褒められたい
子供の頃、何かに成功したらすぐにでも親に見せに行ったことだろう。
ねえお母さん!きれいに折り紙折れたよ!
ねえお父さん見てよ!僕はこんなにも複雑なパズルが解けたよ!
純粋無垢でかわいらしい一場面であることだろう。
人間年をとってもそんなに変わらないようで、いい文章が書けたらみんなに見せたくなる。
カッコいい絵が描けたらみんなに見せたくなる。
あわよくば褒めたほしいと思っている。
年齢という面に目をつむれば子供の頃と今はそんなに変わっていないような気がする。
いつからだろうか?
褒めたほしくて誰かに見せに言ったのに、出来て当たり前と言われたのは。
見せに行ってもほめてもらえなくなる。
出来て当たり前と言われる。
むしろなんで出来ないのかと聞かれる。
年を重ねるごとにそんなことを言われるようになる。
生まれた時はみんな何もできない。
子供の頃はでいないことが多い。
若いならまだできないこともあって当然だろう。
おまえの年でこんなこともできないの?
まあその年でならもうできないか。
年齢によって出来ることできないことを判断される。
人間出来て当たり前のことなんてほとんどないはずなのに、出来て当たり前のことというものがこの世の中にはあふれている。
いや、実際無茶をすればできないことなんてほとんどない。
死ぬ気で努力をすれば何とかなることも多いかもしれない。
でも頑張りすぎたら死んでしまう。
出来て当たり前が努力をすればたどり着ける領域にあるのならば、出来て当たり前のことが出来る人間になるためには努力を必ずしなければならない。
もし、その出来て当たり前の努力が死ぬほど努力しなければならに領域にあるのであれば、出来て当たり前のことが出来る人間になるためには死ぬほど努力しなければならない。
でも、それが出来ても褒められることはない。
だって、出来て当たり前のことなのだから。
私は常々褒められたい!認められたい!そう思う人間である。
出来て当たり前のことなんてほとんどないことも知っているつもりである。
自分が褒められたいのであればとりあえず相手を褒めるべきであるかもしれない。
世界の常識がみんな気軽にほめあうことが出来て当たり前になれば私は幸せだ。
だから私は最後にこの言葉を読者に送る。
読んでくれてありがとう。
最後まで読めたあなたはきっとえらい。
著:褒められたい人間




