春の彼(ひと)
私はここから出られないの。
ここが私の生きていられる場所なの。
窓からは綺麗な花が見えるけれども、その花の匂いを嗅ぎに行くことは出来ないの。
でも、それを不幸だと私は思ってないの。
むしろ、幸福だって。
だって、その香りを私は想像して楽しむことが出来るもの。
実際にその花の香りを嗅いでみて、もしも最悪な香りだったらせっかくの見た目が台無しじゃない?
だから、思いっきり甘い香りだと思ってみるの。
そうするとね、ちょっと甘い恋の話でも想像したくなるでしょう?
私はねこんな妄想をいつも思い浮かべているの。
草花の中で私は佇んでいるの、心地よい風にさらされて甘い花の香りを満喫し、草花の妖精たちと会話を楽しんでいると、少し離れていたところにいた花の妖精がふわふわと私の周りに集まってきて、
「あっちを見てごらん。」、「あっちを見てごらん。」
って耳元で囁くの、花の妖精の言葉に従って彼らが指さす方を見れば、白い花が咲く木があって、その木の下で本を読んでいる若い男性がいるの。
少年のような雰囲気を纏った男性なの。
ベタだって?いいのよ妄想だもん。
そう言うべたな事って女の子は好きじゃないっ。
私は思わずじっと見入ってしまうの。
なぜか音をたてる事すらはばかれる感じがして、息を殺して見入ってしまったの。
そのヒトの容姿は髪はサラサラで耳辺りで整えてあって、ツンと尖った鼻にちょっと切れ長の目、唇は上唇が少し薄めで、下唇はいい感じの膨らみと大きさ。身体は華奢な感じはするけど、やせすぎてなく白シャツの長袖から出ている手は大きめで指の節目がはっきりとした細く長い手。
手だけみてると、ピアニストかしらって思うくらいの大きさの手。
座ってるから背の高さはよく分からないけど、こげ茶色のズボンをはいた脚は上半身より長いように見える。
いわゆるイケメンという部類に入る男性。
あんまり綺麗なので、とうとう大きなため息が出てしまったの。
ため息とともに、声が一緒に出てしまったのか彼がこちらに気が付いて、顔を向けたの。
彼はちょっと驚いたような、戸惑ったような表情を浮かべた後に、ニッコリと笑顔を寄こしてくれたの。
私の心臓はそれだけでドキンッって跳ねて、ぎこちない笑顔で会釈をしたの。
「ねぇ君、そこで何してるの?」
彼は突然私に声をかけてくれたの、私がそれを待ち望んでいたことを知っていたかのように。
でも、私はなんて返事していいかわからなくて、彼の顔を見たまま立ち尽くしていると、彼が笑顔で
「おしゃべりでもしない?こっちにおいでよ。桜の花も綺麗だし、一緒に木の下でピクニック」
彼が座っているレジャーシートの開いてる部分をポンポンと叩いて、私を手招きしたの。
私は彼の魔法にかかったかのように、返事もしないで彼の方に歩き出したの。
私の周りにいる花の妖精さんたちは、
「恋の予感」、「恋の予感」、「素敵な人」、「楽しんで」
と温かい言葉を私にかけてきたの。
その妖精さんたちの声に後押しされるかのように、私は彼の側まで来て、
「あの・・いいんですか?誰かと待ち合わせじゃないんですか?」
やっと声に出せた言葉はこんなアホな言葉、もっと気の利いた話しかけ方ってありそうなのに、私の経験ではこれが精一杯。
「んふふ。特に誰とも待ち合わせてないよ。強いて言えばこの木かな?この綺麗な桜の花が咲いた頃にまたここに来るからって、去年この木に約束をしたんだよ。だから温かいコーヒーをポットに入れて、本を持って、この木と共にここで過ごすことが今日の僕の一日の予定。」
柔らかい彼の声に心の奥からふんわりほんわりとしてくるの。
「君は、何をしてたの?さっきも聞いたけど。だってさ、ずっとあそこで一人で立ったり座ったりしてたでしょ?不思議な子だなぁって思ってみてたんだけど、声かけたらダメかなって思ってたから声かけずにここで本を読んでたんだけど、たまたま君の大きなため息が聞こえたから顔を上げて君の方をみたら、君がこっちを見ていたんだ。せっかくのチャンスだから話かけてみたんだけど。」
ニッコリとまた笑顔で、私を見上げて話しながらおいでと言わんばかりに手を伸ばしてきたの。
「どうぞ、初めて会ったのになぜ?って顔をしてるよ。いいじゃない、初めましてでも。レジャーシートに座るくらいは、公園のベンチで知らない人同士が隣に座るのとたいして変わらないよ。」
いやいや、それは違います。
初めまして同志が一枚のレジャーシートに座るのは、大学の新人歓迎会とか、社会人の新社会人歓迎会を兼ねた花見ぐらいなものでしょう。
って自分でも思うけど、彼の柔らかな声と笑顔には逆らえなくて、彼の伸ばした手に自分の手を自然と重ねてしまったの。
「初めまして、ようこそ僕のレジャーシートの上に。僕の名前は、馨君は?」
「初めまして・・、華風です。華の風と書いてハルカゼです。」
「んふふ。二人の名前を合わせると、ハルカゼカオルだね~。」
「えっ、なぜ?」
「僕の名前は、音はケイだけど漢字では、カオルとも読めるんだよ。それも香しい香りっていう意味の漢字。だから、二人の名前合わせれば、ハルカゼカオルで春の花のいい香りがしてきそうだね~。」
ほわーんとしたトーンの柔らかな声が心地よくて、彼の方から柔らかくて温かくて甘いような香りがしてきそうな感じがしてくるの、私はその甘い香りと風に惹かれ誘われて舞い降りた蝶の様な気分。
不意に彼の指が私の頬に触れて、ビクッと体を竦めたら、
「髪の毛が、口に入りそうだったから。驚かせてごめん綺麗な髪だね触っていい?。ねぇえ、さっきの質問の答え、教えてくれる。」
そう言って、真っすぐに私の顔を見てくるの。
私の顔に触れた手はそのまま私の髪を梳いて頭を優しく撫でるように触れてくる、不思議と心地よい気分なり、綺麗な顔と優しい眼差しに促されるように答えたの。
「えっと、花を見てたの。おかしいと思われるかもしれないけど・・・、草花の妖精たちとお話ししていたの。今日は綺麗ね、とか、甘い香りがするのねとか・・・。そうしたら、花の妖精があっちを見てごらんって言うから、見たら貴方が木の下で本を読んでたの。あんまり綺麗だったから、見とれてて・・・。」
「ふ~ん、そうなんだ。君って不思議ちゃんなんだね。でも、嫌いじゃないよ、そういう子って。僕の顔って、そんなに綺麗?僕男だよ。君の方が可愛くて、綺麗だよ。」
今まで髪を撫でていた手が、頬を沿って顎まで下がり、軽く上を向かせるの。
うっとりとするような彼の眼が私の顔を吟味しているの、心臓がドキドキと跳ね上がり顔が赤くなっていくのがわかるの。
「そんなに緊張なんかしないで、僕との時間を楽しもうよ。僕もこんな素敵な女の子が側にいるなんて、君と同じくらい心臓がドキドキしているんだから、そんな顔してない?じゃぁ、その手をここに当ててごらん。」
私の顎にある手はそのままで、反対の手で私の手を取って、自分の胸に当てさせるの。
「どう?」
「馨さんの心臓もドキドキしている。」
「ね、嘘じゃないでしょ。」
そんなことを言いながらも、顎にある手から親指がのびて私の唇をなぞるの、女慣れしてるって感じる仕草。
嘘つきって、心の中で言いながらも私の心臓は早鐘のように高鳴るの。
「んっふ、赤くなった。唇もちょっと渇いちゃったね。僕が持ってきたコーヒー飲む?」
私の心を弄ぶように、私に触れていた手を放して、ポットに入れてきたコーヒーをコップに入れて渡してくたの。
コーヒーのいい香りが口の中がカラカラに渇いていることを教えてくれていた。
ドキドキしているのに居心地がいいって不思議、こんな男性が世の中にはいるんだって心の中で呟いて彼が差し出してくれたコーヒーをすすったの。
少し甘いコーヒー。
「美味しい。」
「よかったぁ。僕は苦すぎるのは苦手だから、メープルシロップを入れて少し甘くするんだ。ミルクは入れないけど。砂糖よりもメープルシロップの方が優しい甘さがして僕は好きなんだ。」
「確かに、優しい感じがします。どことなく木の香りもしてくるような気がします。」
「んっふ、メープルシロップは元々木から抽出するからね、木の香りがするってそうかもね。うん、言われてみればそうかもしれない。」
私の一言を聞いて、コーヒーを一口飲んでから目を少し丸くしながら新しい発見といった顔をして言ってくれたの。
キュンキュンって言葉あんまり好きじゃないんだけど、本当にキュンキュンっていう音が身体の外に漏れてきそうなくらい鳴っていたの。
この後は無理に話を互いにするわけではなく、桜の花の間から吹いてくる風や、眼前に広がる草花を眺めながらゆっくりと過ぎていく時を楽しんでいたの。
ただそれだけのことが、幸せで愛おしいと思えてくるの。
いつもだったら、男性が横にいるだけで緊張して小刻みに体が震えてくるくらい、男性恐怖症っていうか自意識過剰っていうのかどっちが正しい私の状態かわかんないんだけど、そんなことを感じさせないくらいどこか安心感と安らぎ?ううん、癒されるような雰囲気を持つ彼のおかげでわたしはゆっくりと日が傾くのを楽しんでいられたの。
不意に彼が背伸びをしてレジャーシートに横たわり私の方を見てこう言ったの。
「今日は本当にいいお花見日和だったな~。君と出会えるという素敵な日だったからね。ねぇ、今日の記念にキスしていい?」
「えっ?」
そう言うな否や、彼は体を素早く起こして、私の唇に唇を重ねたの。
軽く触れる様な優しいキス。
「ふふふ、驚いた顔も可愛い。またここで会おう。約束なんてしなくても君とは近いうちにきっと会えるって気がする。だから、記念のキス。」
唖然としている私をよそに、立ち上がって促すように手をだして、
「もう日が暮れるよ。このまま居たら僕は本当の狼に変身してしまうから、今日はここまで。」
そう言いながら立たせて、レジャーシートを手早く片付けてしまったの。
そして、私の頬を両手で包んでジッと見つめて
「じゃあね。気を付けて帰るんだよ。」
と言って私の頬から手を放して、手を振って桜の木の下から去って行ったの。
なんて、たわいのない妄想。
もう一度窓の外の景色を私が眺めてみたら、彼の様な人が私の家の窓から見える桜の木の下で手を振っていたようにみえたの。
いつかきっと、もう一度あの人に会うために、私はここから出ることはしないの。
あとがき
新型コロナウイルスによって、外出自粛になりストレスという言葉が聞こえ始めた頃に、ふと第2次世界大戦で迫害を受けたアンネの日記を思い出しました。
彼女の生活できる世界は、狭い屋根裏部屋で足音も息もひそめて生活をしていたと彼女の日記に書いてありました。
そんな彼女の生活ほど息は詰まってないですが、今の世界の状況が似ているなぁと思って、ならば、彼女に習って空想を楽しんでみてはとの思いでこの短編は書きました。
多くの皆様の健康を祈りつつ、頭の中で色々と空想を楽しんで、時にはこんな風に書き出してみてはどうかなって言う提案を兼ねた短編です。