Lucky Infirmary
目が覚めると、保健室にいた。
「え!?何で!?」
一般的な中高の保健室だ。ほんのりと薬の匂いと金木犀の甘い香りが漂う保健室のベッドにいる。
ベッドの周りは遮光カーテンで仕切られている。
夢でも見てるのか?
「あっ!お目覚めになったんですね!」
カーテンが開かれ、薄桃色のナース服と眼鏡姿の若いお姉さんがニコニコとこちらに微笑みかけているのが目に入った。
『ハナ』と書かれた名札が豊満な胸元に安全ピンで止めてある。
「はい…ここは?」
ハナさんが口を開いたが、バカでかいいびきに遮られた。
「ンゴォ〜、ンゴォ〜!
ムニャ…いいケツしてんな……グゥ…」
隣のベッドで寝ているドロシーだった。どうやら夢じゃないらしい。
「ドロシー様。ツクバネ様がお目覚めになりましたよ。」
この母性溢れる態度、どこかで見たことあるな。
…そうだ。小学校の保健の先生。俺の事をリトくんと呼んで可愛がってくれた。ベタだが俺の初恋だ。
ツクバネ様、なんて呼び方じゃなくリトくんって呼んでくれないかなあ。
そんな気持ち悪い事を考えていると、ハナさんはこちらを振り向き、困ったような、しかし優しい微笑みを浮かべた。
そして再びドロシーを揺さぶりながら、少しぎこちなく呼びかけた。
「…リトくんが、お目覚めになりましたよ。」
「えっ!?ごめんなさい!口に出てましたか?」
「…申し訳ありません。勝手に心を読んでしまいました。お嫌でしたか?」
「えっ!心を!?」
それはまずい。さっきの気持ち悪い思考が全部筒抜けなのか。
考えるだけなら罪ではないとは言うけれど、罪でなくたって知られたくはない。
「ええ。あ、ご心配なさらず。
リトくんって呼ばれたかったんですよね、それしか聞こえてませんし、呼び方を変える位お安い御用です!」
「うう、キモい思考を聞かせてしまってすみません……」
こんな天使のような人を不愉快極まりない思考に晒してしまった罪悪感でいっぱいだった。
いっそ罵ってくれた方が気が楽なのに。
「そ、そんな!え、えぇ〜、罵る、ですか…?
えと……ばーか!」
「ぐぁっ!かわいい!…胸が痛い!」
穏やかな声でのぎこちない罵倒の破壊力も凄いが、これ以上純粋さを見せつけられたら罪悪感に殺されそうだ。
「あの…リトくん?
勝手に心を読んでごめんなさい、けど聞こえるのは本当に一部なので…」
「一部?」
「私の魔法は患者様の治療をするためのもの。
うまく願望を口に出せない方の願望を聞く魔法です。
ですから聴こえるのは、何かして欲しい、という願望の声だけなのですよ。
願望の理由なんかは分かりません。
けど今回は理由なんて分かりきってます!
リトくんは甘えん坊さんなだけですよね?全然気持ち悪くなんてないですよ!」
なるほど、全部聞こえてないならまぁまだマシかもしれない。
なんか好意的に解釈してくれてるし…
それにしても、ハナさんに…して欲しい事…
目の前のハナさんを眺め、ふとやましい考えが頭をよぎる。
「あっ!」
しまった。気付いた時にはもう遅かった。ハナさんは耳まで真っ赤になり、その場にうずくまってしまった。
「本当にすみませんでしたァー!」
俺は、本気の土下座をした。
気まずい沈黙が流れる。
顔をあげようにも、とてもハナさんと目を合わせられない。
俺のピンチをよそに、ドロシーが寝返りをうった。
「ムニャ…谷間…パンツ…グゥ」
黙れこの野郎。
…ッ!そうだ!話題を逸らしてこの空気から逃れるには、ドロシーを起こすしかない!
「あの…ハナさん?」
「ピュ!」
かわいそうに、縮こまりすぎて雛鳥みたいな声になってしまっている。
「…ドロシーを起こしましょう。」
「あっ、そ、そうですね!ドロシー様!」
さっきより強めに揺さぶると、ドロシーはやっと目を開けた。
「ん……、あッ!ハナちゃ〜ん!かわゆすぎるぅ!」
「わっ!お辞めを!くすぐったフフッ、フフフフやめ、アハハハハ!」
ドロシーは起きるなりハナさんを両手両足でがっちりホールドし、ナース服の隙間からチラリと覗く谷間に顔を埋めてぐりぐりと頬擦りし始めた。
頬擦りというか、そのまま潜っていきそうな勢いだ。谷間に。
それにしてもなるほど、なかなか興味深い光景だ……
「見てないで助け…アハハハハ!」
しまった、つい見惚れてしまった。
なんとかドロシーを引き剥がすと、満足したのか俺に向き直って話し始めた。
「リトさん。起きたんですね。
今はもう夕方です。
そして貴方は無傷とまでは言わずとももう回復済み。これがどういう意味か分かりますか?
私が闘技場で適切な応急処置をした上に、ここに連れてきた後もそばを離れず何時間も看病したんです。
命の恩人に何か言うことは?」
「ング……」
「リ、リトくんがツッコミどころが多すぎて逆にツッコめないって顔してる……」
顔でそこまで読み取れるなら魔法なんてなくても大丈夫なんじゃないか、この人。
「まあそれはヨシとしましょう。リトさん変な顔になっちゃいマシたし。
それより今日の戦闘のデブリーフィングデス!」
「思い出したように片言になるなよ…
もう大分普通に喋ってたけど。」
「キャラ付けなんて思い出した時にやれば良いんデスヨ!」
「こいつはっきりキャラ付けって言いやがった…!」
「言ってないデス。
……言ってないデス。」
「何回付け足しても説得力変わんないよ。0+0なんだから。」
「私の説得力は足し算じゃない!
掛け算デス!」
「デスゾーン2じゃねーんだよ!どのみち0だし!」
「マアそんな事はどうでもイイデス。
ホンダイの、初回のエンシュウのケッカは!
ドルルルル!0points!」
「0点満点の?」
「ソノ点数方式、何のシシンになるんデスカ?」
「魔法なんて使えない上に丸腰の割には結構上手くやったろ!
0点は厳しすぎない!?」
「ケッコウウマク?ソノ考え方自体アマアマデス!
実戦ではハイボク=死、なんてパターンはザラなんデス。
点数なんて勝者がヒマツブシに考えるモノ。
敗者にそんな概念はアリマセンヨ。
シニンニクチナシ、ヤサイカラメマシマシデス。」
「途中までまともだったのに最後で台ナシナシだよ」
「…リトサン。割とマジな話をしマスガ、アナタの戦法は余りに中途半端デス。
…このままじゃ、絶対に後悔する日が来る。
この城にいる間に矯正するべきだよ。」
「中途半端?」
いつになく、というか初めて真面目なドロシーの態度にたじろぐ。
途中から普通に喋ってるじゃねーか、なんてツッコミも引っ込んでしまった。
「そう。
リトさんの行動選択の根幹は、論理と心情の中間。どちらにも振れていないのがアンバランスで一番危険なんだよ。」
「中間がアンバランスって…矛盾してないか?」
「…リトさんが私に目潰しをした時。
ダメージ覚悟で突っ込んできたのに、なぜ攻撃をしなかった?」
「なぜって、あの時点じゃ最初に見せた吹っ飛ばす攻撃が来る可能性が…」
「じゃあなんで突っ込んできたの?」
「…攻撃の正体を探るためだ」
「そこだよ。正体を探るだけなら、君が来る必要はない。
JKちゃんは無傷だったし、大して戦力にもならなかった。
あの局面で捨てる駒は絶対に君自身じゃなかった。」
「……。」
「論理的に正しければいいと言う訳じゃない。論理から程遠く、こちらが何をしても行動が変わらない相手というのも逆に厄介だ。
現に君が無策で突っ込んできていたら私はおそらく負けていたしね。
だが君が選んだのは完全な無策でも完全な論理でもない、中途半端で甘い択だった。
君は論理的に考えて犯すべきリスクを選択できるのに、リスクを他人には一切負わせようとしない。
弱点付きかつ論理的な君の動きは、穴埋めの計算式みたいに簡単に対処できる。
…自分は迷わずリスクを負えるのに他人を犠牲にできない君は、とても善良なんだろう。
だがそれは役に立たない。
いつか君は一番守りたいものを失うことになる。
その前に、根本的な何かを見直すんだ。」
ドロシーの目は真剣を通り越して切実で、俺は頷くしか出来なかった。
「…ふぅ。サテ、明日からは予定通りルナとアベリアサンの授業デス!
…ワタシの言ったコト、忘れないでクダサイ。」
ハナさんに案内されて部屋に戻る。
いつの間にかすっかり夜だった。
ハナさんに案内の礼とさっきの謝罪をすると、もういいんですよ、と笑って許してくれた。
「じゃあ、おやすみなさい。リトくん。」
パタン、とドアが閉まり、部屋に一人になる。
…そういえば、あの学校の保健室のような部屋は誰の趣味なのだろう。やはりドロシーだろうか。ルナって可能性もあるな。異文化に興味津々だし。
ルナの口振りから察するに、転生者はドロシーしか城には住んでいないようだから、二人のうちのどちらかだろうな。
…いや、もっと重要なことがあった。
英語だ。
唄う魔物の襲撃の時、廊下には確かに英語の血文字が書かれていた。
翻訳魔法で知ってる言語に変換された可能性もない。
朝起きてから人が集まってくるまでの間に、ルナが置いていったボロい椅子を使って確かめたが、翻訳魔法の影響はないようだった。
そもそも魔法で翻訳されているなら日本語になるはずだ。
ドロシーの扉の看板も英語のままだったし、文字には作用しないのだろう。
"remember me"
…『私を忘れないで』…か。覚えて、とか思い出して、とも訳せるが、ともかく記憶に留めてくれという意味だ。
…ルヴィオラという人からアベリアさんへの言葉だろうか。
今日はずっとドロシーに振り回されて聞く暇がなかったな。
もっとも、そうでなくてもとても聞けないが…
…まぁ思い悩んでも仕方ない。明日の為に寝るとしよう。
さっきまで保健室で気絶していたばかりなので眠れないと思っていたが、それ以上に体が消耗していたようで、あれこれ考えるのを辞めた途端すんなりと眠ってしまった。