余裕を捻出する
人間誰しも忘れ物の一つやふたつするだろう。
急いでいる時、逆に余裕がある時、いつもの同じ場所にある者がいつもの場所にない時、たまにしか使わないものを持って行く時。
それは自分の意識が離れた瞬間に起きてしまう悲しい事故だ。
例えば、毎日出かける前に忘れ物がないか確認している人が、その時偶然確認を怠ってうっかり忘れ物をしてしまうこともあるし、うっかり忘れ物を時々してしまう人がとても大事なものを忘れてしまうこともある。
そんな時余裕のない人は慌てふためき、次々と連鎖的にミスをしてしまうだろう。
ところが余裕のある人はまず落ち着き、その問題が解決可能かと考える。
そして多くの場合は解決可能であることが多い。
現代ではいろいろなものが過密になっており、余裕があることが少ない。
余裕とは有限であり、それすらもうまくやりくりしなければならない。
現代においてミスが致命傷につながりやすいのはこれが原因のような気もしてくる。
例えば余裕を持って通勤通学するとしよう。
その時、学生証や社員証を忘れてしまったり、宿題や大事時な書類を忘れてしまったり、そんな忘れ物があったとしよう。
余裕があれば取りに帰ることができるし、余裕があれば出かける前に気がつけるかもしれない。
でも、その余裕は自分が扱える余裕をどこからか捻出してきたものであって、どこからともなく無限に湧いて出る者ではない。
元々はただでさえ少ない睡眠時間に充てる予定だった者であったり、恋人や友人と楽しいひと時を過ごすためのものであったかもしれない。
まあ、自分の責任だと言われるのはそうであるのだが、それでも現代のあり方が人間に優しくないのは事実だろう。
忘れ物をしたことが許されるべきであるとかそんなことを言いたいわけではない。
許してくれるなら許して欲しいが、それこそ自分の責任なので許されなくても仕方がない。
私はこれまで無駄に長々と語ってきたが、実は伝えたいことは簡潔だったりする。
余裕を持っていた方がいいよ!この一言に尽きる。
まあ、ここまでこれを読んでくれた人にはこれを読むぐらいの余裕はあるらしい。
著:余裕があったことに感謝する者




