始めと迫害
始まりと迫害はいつもともにある。
何かを始めようとするとき、それは新しいものであるがゆえに未知の存在である。
愚かな人類は未知を恐れ、それを排斥しようとする。
だから何かを始める時それらは迫害を受ける。
今私たちが便利だと思って使っている者も多くは迫害を乗り切ってこの世界に普及している。
特に迫害もなく世間に普及したものなんてほとんどない。
物事は始まりが重要だ。
始まりが順調であれば軌道に乗りやすい。
始まりが順調であれば仲間が集まりやすい。
なのに人間は未知を嫌う故にその始まりを排斥しようとしてしまう。
自分が何かを始めるときは邪魔をしないでほしいと思うし、うまくいってほしいと思う。
自分だけそう望むのか?
誰しも自分だけは助かりたいし、楽をしたいだろう。
そしてそれは当然の欲求だろう。
でもだ。
なぜ無駄な力を発揮してまで人を否定するのだろうか?
他人のことを否定しないと死んでしまうのだろうか?
他人のことを否定しないと何かデメリットがあるのだろうか?
始まりが迫害されるのはそういった悪意との戦いも多いだろう。
未来のものは過去の場所をもらうことで表舞台へ立てる。
過去が自分の場所を守るためにはどうしても未来に場所を譲れないのだろう。
きっと自己保身。
正しさや論理性では考えない。
だって譲りたくないのだから。
未来をつかむためには過去を倒すしかないのだろう。
過去は自分の場所を守るために未来を迫害する。
未来は場所を得るために過去を押しのける。
始まりが大変なのはこの戦争があるからだろう。
何かを始める人がすごいと言われるのはこの戦いへ挑むからだろう。




