自分の根幹
自分の中からアイデアが無限に湧き出し、そのアイデアは綺麗に纏まった言葉として口から出せて、手はその言葉を読みやすい文章として練り上げる。
それができればどんなにいいことか。
良い作品を読むことで、物語の運び方を理解し、面白い作品から良いネタをひらめき、賢い人の書いた作品から良いロジックを学ぶ。
それができたらどんなにいいことか。
人が読んでみたいと思えるあらすじを書き、人の目を引くタイトルを付け、多くの人に知ってもらえるように宣伝をする。
それはできたらどんなにいいことか。
自分の作る作品で誰かを楽しませ、自分の作品で誰かを感動させ、挙げ句の果てに自分の作品で自分を養えるようになる。
それができればどんなにいいことか。
自分がなりたいものはなんとなくわかる。
自分がやりたいこともなんとなくわかる。
でもそれを現実にする力が足りない。
でもそれを現実にする努力が足りない。
でもそれを頑張るモチベーションが足りない。
やりたい目標は口から零れ落ちる。
やれない言い訳も口から零れ落ちる。
理想を叶える為に必死に手を伸ばす。
でも掴める成果はほんの少し。
やりたいから心を震わせ、やめないように踏みとどまる。
自分の目顔を叶える人は自分であり、それを応援するのも自分である。
人からの応援も確かに力となるが、究極的に自分の力の源は自分である。
だから私は今日も諦めない為に努力する。
私はきっと着実に力をつけている。
昔よりも多くのアイデアが浮かぶ。
昔よりも比較的綺麗に言葉がまとまる。
昔よりも長く文章が書ける。
これはきっと大きな進歩だろう。
逆にまだできないこともいっぱいある。
宣伝は下手くそで。
長文を完結させることが苦手で。
なによりもモチベーションを保つことができない。
それらもいつかできるようになるだろう。
私はそう雑に考える。
自分が今どれくらい最初よりできるようになったのか、そんなものは読者には関係がない。
読者は面白い作品を待っているだけである。
結果がなければ読者はついてこない。
結果がなければ読者は作者を知ることはない。
全ては何かができるようになれば、その次ができるようになっている必要があるだけだ。
進歩のないものにどうやって期待ができようか?
結果を出さないものに期待をし続ける狂酔な人はどれだけいるだろうか?
ただ、一つわかるのは読んでくれる人がいるということは嬉しいことだ。
読んでくれている人はほんの少しぐらいは期待をしてくれているのだろう。
その期待に私は応えたいと思う。
始めた時とは頑張る理由が変わってしまったかもしれない。
でもきっとそれでいいはずだ。
自分の作品を作りたい欲よりも、読者の期待に応えたいそう自分が思うようになっただけだ。
ここでやってはいけないのは多くの人に読まれるようになる為に宣伝をすることではない。
自分の根幹は作品が作りたいというものでなければならない。
多くの人が面白いと思える作品を作ろうとすることはいい。
むしろ素晴らしい!
それはきっといい作品になっているだけであるから。
考えを広がるだけ広げることはいい。
悪いことではない。
でも最後をきちんと閉めなければそれはただのメモとなんら変わらない。
故に、書き散らした後に結論を考える。
私は時折自分の根幹を見直す。
多少ぶれていることはよくあることだ。
でもふとした時に自分の土台が揺らいでいることはよくない。
だから確認をする。
揺らぎ続ける自分の揺るがない意志の揺らぎ具合を。
きっとそれが私の未来を支える。




