楽への道には苦難のみ
人間は暮らしを楽にするために世界をよくしてきたはずなのに、今は昔よりも忙しくなってきているんじゃないかと錯覚するほどだ。
なぜ人間は人が楽に暮らせるための発明ができてもいつの間にかそれを当たり前ととらえてまた忙しい暮らしに戻してしまうのだろうか?
もしそれが人間の進化の所以だというのであれば仕方がないように思えなくもないが、これだけ大変な思いをして幸せになれないのはいささかつらいものがある。
何かをするには何かをしなければならず、自分のやりたいことを成す前に自分がやりたくないことをやらなければならないことがほとんどだ。
自分の考えが優先されるとはいえ自分の考えなんてものが適応される範囲は乏しく、周りからの影響というものは絶大である。
自分のやりたいことをやるだけだというのにだ。
自分のやりたいことだけやって生きていけるのならばそれに越したことはないし、せめて努力するなら自分のやりたいことで努力がしたい。
しかしながら現実的な考えとやらによると自分のやりたいことだけをやることはできなくて、自分がやりたくないことも何とかしてクリアしていかなければならない。
そしてすべてがまんべんなくできる人のほうが社会では重宝され、尖った性能の人間はその中でもより秀でていなければ役に立たないとされる。
世の中は強制させることが多いくせに自分たちに自由な選択をさせてくれることは少ない。
自由にはそれ相応の責任ってものが付いて回るが、その責任を取り続けてすべてが終わってしまうのであれば馬鹿馬鹿しいことこの上ない。
なぜ人は努力しなくても済むように世界を変えていくのに、その生まれ変わった世界でやりたくないと思える物を増やすのだろうか?
自分の仕事がなくなるから?
今まで通りのやり方以外分からないから?
働いていないといけないから?
いずれにしても今我々が自分のできる以上の努力をしないと苦しい思いをする世界であることに変わりはない。
例えば私が楽をしたいと思うがゆえに頑張って世界を動かしたとしても、少し時がたてばそれが当たり前となりまた忙しい世界へと戻ることだろう。
人類は不思議なことに楽を愛する種族でありながら、不思議なことに楽ではない世界を作り上げていってしまう。
革新的な技術も、よりスムーズに世界を回す法律も、お互いが気持ちよく生活するためのマナーもなぜか世界をよくすることはできていない。
どれだけ頑張ってもまた苦しい世界にも乗るのならば私はここいらでちょっと休憩をしようと思う。
著:生きるのに少し疲れた者




