消えゆくものの今
私が新聞から情報を得なくなったのはいつからだろうか?
テレビ番組の番組表がテレビで見られるようになってからだろうか?
4コマ漫画を読まない年齢になったからだろうか?
広告だらけで見るものが無くなったからだろうか?
事実の報道ではなくなってきたからだろうか?
SNSが発達してみんながSNSで情報を収集するようになったからだろうか?
電子媒体の方が楽だからだろうか?
おそらく全て当てはまるだろう。
新聞は確かに必要なものだった。
人々は新聞で情報を入手し、新聞の情報を信用していた。
だが新聞は時代に取り残された。
今思い返してみると新聞には傲慢なところがあったかもしれない。
ぽっと出のSNSなんかに遅れをとるなんて思ってもいなかっただろう。
私は新聞のことを忘れない。
かつて新聞という存在がいたことを。
かつて新聞という存在は人々の情報源の一つだったことを。
きっとこれから新聞のように時代にそぐわないという理由で表舞台から姿を消すものがいくつも現れるだろう。
人も物も変わらない。
私は今表舞台へ立っている。
新聞は表舞台から姿を消した。
私もいずれそうなるだろう。
まだ先の話だ。
でもいつか絶対その時は来る。
その時になんと言われて消えゆくのだろうか?
華々しく表舞台から降りられるだろうか?
無様には消えたくない。
みんなに見送られる必要はない。
ただ、愛してくれた人がいてその人たちに何かを残して表舞台から降りたい。
そんなふうに終わりが始まる前に終わりのことを考え始めてしまう。
何かの終わりについて考え始めるとどうしても終わりについて考え始めてしまう。
世間ではきっとこれのことをネガティブと呼ぶのだろう。
それは私の目指す先ではない。
終わりのことなんて終わりが来てから考えればいいのだ。
幸い時間はいっぱいある。
今日も余計なことばかり考えていこう。




