盗むと真似る
人のものを盗むのは悪いことだ。
人の真似をするのは悪いことではない。
これを念頭において今日の話を読んでみて欲しい。
人のものを盗むことは悪いことだ。
ほとんどに人はこう言った意識を持っていることだろう。
創作の世界には盗作という言葉がある。
文字通り創作物を盗むことだ。
これは実に判断に苦しむ盗みなのだ。
例えば泥棒が宝石を盗んだとしよう。
未会計の宝石を店外へ持ち出したのであればそれはほぼ間違いなく窃盗だろう。
そう、ものがあれば分かりやすいのだ。
創作物だって物体はあるが今回盗まれたものは物的なものではない。
近年SNSで無断転載禁止や自作発言禁止といった文言を多々見かける。
無断転載は悩ましいところはあるかもしれないが、自作発言禁止は問題しかないことがわかるだろう。
人の作品を自分が作ったと曰うのだ!これを盗作と言わずとしてなんとする!
無断転載も問題がないわけでは全くない。
誰が作ったと明言させないで投稿して、あたかも自分が投稿したかのように見せる行為だ。
これは自作発言と変わらないだろう。
今述べた二つは悪意がある人がやる行為だ。
では、悪意なく無断転載をしてしまった人はどうだろうか?
許されるべきだろうか?
確かに悪意がなかったのであれば許されてもいいかもしれない。
だがその人がそういった問題に気が付けなかったということも事実である。
その人に非がなかったとは言えないだろう。
作者がわざわざこんなにくだらない自衛をしているという事実に私は悲しくなる。
しかし話はここで終わらない。
過去から現代に至るまでに人々は先人から様々なことを学んできた。
表現技法であったり、発想であったり、歴史であったり。
作品を作る時も参考資料があったりするだろう。
発想の元になった作品だってあるだろう。
これだけ多くの作品が生み出されたら全く何にも似ていない作品の方が珍しいくらいだ。
奇跡的に主人公の名前が同じ作品、奇跡的に技が似ている作品、書き方が似ている作品。
どれも生まれてきても必然である。
これらの作品たちをやれパクリだ、やれ盗作だと騒ぎ立てる人がいる。
全くもって嘆かわしい。
彼らは作品を盗んだのだろうか?
どちらかといったら表現技法を見て盗んだ。
つまり表現技法を学んだのだ。
これらの判断は匙加減次第で変わってくる。
ただ、そこに良心の呵責を覚えるようなら、なるべく似させないように描くだけであるし、そう思っている人はほぼその匙加減を間違えない。
私はクリエイターが楽しく創作できることを願う。




