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我、仲間が要らない人はいないと信じる者也

ボッチな主人公が出てくる物語において真正のボッチはだれ一人おらず、真に社会不適合なものは中々に物語を描くことは難しいのである。

例えば親友の一人でも知れば真正のボッチではないし、だれ一人そんな人がいない人は少ない。

家族がいてもそれは真正のボッチとは言えず、まだ頼れる誰かがいるのだ。


真正のボッチとは友がだれ一人おらず、家族もいない。

社会で名声を持たず、誰にも知られない状態。

人間には本当に難しい状態が申請のボッチであると私は思う。


友達が少ないことをボッチといってもいいが、友がいないことだとは思ってはいけない。

仲間が少ないと心細く思うことがあるが、それを仲間がいないと勘違いをしてはいけない。

ただ、今は関わりが薄いだけで仲間は絶対にいるのだ。


でもまあ仲間が少ない人は仲間がいると気が付けなくなってしまうことが多々あるので、せっかく仲間だと思ってあげているのであればそれを伝えてあげるといいかもしれない。


ボッチだと自覚する者は自分にボッチであると自己暗示をしている。

自分はボッチである。

それゆえに友が少ないのは当たり前である。

だからこそ自分は強くあらねばならにと自己暗示をしているのだ。

ボッチは心の耐久度を一人でいることによっていつも常にぎりぎりにしてしまっている。

だからボッチは傷つきやすいのかもしれない。

普通の人よりも一人でいるという苦痛に耐え、その分心の耐久度をすり減らしているのかもしれない。

だからボッチの人にいつもと同じ乗りで話しかけるとその人を傷つけることになるのかもしれない。


普段自分が話しかけているのは心の耐久値が大きく残っている人であり、多少傷つく言い回しをしてしまっても相手の心は折れてしまいはしない。

でも心の耐久値が下がってしまっている人に対してそれはきっととどめを刺す行為に近いのかもしれない。


ボッチは自分が強くあるために心の耐久値を削って立っているが、別に仲間が欲しいわけじゃないわけないと思っている。

自分が傷つくような仲間が要らないだけで、仲間自体は欲しいのではないかと思う。

相手のことを考えてあげられる人のもとには相手のことを考えてあげられる人が集まるように、傷つくことが苦手な人の周りにはきっと傷つくことが苦手な人が集まってくるはずだ。

そうであるのであればあとは簡単だ。

これは小学校で聞いたことのある内容だとは思うが、「自分がされて嫌なことは人にしない」これができればきっと仲間ができることだろう。


私はそう自分に自己暗示をかける。


著:察知できない自分の仲間


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