Lucky first day
俺達はさっきの魔道士二人に続いて長い廊下を歩いていた。
と言っても、歩いていたのは俺と強面の青年だけで、女子高生は担架で運ばれていたが。
王宮の廊下というだけあり、先程の玉座のあった広場と同じく絢爛豪華な作りだった。
壁は詳しくない俺でも一目で高いと分かる石材で作られ、床は黒の大理石で出来ている。
壁や床の隅々まで彫刻が施されていて、道の中心には真紅の分厚い絨毯が敷かれていた。
そして、数メートル毎に取り付けられた巨大な窓が夕陽を取り込んで、大理石の床がオレンジに煌めいていた。
前を歩いている女魔道士に目をやる。
彼女は俺の後ろを運ばれている「本物」とそっくり、というか全く同じ整った顔立ちだが、髪型がショートマッシュな事と、人懐っこそうな緊張感のない顔立ちと、しょっちゅう浮かべるにやけ顔だけが「本物」と違った。
些細な差だが、そのせいで受ける印象は真逆だった。
あと、心なしか胸のサイズが「本物」よりでかい…気がする。
女魔道士が、振り返って話しかけてきた。
しまった、凝視しすぎたか?
「ふふ、気になります?
やっぱり気になりますよね、この顔。」
全然別の事に気を取られていたが、考えてみればそちらの方がよほど大きな問題だ。
女魔道士は続ける。
「さっき『玉座の間』で説明した通りですね、別世界から魂と肉体を引っ張ってくるには、やっぱり多大なエネルギーが必要なんです。
それを可能にする条件の一つに、『縁の深さ』つまり、召喚術者との関係の強さがあります。」
「つまり、顔が似てるから俺達が選ばれたんですか?」
それだけ?選ばれた勇者でも何でもなく、顔が似てるから転生したのか俺?
「うーん、そうとも考えられますね!
けど、やっぱり似てるだけじゃ縁が不十分だと思います。
やっぱり私達は『別世界の同一人物』だと考えるのが妥当ですかね!やっぱり!」
やたら「やっぱり」を多用するなこの子……
「…こいつは覚えたての言葉を使いたがるんだ、鬱陶しいが勘弁してやってくれ」
俺の顔をした魔道士が低い声で詫びる。
俺とほとんど同じ顔なのに、体格が俺よりかなりガッシリしている。
声質は俺と全く同じだが、発声の頻度が著しく低い事が窺える、こもった声だ。
というか、あれ?……
「『やっぱり』が覚えたてって、どういう事だよ?天然って次元じゃねーだろ。」
俺の疑問を、隣を歩いている強面の青年が代弁してくれた。
いや、『やっぱり』が覚えたてという事も奇妙だが、それ以前の疑問がある。
「そもそもなぜ言葉が通じるんです?」
俺がその疑問を口にすると、女の方の魔道士が目を輝かせる。
「そこに気が付く方がいるとは、やっぱり今回の方々はなかなかいい感じですね!
私が教えて進ぜましょう!
この宮殿全体にはですね!『翻訳魔法』と呼ばれる術式がかかっています。
しかし実際やってることは翻訳というよりテレパシーに近いんです!
相手に伝えようとしている言葉のイメージをマナに変換し、宮殿の床を介して伝播させます。
そして受け取る側の脳がそのイメージを勝手に翻訳するって寸法ですね。
ただ我々の脳は『テレパシー』なんて機能を持ちませんから、受け取った情報を五感によるものと誤認します。
音声でそういう会話をしていると思い込むわけです。
なので感覚的に会話と翻訳魔法によるテレパシーを見分ける事は難しいです。
見分けるポイントがあるとすれば…」
「着いた。この三部屋だ。
出入りも散策も自由。」
女魔道士のマシンガントークを男魔道士がぶっきらぼうに遮る。先が気にならない事もないが、今日はだいぶ疲れた。
彼女の話を聞いているうちに頭も痛み始めたので、会話を止めて貰えるのはありがたかった。
「どうもありがとうございます…それでは……」
軽く挨拶し、示された部屋に入ろうとする。強面の青年も疲弊した様子で「おう…」と短く会釈をして俺の右隣の部屋に入って行った。
まだ気絶したままの女子高生は向かいの部屋に担架で運びこまれていく。
「あっ、待って下さい!
言い忘れてました!」
女魔道士に呼び止められた。
「私、ルナって言います。
ルナ・ベアトリス。
またお話しましょう、えーと。」
「リトです。筑波嶺 俐与。
是非また。」
口早に答えてドアを閉める。少し愛想がなかったかな、とも思ったが、精神的にも肉体的にも休息が必要だった。それに頭がかなり痛い。
ガンガン音が聞こえそうな痛みだ。
無理もないか、今日は色々ありすぎた。自分が思っているより精神的に疲弊しているのだろう。
やれやれとドアに背中を預けて寄りかかると、自分がしばらく寝泊まりすることになる部屋が目に入る。
部屋全体は薄暗く、ほのかに桐のタンスのような香りがした。
正面の壁には大きめの窓があり、分厚いカーテンの隙間から微かに夕方のオレンジ色の光が漏れている。
家具は少なく、ベッドと書物机があるだけだった。
「ふーーーーー」
今年一長い溜め息を吐きつつベッドに体を投げ出す。
気持ちいい。体がマットレスの中に沈んでいくような気がする。
考えなければならない事は山積みだが、まぶたが重くて脳みそが鈍い。
…結局、『やっぱり』が覚えたてってのはどういう事だったんだ?
疑問が浮かんだものの、我慢は限界に達していた。
俺の意識は眠気の濁流に呑まれていった。
目が覚めて、ぼんやり天井を眺める。
一瞬自分の部屋ではない事に戸惑ったが、すぐに昨日の事を思い出した。
夢オチじゃないみたいだな。…今何時なんだろう。
時計を探して部屋の中を見回すが、それらしきものは見当たらない。この部屋にないだけなのか、それともこの世界にないのだろうか?
それにしても、眩しい。昨日は部屋全体が薄暗かったのに、今は開いた窓から涼しげな風と共にこれでもかと日光が入り込んでいる。
カーテンも開いている。
メイドさんが開けてくれたのかもしれない。
メイドさんがいるかどうかは俺の性癖上とても重要だ。後で聞いておこう。
窓から外を覗くと、絶景に思わず息を呑んだ。
かなり高い。この城は山の中腹に建っているようだ。
見上げると空気の澄んだ山の空が、目下には城の庭と堅牢な城壁、その向こうに広大な城下町が見えた。
遠くにうっすらと、城下町を囲むように巨大な壁のようなものが見える。
昨日王子が「魔境」がどうとか言ってたし、危険な生き物から街を守る必要があるのかもしれない。
明るさと太陽の角度から考えて、今は朝の9時過ぎ位だろう。
昨日の昼から何も食べてないので、めちゃくちゃ腹が減った。
窓の外を眺めるのも程々に部屋を出て朝食を頂こうと、窓から体を離して振り向くと、真っ黒いローブを着てフードを目深に被った女が部屋のど真ん中に座っていた。
「うわぁっ!」
驚きの余りのけぞってしまい、危うく窓から落ちそうになった。
その反応を見て、ローブの女は聴き覚えのある声で笑い出した。
「あははははははははは、そんなに驚かなくても!
いひーーッ!お腹痛!」
「…何してるんですか、ルナ・ベアトリスさん。」
「フッフッフ、私はルナ・ベアトリスなどではない。世界最強最悪の魔術師、リナ・ビアトリソだ!」
「いや、無理がありますって、昨日話したんだから声で分かりますよ…
というかもうちょっと捻りのあるネーミング出来なかったんですか?」
「もー、ノリ悪いですねー!ご機嫌ナナメですか?なんでかな…」
「胸に手を当てて考えてみて……」
俺がそう言うと、ルナ・ベアトリスはフードを外し、たわわな双丘を両手でグイッと持ち上げた。
やっぱりでかいな……
G…いや、Hくらいありそうだ。
ローブの上からでもはっきり女だと分かっただけはある。
「何させるんですか、エッチ〜!」
「やはりHか……ってちがーーう!
自分の行動を振り返ってみろって言ったんです!」
「なーんだ、そういう言い回しがあるんですね。」
「ええ、日本語って難しいですよね。というか、あれ?
魔法で自動翻訳されるんじゃないんですか?」
その言葉を聞いて、彼女はニヤリと笑った。
「いいとこに気付きますね、期待通りです。他に何か気付きませんか?」
「気付く…さっきからベアトリスさん、足を床につけたり浮かせたりしてますよね。癖かと思いましたけど…」
「うんうん、後は?」
「後は…?…うーん、椅子がボロい?」
「そうです、そしてこの椅子には何か足りない。」
「………他の家具と壁や床に書いてある模様?がないですね。」
「だいせいかーーい!それらから導き出せる結論は?」
「うーーん……足を浮かせてたのは、昨日言ってた『翻訳魔法』を切るため、とか?」
「100点満点です!
床や壁には彫刻、ベッドには刺繍で、翻訳魔法の術式を書いてるんです。
このボロい椅子にはそれがないから、翻訳魔法を遮断できる訳ですね。
リトさんとは結構楽しくお話できそうです!
あ、ベアトリスさんじゃなくて、気軽にルナとかベアとかアリスとかR&Bとか呼んでいいですよ。」
「いや、一通りに決めて下さいよ!逆に呼びにくいわ!
R&Bとか何で知ってるんですか!」
なんだろう。この子、ルックスは完璧なのに、なんか違う……褒められてもあんまり嬉しくない……
というか腹が減って仕方がない。
いつまでも相手していられないな。
「すみません、俺腹減ったんで朝食頂いてきます。」
「朝食なら食堂で食べれますけど、二時間も前に終わっちゃいましたよ。
けどご安心を。
欲しがると思って、私の分を少し残しておきました。
外のワゴンに置いてあります。」
前言撤回。R&Bさんはいい人だ。仲良くなれそうで良かった。
礼を言って、部屋のドアを開け、ワゴンに乗った朝食のトレーを運んでくる。
献立は意外にも馴染みのあるもので、エッグベネディクトとベーコン、アスパラの炒め物、そして死ぬほど美味いオレンジジュースだった。
ルナはデザートのシュークリームだけ食べたようだ。子供かよ。
シュークリームだけでは栄養が偏るし、食事を分けてもらっておいて一人で食べるのは気が引けたので、ルナにも少し取り分けた。
それにしても、味は最高だが冷めてしまっているせいか、結構喉が乾く。
コーヒーが欲しいなー。
「あ、私コーヒー入れましょうか?」
「エスパー!?」
「あはは、気が利くって言って下さいよ。濃さの好みとかあります?」
「少し濃い目で。ありがとうございます。」
「はーい」
この部屋はほとんど何もないが、コーヒーと紅茶は置いてあるみたいだ。
旅館みたいだな。
ルナの入れたコーヒーは完璧だった。
異国どころか異次元の地なので食には不安があったが、今日の朝食の調子なら余裕でやっていけそうだ。
「ところで、俺たちこんなところでのんびりしてて良いんですか?」
「あぁ、良いんですよ。戦闘訓練とか基礎知識の勉強とか、難しい事は明日からです。今日は体を休めて下さい。」
俺は良いとして、この人仕事ないのかな?
……人の事言えないな。俺も定職につけなくてバイトしかしてなかったし。
俺がそんな事を考えているのを勘付いたかのように、ルナはマシンガン口調で喋り始めた。
「あ、もしかして今私の仕事なんだろうって考えました⁉︎
フッフッフ、教えて進ぜよう!
そういえばちゃんとした自己紹介してなかったですしね!
私はルナ・ベアトリス。
宮廷魔道士 兼 王国一の文化人類学者!
言語学と魔法陣のスペシャリスト!
王宮の翻訳魔法の術式は全部私が指揮したものでーす!えっへん!
でも転生者三人組に座学を教える教育係に任命されたので、転生者の休憩日に便乗して今日はサボっちゃおーっと。」
「最後の一文で台無しだよ。」
性格は置いておいて、ルナの経歴はかなり只者じゃなさそうだ。
きちんと学問が体系化されているようだし、小さな国でもなさそうなので、「王国一」を名乗るレベルともなると相当だろう。
…尤も軽口で言った可能性はあるが。
翻訳をキャンセルして話すのは、言語学者としての「研究」の一環なのだろう。
「やっぱり」を最近知った、という話もこれで合点がいく。
だが、俺の記憶では俺たちの会話に「やっぱり」なんて出てきていない。
つまり…
「…俺たち以外にも、転生者がいるんですか?」
「ええ。三年に一回くらいのペースで来ますよ。なんなら一人、未だに王宮に寝泊まりしてる方が居ますよ。
近いうち会う事になると思います。」
ルナは特に言い淀む様子もなくあっさりと答えた。
やっぱり。
やけにこなれたロディ王子の説明や、全く警戒の様子を見せないルナの態度など、それを匂わせる根拠はあったがこれではっきりした。
この世界では転生者はさほど珍しくないのだ。
いや、レアにはレアなのかもしれないが、少なくとも唯一無二ではない訳だ。
向こうは隠す気も無かったようだが、俺は自分の希少価値が下がったような気がして少し残念だった。
「そうそう、朝食のお礼と言っちゃなんですけど……」
俺の落胆をよそに、ルナが能天気な顔で話しかけてくる。
五分後、ルナは書物机にノートと辞書らしきもの、俺の知らない言語で書かれたメモや学術書を広げ、俺は日本語に関する質問攻めにあっていた。
「これはリトさんの為にもなりますよ。
これからリトさん達にはヴィンゲルム王国の公用語、ゲルム語を学んでもらいます。
教えるのは私ですから、私が貴方達の言語をより深く理解していれば教える時色々役に立ちます。
私の学術的興味でやってる部分も、ほーんの少しはありますけどね。」
本当の目的はそっちなんだろうな…
とはいえ、言語のプロである彼女の指示に従っておけば心配ないのは事実だし、何よりあの朝食はすごく美味かった。
この程度のお礼なら安いものだ。
彼女の日本語に関する問答に付き合ってしばらく経って、窓から入る光が正午のそれになった頃。
ドアがノックされた。
「はーい。」
俺が出ようとすると、ルナが慌てて立ち塞がった。
「わっわた、私が出てきますよ!リトさんは座っててください!」
…なんか怪しいな……
「いいよ。この部屋に来るって事は俺の来客だろうし、さっきから座りっぱなしだからな。」
「あぅ………」
なにやら文句ありげなルナを尻目に、ドアを開けると、黒い執事服に身を包んだ、細身の美青年がワゴンを持っていた。
浅黒い肌と、黒い執事服、吸い込まれそうなほどの漆黒の髪と瞳、そして端正な顔立ちは、今まで見たことがない種類の色気を放っていた。
「筑波嶺俐与様。昼食をお持ちしました。それと、朝食の食器を回収致します。入っても?」
「え、食事は食堂で食べるんじゃ無いんですか?」
「…?いえ、今朝も私がお部屋の前にお運びしました。
ここにいらしたばかりで食堂の位置がお分かりにならないでしょうから。」
ははーん。そういう事か。
振り向いて後ろにいる嘘つき女を睨みつけると、そっぽを向いて下手くそな口笛を吹いている。
「執事さん。ベアトリス魔導士は朝食を召し上がりましたか?」
「……ええ、ご自分の食事を完食した後、私のシュークリームも召しあがりました。
甘いものは身体に悪いので食べてあげる、とおっしゃって……」
執事さんは短い会話で全てを察した顔をしていた。日常茶飯事なんだろう、かわいそうに。
執事さんから銀色のクローシュが被せてある昼食のトレーを受け取り、部屋の中に持ち込む。とりあえず飯を確保しよう。話はそれからだ。
「ルナさ……」
問い詰めようと口を開いた途端、ルナは目も止まらぬスピードで立ち上がりクローシュを持ち上げ、デザート——フランボワーズのスコーン——をかっさら……う寸前で俺が腕を掴む。
「ルナ!お前どんだけ意地きたねーんだ!
たかが甘いもんにそこまでするか!」
「フフフ、リトさん、甘いですね。
今朝のシュークリームより甘いです。
これは『戦争』ですよ。お喋りの暇なんてありません。」
こいつめちゃくちゃだ。
俺が呆れて絶句すると、ルナはその隙をついて首を手の方に近付け、スコーンに食らいついた。
「あっ!お前!」
「ふぉひふぇふぁへふぁらひいふぇふぃろ、ふぇふゴホッゴホッ!」
むりに喋ろうとしてむせている。
何言ってんのか分かんないけど、勝ち誇った顔してんのがムカつく。
「……ったく、ほら。」
苦しそうなので水をやると、ゴクゴクと飲み干してからすごい速さで扉までダッシュした。
「じゃ!リトさん!また来ますね!夕飯の時に!」
「二度と来んな!……ったく…」
急に静かになった部屋に、執事が入ってきて、朝の食器を片しながら、躊躇いがちに俺に話しかけた。
「あの……お夕食ですが、お時間をずらして早めにお持ちしましょうか?」
「…よろしくお願いします……」
もう二度と、あの泥棒女に敬語なんて使ってやらん。
残った昼食を食べながら、そう誓ったのだった。