必要とされる努力
自分に求められているものは何だろう?
こういった疑問は生きていくうえで幾度となく出会う疑問であると思う。
人に必要とされたいと思うのはよくあることだと思う。
だが時々人はそれを見失っているように感じる。
でも見失っているだけで、もしくは見ないようにしているだけで思いのほか人は必要とされているのだ。
世間一般で言う人に必要とされるという意味は、きっと自分が人の役に立ちたいと思っているジャンルで必要とされたい!ということだと私は思う。
考えてみて欲しい、人に必要とされるだけならただ相手にとって都合のいい存在となれば、相手はいくらでもあなたのことを必要とするだろう。
何をしなくてもお金をくれる存在、何を言わなくても家事をしてくれるぞんざい、何を言っても自分の欲を満たしてくれる存在。
私だってそんな便利な存在がいたら欲しいと思ってしまう。
だがそうではないのだ。
人には自分がやりたいことがあるし、人にはやってほしいことがある。
楽なことは自分がやりたいし、つらいことは他人にやってもらいたいのだ。
都合のいい存在とはおそらく誰もが必要とするだろう。
だから自分に価値を手早くつけたいのであれば、だれもやりたがらない面倒なことをやればいいのである。
自分がやりたいことで必要とされるには秀でた部分を示せばいいのである。
誰かより価値があることを示せばいいのである。
ここまで聞けば賢い人ならもうわかるだろう。
結局世間一般で言われていることは比較的正しいのである。
だがそんなことは知ったことじゃない!
楽がしたいし、辛いことはしたくない!
やりたいことがやりたいし、人に必要とされたい!
だから今日も渋々努力するのだろう。




