第70話 恋愛初心者×空回り
部屋の中に肉が焼ける音が響き、それと同時に雅人の腹の虫も泣いている。
「お腹すいてるなら始める前に言えばよかったじゃないですか…」
「我慢出来なかった」
ぐぅぅぅぅぅぅ…
「あの…その音凄いプレッシャーなんですけど…」
「だろ…腹減りすぎてやばい。二つの意味で」
雅人がそう言って葵に近づけば葵は顔を赤くする。
「そんな恥ずかしいか?」
「は、恥ずかしいに決まってます。お姉ちゃん以外の人とここまでくっついたことないですし…男の子なら尚更。そういう赤嶺くんは恥ずかしくないんですか?」
「ないな。前の奴は結構ベタベタしてきたし」
その言葉を聞いて葵はチクリと胸が痛んだ。
「ベタベタってどのくらいですか?」
「うーん…座ってると確実に後ろから抱きつくか膝の上に座ってきた。つっても身長は葵より小さいからだけど」
「それでベタベタって言うんですか?」
「それだけなら俺だって言わない。外なら手を繋いでくるし兎に角一緒にいる時は肌を触れあわせたいっていう奴だったよ」
「…こんな風にですか…?」
葵は雅人に背中を向けるとそのまま背中を密着させた。
雅人に後ろから抱きしめられる形となり耳まで真っ赤にしていた。
「ここまではないな。付き合ってたといっても形だけだし」
「そ、そうですか。それならいいんですけど…」
葵が離れようとするが雅人はそれを許さなかった。
「逃げられると思った?残念、逃がしません」
「いや…あのまだ夜ご飯が…」
「俺は今から食べるから問題ないな」
「あっ…」
雅人が後ろから首筋に甘噛みをすると葵は体を痺れさせた。
「お腹減ってるんじゃ…」
「だから今食事中なんだろ」
「私は食べれませんから…!」
「気合い」
「あの…あとでしてもいいので今は…お料理させてください」
「分かった」
雅人は葵を解放するとベットにねっ転がった。
葵はというと未だに心臓が落ち着かなく包丁を持つ手が震えている。
「痛っ!」
いつもなら不幸を忘れられる料理もこの始末。
初めての経験ばかり完全にテンパっていた。
「葵、俺も手伝う」
「え、でも赤嶺くんお料理は出来ないはずじゃ…」
「今の葵と一緒だな。怪我込みなら俺にも出来る」
「うぅ…それはそうですけど…」
「よし、じゃあ始めよう」
雅人は包丁を持つと慣れない手つきで野菜を切った。
いつも葵が切るような形にはどうしてもならなかった。
「むっず。ちゃんと切れない」
「刃を真下に下ろすんじゃなくて前に倒すように切るんです」
葵が実践すると雅人も真似して包丁を動かす。
だが葵のようにはいかず途中で刃が止まってしまう。
「いつもこんな難しいことしてんのか」
「慣れですよ。お姉ちゃんも出来ませんし中学生の時からお料理は好きでしたから」
「葵の飯美味いもんな」
2人で料理をしたが時間はいつもの倍かかった。
「この料理にどれだけ俺の血が入ってるんだろうな」
雅人は絆創膏だらけの手を見つめて言った。
「喧嘩してもこんな絆創膏だけになることないのに」
「慣れてないからですよ。慣れればもっとスムーズに作れます」
「ま、食えればなんでもいい」
小さなテーブルに料理を乗せて雅人と葵は向かい合って食べた。
(なんか新婚みたい…)
葵は心の中でそう思った。
「なんか新婚みたいだな」
雅人は口に出した。
「なんで口に出すんですか…」
「ダメか?」
「いえ、その…恥ずかしいじゃないですか」
「実際違うんだから問題ないだろ」
葵はジト目をしながら白米を口に運んだ。
頬を膨らませながらもぐもぐと咀嚼をした。
「ん。なんだよ」
「赤嶺くんは結婚すらしてない相手とキスしたんですよ?おかしいと思いませんか?」
「なにがおかしい?キスしたいと思ったからした。あそこで葵が本気で拒絶したらキスはしなかったぞ?なんで葵は嫌って言わなかった?」
「それは…嫌じゃなかったから…」
「…」
雅人は自分の分の夕飯をかきこむと一気に飲み込んだ。
「あ、え…」
「恨むなら自分を恨め」
雅人は葵をその場に押し倒した。
「何回目…でしょうね。赤嶺くんに押し倒されるのは」
「さあな。数えてないから分からん」
「私まだご飯の途中…なんですけど…」
「無理」
「待ってください!シャワーくらい浴びさせてください」
「…ああ。分かった」
不満そうな雅人の拘束から抜け出すと葵は自分のバックから洗面用具を出すと浴室へと向かった。
「分かってると思いますけど、覗かないでくださいね」
「そこまで変態じゃない」
雅人は葵の食べ残しをラップで包んだあと、ベットへと身を投げた。
一方の葵は心臓が痛いほどに鼓動していた。
葵は服を全て脱ぐと鏡の前に立った。
さっきから感覚で分かっていたがやはり顔は真っ赤だった。
「恥ずかしい…」
葵は他人が思うほど自分への肯定が少ない。
もし、万が一億が一にも身体を雅人に見せるとしたら…と考えるとそれだけで頭が沸騰しそうだった。
それが恋愛初心者の恋愛だった。
もどかしく、理論的ではなく本能的。時に予測不能な行動をする。
お互いに手探り状態で手が触れ合えばどちらかが逃げまた一からやりなおし。
そんな出来事が多々起きていた。
だが今の葵は逃げるわけにはいかなかった。
水谷梓という一つ上の先輩はライバルなのだ。気を抜いていては先を越されてしまう。
そういう意味では今の状況はとんでもない幸運だった。
なんとしてでも雅人を振り向かせる必要が葵にはあった。
「大丈夫。私なら出来る。絶対に負けない」
葵はなんども自分に言い聞かせ闘志を奮い立たせた。
寝巻きへと着替えた葵は一回深呼吸をしてから居間へと繋がる扉を開けた。
ベットの上には雅人が大の字で寝ていて傍には動画が再生されたスマホが転がっていた。
「赤嶺くん…」
「……」
「寝てる…」
どうやらスマホで動画を見ている途中に寝落ちしてしまったらしい。
葵は自分の食べかけを冷蔵庫へと入れると雅人の隣へと寝転がった。
雅人の隣で寝た瞬間、安心感と充足感が葵を支配した。
「ん…んぅ…」
「赤嶺くん。起き…っ!」
雅人は横に体を動かせば葵の目の前に雅人の顔が来た。更には、体も動かしたせいで雅人に抱きしめられてしまった。
もがいても雅人の拘束を解けるはずもなく葵は雅人に寄り添って寝ることとなった。
あれだけ気合を入れて準備したのに肩透かしを食らった葵に精神的な疲れが溜まった。
「葵…す…」
「す?す、なんですか!?」
雅人の寝言だろうが葵の心が休まるのはもう少し…いや、だいぶ先の話である。




