそれらをあきらめることが出来ない。
割り切って自分が生きるための仕事だけに専念すればきっと私はほんの少し余裕のあるスペックになれると思うが、私はそんなに我慢強い人間ではなく、自分に時間がなくとも自分のやりたいことを優先したくなる人間なのだ。
そのくせ怠惰な人間でもあるがゆえに時間を有効活動できる時もまた少なく、余裕のある生活スタイルでないと生きていけないというなかなかにめんどくさい性質を持っている。
そんな私のような人間は常日頃から世界がやりたくないことをやらなくてもいい世界になることを願って生きているし、世界がそうなるように働きかけている。
世界中の誰しもが楽をしたいはずなのになぜか人類は楽になった時代に余計な仕事をつぎ込もうとするのだろうか?
やりたくないことを圧縮した世界があればその空いた時間に新しいやりたくないことをつぎ込まされる世界を私は愚かしいと常日頃から思う。
著:責任転嫁の得意な要領が悪き者




