人は反応が欲しい生き物
例えば一日に2回更新するWeb小説家がいたとして、その人の小説を更新ごとに読む人はいるだろうか?
いるかいないかで言えばいるのであろうけども、わざわざ毎回更新されてすぐに読める人ともいないだろう。
よほどその人の信者でいない限りそんな愉快な読み方をする人はいないだろう。
だからこそ作者は人が読みやすい時間を狙って更新するのだろう。
朝一に更新すれば通勤通学中に読みやすいだろうか?
夕方に更新すれば帰宅時間に更新できるだろうか?
両方とも更新すればいいのか?
読者のことを考え自分の作品がより読まれるように考えて時間を決まる。
作者の本文は文章を書くこと。
作者はその文章で読者を魅了しわざわざ読みたいと思わせる。
それをしてこその小説家というものだが、それができる小説家など多くはない。
いや、厳密に言えばそれができる人が限られているということだろうか?
魅了される人はその人の作風を好む人であって、すべての人がその文章に魅了されるわけではない。
もしすべての人を魅了できるような人物がいるのだとしたらその人は歴史に名前を残すことだろう。
まあそんな逸材がいるわけではないので作者たちはより読みやすい作品作りに尽力するのだ。
作者は読者の感想で創作意欲を増すことがあるが、感想がもらえる作者も一定の読者がいる人だけだ。
その人の作品が好きで、その人の作風が好きで、作者に気持ちを伝えたくてたまらない人が感想を書く。
レビューでもいいだろう。
レビューは辛口でも甘口でもレビューがかかれるということは作者にとって数少ないレスポンスだ。
読者が直接してくれるレスポンスはこのあたりだが、作者はその他でも自分の作品を振り返る。
例えば閲覧数であったり、ブックマークであったり、評価値であったり。
でもそれらは読者がくれたものというよりは作者がかき集めたものであるわけで、純粋にその作品の結果であるかと言われると悩ましいところだ。
私は自分でもそんなに感想を書くほうではないが気に入った作品はブックマークしたり、星を付けたり、ツイートをいいねをしたりする。
作者になってみるとそれだけでも死ぬほどうれしいことを理解したし、これからもほんの少しでいいから反応をしようと思った。
実はこれは小説だけに言えることではなく、自分の活動に対しての反応が欲しいというのはどこでも同じだ。
近年オンライン授業というものが普及してから教授や先生たちがやりづらくてしょうがないと言っているらしいが、それはこの反応が返ってこないことが原因だろう。
誰しも暖簾に腕押し豆腐に鎹なことをしたくはないだろう。
というかそんな状態で頑張れる人は少ない。
だからこそ読者は安直に作者を応援すべきなんだろう。
著:これからも安直に反応しようと思う一読者




