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人間の本質はきれいごとであるのかずる賢さであるのか

理想が輝かしいのはいつでもどこでも同じことで、光に慣れていないものがその理想を嫌うのもいつでもどこでもそうである。

きれいごとはきれいごとであるが故に人々の理想となる。

しかし、それはきれいごとが故に黒いことが許されない。

完璧ではない我ら人類にとってそのきれいごとを実践することは難しく、故にきれいごとはきれいごとであり、それを実践しようと志す者は偽善者と呼ばれてしまう。

それは決して偽善者が正しいという証明にもならないが、努力して偽善者であろうとするものを馬鹿にする理由にはなりはしない。

確かに勢抱く併せ吞める人は世渡り上手と言えるだろう。

清濁併せのめる人間はきれいごとが好きな人とも話すことが出来、尚且つ心が闇に染まってしまった人とも話すことが出来る。

清濁併せのめる人はその力極端な人たちの懸け橋となることが出来るが故に、まとめ役としては清濁併せ呑むことが出来る人が適任と呼ばれるのだろう。

きれいごとを言う人は馬鹿なのであろうか?

きれいごとを言う人は何も考えていないのだろうか?

理想を語ることはそんなにも悪いことなのだろうか?

結論はいつまでたっても出ることはない。

なぜならそれは相反する要素が自分の理想の世界をかけて戦い続けているからだ。

きれいごとを実践しようとしている世界の住人は一人でもズルいことをしようとする人がいると仕組みがくるってしまうし、要領よく生きる人達の中できれいごとを話す人はいら立ちの対象となることだろう。

人間はきっとどちらの性質も持っている。

故に人間はきれいごとを前提として行動し、自分の利を多くしたいからこそずる賢く生きるのだ。

ずる賢い人はきれいごとを信じる人のほうが騙しやすいために未来の担い手をきれいごとの信者として育て上げる。

しかし、そのきれいごとの信者が自分たちの仲間になることは非常によろしくないと感じており、ずる賢く生きるように再教育をする。

きれいごとであふれる世界を目指していた人はたとえずる賢く生きるようになったとしてもきれいごとで成り立つ明るい世界にあこがれを抱き、そのきれいごとの世界を見ることによってお漏れの目を焼かれてしまう。

きれいごとを実践することは悪いことではないし、きれいごとを実践する人は高尚な考えを持っていると言えるだろう。

しかしながらきれいごとを実践するだけでは人間は生きていくことが難しく、楽なずる賢さに逃げてしまう。

別にそれが悪とは言わないが他人のきれいごとを否定する理由にはならない。

逆も然りである。

強くずる賢く生きる人にきれいごとを実践させたいのであればずる賢い人がそれを実践する理由に足る利益を与えればよいのだ。

きれいごとも結局は自分の気分が良いという理をとる行為ともとれるのでやはり人間はずる賢いのかもしれない。


著:愚直な未来の担い手


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