愛する前提条件
自分に自信のある人は自分が好きになった人に告白をすることが出来るだろう。
それは相手を幸せにできるという根拠のない自信からできる行為であり、僕のような人間が持たないものである。
優秀な人間に愛されることが必ずしも幸せなこととは言わないが、優秀な人に愛されるということはうれしいことだと僕は思う。
例えばたくさんお金を稼げる人は優秀だと思うし、体力のある人も優秀だろう。
賢い人もきっと優秀だし、見目麗しい人もある意味優秀だろう。
僕はどうだろうか?
僕はお金を稼ぐような年齢ではないからとりあえずどれだけ稼げるかは未知数だ。
よく言えば可能性の塊、悪く言えば稼ぎのないただの小僧。
つまり稼ぎの面で言えば僕は優秀とは言えない。
次だ、僕は体力がないわけではないが筋力などはほとんどないと言ってもいいだろう。
つまり体力の面で見ても僕は優秀とは言えない。
次だ、僕は賢いかと聞かれれば判断に苦しむと返事をする。
苦手な教科は壊滅的なまでに苦手だし、得意な教科はかなりできるほうだとは思うが、全国一位というわけではない。
つまり僕は賢さの面から見ても優秀とは言えない。
次だ、僕は見目麗しいかと聞かれたらそんなことはないと答えなければならない。
不細工とは言い切れないし、清潔感を保っていないわけではない。
でも絶対に見目麗しいとは言えないだろう。
つまり僕は用紙の面で見ても優秀とは言えない。
優秀な人に愛されているということは優越感を覚えるという人がいる。
つまりは優秀な人に愛されるということはメリットになるということだ。
であるならば優秀な人が誰かを愛することは誰かを幸せにするということのように思える。
では逆に優秀でない人に愛されることはメリットになりえるだろうか?
僕個人としては僕を愛してくれる人がいることが嬉しくて仕方がないが、これはあくまでも個人の意見・感想であり、ほかの人にこの価値観を押し付けることは僕の流儀に反する。
誰かに愛されることがメリットしかないのであれば世間でよく耳にする数々の言葉を聞くことはないだろう。
例えば、「ただしイケメンに限る。」「ストーカー。」「いきなり告白してきて気持ちが悪い。」「彼らって釣り合ってないよね。」とか。
優秀でもない人に愛されるとデメリットを受ける人がいるのだ。
それは紛れもない事実だろう。
そうでなければこれらの言葉はこの世で聞くことはないだろう。
だから僕は自分によく言い聞かせる。
僕が優秀でない限り誰かを傷つけないために僕は誰かを好きになってはいけない。
親愛程度ならいい、でも恋愛はいけない。
博愛の精神は素晴らしが恋愛は持ってはいけない。
僕が愛していいのは僕を愛してくれる人だけだ。
僕はそう自分に言い聞かせることで僕が臆病なことを隠す。
だからここで聞いたことは内緒にしておいてほしい。
著:優しい人の皮をかぶった臆病な人




