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自分の正義VS他人の正義

自分には自分の正義があり、他人には他人の正義がある。

これを当たり前と捉えられるか、捉えられないかでその人の正義が認められるか認められないかが変化することだろう。


例えば自分の正義は絶対的で揺らぐことがないという人がいるだろう。

まあそれはいい。

自分の考えに芯を持っていて、それを基準に物事を考えているということだ。

でも、その人が自分の正義は正しいのだからお前の正義は間違っていると他人を否定するのであれば、その自分の正義は間違っているかもしれないということが疑問として挙がってくることだろう。

自分の正義は正しい、ゆえにお前の正義は間違っている。

この考え方の人が二人いたとして、お互いがお互いの正義を間違っていると言う。

そうであるならばどちらかが間違った正義を掲げていることになるだろう。

であるならば絶対正しい正義というものが仮にあったとしても、自分の正義が絶対正しいことはかなり稀な例であることが分かる。


例えばその絶対的な正義というものがどこかに法典としてあって、どこの誰もがその正義は正しいと認めるようなものが実際にあるのであれば、絶対的な正義というものが存在するという証明になるだろう。

でも本当にそんなものがあるのであればどこの国もその絶対的な正義を取り入れた法律を作成することだろう。

でも現代においてそんなものは存在しない。

そもそも人間にとって絶対的な正義であったとしても、それが別の生物からしてみれば正義とは口が裂けても言えないものであるだろうけどね。


逆に自分の正義は自分にとって正しいものであるが、他人にも他人にとって正しい正義があるから、まあそのことも考慮してあげるべきだ!

そう考える人もいるだろう。

自分にとって正義があることは確かだ。

であるならば、自分と同じように相手にも正義があるだろう。

これおそらく正しいと思われる。

でもこれではきっと自分の信じる正義はあるが、自分の正義にのっとって行動しても自分が悪である可能性は否めない。

つまりはどれだけ自分の正義を信じて行動できるか、そしてその正義の行く末の責任をとれるかという話になる。


つまり絶対的な正義というものは存在しないし、正義というものも実は存在しないのだ。

それでも人間は正義というものがあってほしいと願う。

自分の信じる正義とはきっと信念というのだろう。


自分の行動が正しいという保証が欲しいし、信じてすがるものが欲しい。

そしてそれは自分でわざわざ作ったものを信じるだけでは足りず、それが絶対に正しいと誤認して心の平穏を保とうとしてしまうのだ。


自分の信じる正義、つまり信念。

しかもその信念は絶対的な保証がない。

それでも信念を貫ける人はきっとすごい人間であるだろうし、限りなく正義に近い人間と呼べるだろう。

勿論その信念を貫いた結果まで責任を持てる人がね。


著:グネグネ曲がる信念を持つ者


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