時の流れと向き合う
なぜ人間は過去ばかり見たくなってしまうのだろうか?
未来志向という言葉もあるし、前を向いてあるこうなんて表現されることもある。
物語の主人公たちはみんな前を向いて歩んでいく。
だが現実に生きる我々は過去に安らぎを求める。
未来には希望がある、未知がある、そして進むべき道がある。
人々は希望に胸を躍らせ、希望の光に魅せられて未来へ歩みを進める。
人々は未知に恐れながらも自分たちの探究心を燃やし、前へと突き進んでいく。
未来とは明るく楽しいもののはずだ。
私は今までそう信じることで頑張ってきた。
過去は変わることがない。
過去にあったことはもうただの事実でしかなく、不変的な存在だ。
人々はその不変性に安らぎを覚える。
何も変わらない、だから無理に頑張ることはない。
頑張りすぎて疲れてしまった人を癒すのは過去の仕事なのだろう。
しかし過去に囚われてはいけない。
過去に囚われてしまうと未来へ進むことができず、後はただ朽ち果てるのみとなってしまうだろう。
安らぎを覚える時、人間はもしかしたら己の時間の流れを緩やかにしているのかもしれない。
だから安らいでいるときの体感時間はいつもより少しだけ長いのかもしれない。
逆に何かに集中している時は、己の時間を加速させているのかもしれない。
だからこそいつの間にか時間が通り過ぎているのだろう。
こう聞くと未来を見る人は生き急ぎ、過去に囚われるとゆっくりと朽ち果てていくのだと感じてしまう。
どうやら人間は己の時間を増減させることが出来るらしい。
最近は友人と時間を合わせることが難しいと感じていたが、もしかしたらこれが原因かもしれない。
己に流れる時間とともに流れる時間が少しずつずれていってしまうのだろう。
そばにいる人とはお互いの時間を共有できていると私は思う。
だからこそ世の恋人たちは自家に合いお互いの時間を共有するのだろう。
私も友人と同じ時間を生きたいものだ。
彼らといると私の時間はどんどん早くなる。
きっと楽しいからだ!
ともたちの時間の流れは早い。
だから私は今日も生き急ぐ。




