想い合う
いくら誰かのことを想っていても届かなければそれはただの独りよがりな恋。
いくら誰かのことを考えて行動しても理解されなければただの独りよがりな行動。
いくら誰かのことを理解してあげたとしても相手が理解されたことを知らなければ相手は未だ一人ぼっちのまま。
人の思いや行動は相手に伝わらなければ何の意味も持たない。
失礼言い過ぎた。
自分のためにしかならない。
もしあなたが誰かのために行動したいというのであれば、あなたは誰かのために行動したいと声高らかに宣言する必要があるし、その対象に伝える必要がある。
誰かを愛していたとしてそれを伝えなければその相手と恋愛をすることは叶わず、一人静かに恋心を抱え続けなければならない。
誰かから自分が何かをもらったと感じるならば、きっとそれをくれた相手がいるのだ。
どこからともなく何かが現れることはなく、いつもそれを送った誰かはいるのだ。
ただ自分がそれを認識していないだけで元々は誰かがあなたへ送ったナニカなのだ。
多くのものを持つ人間は何か些細なものをもらったとしてもそれに気が付くことは少ない。
だからこそ気が付けるほどのナニカをもらったのであれば、それの送り主を探してみるといい。
誰かが自分にナニカを送ったのであれば誰かはナニカを失っている。
恋愛とはお互いにナニカを送りあうことであるのであれば、自分がナニカを送り返してあげれば恋愛ができる。
自分がナニカを送りたいと思った相手がナニカを返してくれるのであれば、少なくともあなたを好意的に思ており、ナニカを返してくれる程度にはあなたの価値を認めているということだろう。
自分がナニカを送ることに夢中になって誰かからナニカをもらっていることに気が付けなくなっているなら、誰かの思いが無碍にされているということだ。
自分がナニカを受けとることに夢中になっていてナニカを送ることを忘れているのなら、誰かがそのナニカをもらえずに寂しい思いをしていることだろう。
想いは送られないのであればそれはさみしいし、思いは受け取られないのであればそれは悲しい。
自分の想いが受けられない時、自分が誰かの思いを受け取り忘れていないか思い出さなければならないし、自分が誰かからの想いを受け取ってるとき、自分が誰かに想いを送り忘れていない顔も出さなければならない。
誰かと想いを共にしたいのであれば、文字通り誰かと想いを共有しなければならないのだ。
応えはいつだって簡単でいて非常に難しい。
著:独りよがりな思想を持つ者




