1話
笑いは実の青いうちに摘んではならない
-古代ギリシャ哲学者 プラトン-
「はあはあはあ…」
床と上履きが素早く擦り合って、誰もいない廊下に鋭い音が響き渡ってる。
家からずっと走りっぱなしのあたしの太ももは限界を超えて、
少しでも止まれば生まれたての子鹿のように震えるかも。
しまいに口の中は鉄の味が広がってる。
「待たせたなっ」
教室のドアを勢いよく開け、肩で息をしているあたしを
先生とクラス全員がまたかと言わんばかりの顔で見ている。
その視線達から逃げるように苦笑いで視線を先生に向ける。
「おー、待ちくたびれたわ、はい、この問題解き〜」
「す…す…すいません…代わりに佐々木くんが解いてくれるそうですっ!」
あたしに向けられていた全目線が佐々木くんに向けられる。
彼は後ろから2列目に座っているけど
冷めた顔であたしを見てるのが分かった。
「来て早々むちゃぶりえぐいな、自分で解けよ」
「え!あたしら、べすとふれんどやん!」
「いやいや発音おわってんな、Best friendやから」
「うわ、きも、もっと他に極める事あるやろ」
あたし達のやり取りに教室がクスクス笑う声がで包まれる。
その笑い声を打ち消すように、手を叩きながら先生が間に入ってくる。
「佐藤、ウケてへんからそのへんにして座らんかい」
「え~?さっきのボケだめですか?」
クラス中がもうええってと一斉につっこむ。
そう言いながら、みんなさっきより笑ってるけど。
あたしの日常はこんなもんや。
「こよみ、お前どないすんの」
「ん?分かるように話して?」
「いや、分かってるくせに。高校卒業したら、どないすんの」
「あー!皆その話!こっちゃんまでやめて〜や!」
あたしが最近1番苦手な話し。
考えんようにしてたのに。
耳を塞ぐ素振りをするけど
佐々木浩介こと、こっちゃんはお構いなしに続ける。
「いや真剣に、もうすぐ高3やで?進学か就職かは考えーや」
「うん…そーゆーこっちゃんは?」
「俺は東京の大学いくよ、ずっと言うてるやん」
少し不機嫌そうにそうつぶやくと、ポケットに手を突っ込んだ。
こっちゃんは背が高くてスタイルも良い、大きくないけど奥二重で綺麗な目。
頭の回転が早いから何を話しても面白いし
あたし達は高校から出会ったから、よく知らんけど
中学時代からみんなのツッコミ役で人気者やったらしい。
それは今も変わらんけど。
「あぁ…あなた無駄に頭ええもんな」
「まあな?」
「…あえて突っ込まんとく」
「突っ込めや!俺滑ってるみたいやんけ!」
「滑ってますよ!」
こっちゃんは素早く後ろに回り
抱きつくみたいに首を締めてきた。
離せ~!と腕に手をかけるけど、鍛えてもいないのにたくましい彼の腕は固かった。
「くっ苦しい!しぬしぬ!…佐々木ファンに見られてたら炎上するから!」
「またそれかよ!ほんまにやめてくれ!」
そう言うと首の締め付けから解放された。
「なんでよ!ええことやん!もうすぐ1年生入ってくるし、もっとモテるんちゃう?」
「興味ない。あいつら俺が体育の時、授業聞かずに俺見てるらしいねん…見張られてる気しかせん!俺は囚人か!」
うん。知ってる。
隣のクラスの中島さんがそうやったっけ。
てか、他のクラスほぼそうやったっけ。
お気の毒に。
あたしはそーゆーことに興味ないから気持ちが分からん。
「こっちゃんは、好きな人おらんの?彼女作らんの?」
「そんなん考えたことない!今は受験のことで精一杯や~」
中学の時一度だけ付き合ったことがあるって、噂で聞いたことを思い出した。
あたしはおもしろがって話そうとするけど、こっちゃんはいつも露骨に恋愛話を避けたがる。
「えー、なにそれ、絶対誤魔化しとぉ!」
「まあまあ…てか、いっつも俺と一緒に帰ってるお前は大丈夫なん?」
「大丈夫…みんな寄り道してるやろうし、あたしらめっちゃ仲良しやん?」
あ、その顔で見るのやめてよ。
この話したらいっつもその顔や。
「…おばさん、相変わらず?」
「ん~…でも最近マシになったかな?」
考えるふりをしながら目線を他に向けて
少しでも気まずい空気を誤魔化した。
「周りからいろいろ誘われるんちゃうの?」
「あたしを誘ってもどうせ断られるやろなって、みんな誘ってけーへんねん」
「そうか」
そう呟いたあと
靴のつま先ばかり見るあたしを気にして
こっちゃんは家に着くまで違う話をしてくれた。
「ただいま~」
「おかえり、ご飯出来てるよ」
「うん、着替えてくるわ」
うちはすごいお母さんが厳しい。
寄り道あかん、お泊まりあかん、休みの日は遊びに行けるけど
門限めっちゃ早いから友達に気遣わせる。
逆に何はええねん?
家におるのがすごく窮屈。
ずっと部屋に引きこもりたいくらい。
うちの母親はすごく厳しくて、非行に走らんかった自分を褒めてあげたいくらい。
いつからか、あたしこの家の子供に向いてないんじゃないかと
思ったり、思わなかったり。
母の機嫌に合わせるのがいつの間にかしんどく感じていた。
「はぁ………」
いつまでこんな日が続くんやろう。
あたしが変わらなあかんの?