何となく数字に頼ってみる
数字が大きいということは力があるということだ。
現代はその数字がより可視化され、数字の大きさによる力がより力を増しているように感じる。
現代は数字が可視化されたことにより数字の持つ力が大きくなったと言ったが、別に昔は数字が力を持たなかったというわけではない。
ただ、数字が可視化されておらず分かりづらかっただけだ。
例えば、お金をいっぱい稼ぐ人は優秀であるとたぶん言える。
それはお金を数字として見て、いっぱい稼ぐ人は優秀と理解できるからだ。
物々交換の時代は取れたものの量や質できっと優秀さは決まっていた。
ただ、昔はそれらを数字としてあらわすことができていなかっただけで、現代ではきっとそれらを数字で表すことができるだろう。
例えば体力測定。
あれは人間の運動能力を数字にしたものであり、より良い数字が出ている人間のほうがより高い身体能力を持っているということである。
現代においてSNSのフォロワー数が多い人が影響力を持つ人間だということは否定できない。
逆にSNSをやっていないけれども影響力のある人だっている。
それはただ同じ数字で比べることができていないだけで、影響力をそのまま数字にしたものがあればきっとそれらの差を比べられることだろう。
稀にSNSでのフォロワー数が多いから私は優秀なのだというような理論をかざしている人がいる。
確かにSNSのフォロワー数が多い人は優秀な人である場合もあるが、SNSのフォロワー数が多い人はSNSのフォロワー数を多くできる能力があることは確実だが、優秀な人間であるかは少し悩ましいところだ。
例えば、SNSのフォロワー数を増やす能力が高いことを優秀な人と呼ぶのであれば、SNSのフォロワー数が多い人は間違いなく優秀な人だろう。
逆にSNSのフォロワー数を増やす能力が高いことを優秀な人と呼ばないのであれば、SNSのフォロワー数が多い人を優秀な人とは断言できないだろう。
ここで間違えてはいけないのは優秀な人と断言できないだけであって、決して優秀な人ではないという証明ではない。
むしろ、SNSのフォロワー数を稼ぐという能力は確実にあるのだから。
それが何の役に立つのだ!と気になる人もいるだろう、ちなみに私には分からない。
でもきっと無駄な行為ではない。
数字というものは結局使いようであり、必要な時に必要な数字が必要なのだ。
年齢という数字を重ねている人には若い人を必要としているところに必要とされることはないが、年齢という数字を重ねている人が必要なところがあればその人はきっと必要とされるだろう。
結局はその数字が必要なところがあればいいだけなのである。
数字は多ければ多いほどいいとは言わないが、積み重ねた数字が大きければ大きいほど何かしらの力は大きいということである。
例えば小説家が多くの本を出し、多くの話数を公開し、多くの文字数を書いていれば、きっとその人は大きな力を持っている。
だからもし、なりたいものがあるのであればそれに必要な数字を積み重ねておかなければいけない。
著:数学が苦手な感覚派の人




