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断章:ある種の伝説の続き

 地割れでも起きたのかと思うほど強烈な音を立てて降ってきた何かは、岩の欠片を四方に飛ばし、浜辺から風で運ばれた砂の吹き溜まりを煙として辺りに舞わせた。


「なんだっ?」

「痛っ」

「――ゴホッ――ペッ、んだこりゃあ……」

 岩の欠片が当たったり、砂埃に咳き込んだりして男たちが驚き戸惑っている。


 ケイルは隣に立っていた男が壁になっていたのでほとんど無事だった。

 ……今のうちに逃げられるだろうか?

 そう思うものの、足は思ったように動いてくれなかった。逃げて、捕まったら、たぶん男たちの態度は豹変する。今よりずっと、ひどい扱いになる。その予想が足を竦ませていた。


 ほどなく砂煙が海風に流され、何が降ってきたのか、ケイルや男たちにもわかった。


 そこに立っていたのは、ひとりの人間だった。


 漆黒の衣装を身にまとい、ちょうど夕暮れの空に溶け込みそうな藍色の髪をまとめ、

 ――銀色の仮面を被った、女の人。


「あ……」

「……まさか……」


 そして、空から降ってきたのが人間だということよりも、目元しか見えない仮面をつけていることよりも、男たちを、そしてケイルを驚かせたのは、その女の人が首に下げている、極細の赤い糸だった。


 至近距離でも、ほとんど見えないぐらいに細い、それなのに鮮やかな赤だとわかる糸――いや、髪の毛?

 なんの飾りもなく、ただ三重になって女の人の首に巻かれている。


 それだけなのに、そこからは圧倒的な気配が放たれていた。


 地上に生きる、人を含めた動物が軒並み畏怖するような、明らかに普段自分たちの視界に写るものとは別種の『なにか』であることが、強制的に感じ取れてしまった。


「あ……、あなた様は、もしや……」

 先程ケイルに話しかけた男が、呆然とした表情でたどたどしく言葉を吐く。


 が、

「その子に何をした」

 相手から被せるように投げられた問いに、男は言葉を呑んだ。


 そして、

 ――やっぱりそうだ

 とケイルは確信した。


 あの海より深い藍色の髪を見た時点でほとんどそうだと思っていたが、声を聞いてよりはっきりとした。

 イオリという名の、あの女の人だ。


 女の人と目があう。


 自分の目に、恐怖で涙が浮かんでいることに気づき、ケイルは慌ててそれを拭った。


 すっ、と彼女の手が動いた。


 ドズッ、と重たく低い音が、立て続けに流れた。

「――ぐぁっ」

「づっ!」

「――え?……あぁっ!?あああぁっ!」


 そして、男たちが悲鳴を上げて、その場に崩れ落ちた。

 見れば、彼らの足、太腿のあたりに血が滲んでいた。


「私に同じ問いを繰り返させるつもりか」

 女の人が、そう言った。

 昼間、買い物に訪れたとき、試食しながら美味しいと言っていたあのときとはまるで違う、威圧感と冷徹さを感じさせる口調だった。


「――こっ、この子供は――、いえ、道案内を、その、あの光が落ちる前に、町に……」

 女の人の声に追われるように、男は苦しげながらも切迫した様子で口を開く。が、内容はしどろもどろだった。


「お前たちは何者だ」

「わっ、私共は、敬虔なる神の下僕で――」

「どこの神だ」

「え、っその、あなた様の、その御首の――」

「構わん、貴様が崇める神の名を口にする栄誉を授けてやる」

「……それは……っ!? ……あ……」

 言葉に詰まる男を見て、ケイルも悟った。


 はじめは、どこかの狂信的な団体だと思っていた。

 でも、そうじゃない。

 そうだったなら、迷わず己の信奉する神の御名を告げるはずだ。


 即答できないのは、どの神の名を告げるのが、相手の機嫌を良くし、自分たちに有益な展開へ持っていけるかを考えたから。なまじ首にかけられた赤髪という、答えに繋がりそうな何かがあったのも災いした。

 そして、その躊躇した理由が目の前の相手にも見破られたと察したから、彼らは結果的に言葉に詰まった。


 この男たちは、別に神を崇めていない。

 ケイルを拐おうとしたのは、単に、神の降臨を利用すれば金儲けに繋がると踏んだから。

 ……単なる悪党だ。


「雄弁な沈黙だな」

 仮面をつけた女の人は、蔑むように言った。

「い、いえ! 私は――」

「黙れ」

 視線を合わせての一言で、男は麻痺したように口を閉ざした。


 神を崇めていないからといって、神の強大さを知らないわけではない。

 男たちは、戦意や敵意など向けることすらしなかった。


「熱を司る女神、レグナストライヴァの眷属たる私が裁きを下す」


 びくり、と男たちが震え上がった。


 仮面の女の人は、胸元から1枚の羽を取り出した。

 根元が白く、先になるほど鮮やかな赤に変わっていく羽。女の人の首から下げられた髪の毛ほどではないけれど、その羽根からもただならない雰囲気が流れてくる。


「ひとつ、ここで起きたことを口外しないこと」

 男たちは、即座に首を縦に振った。何度も、何度も。

「ふたつ、この少年、およびこの町に二度と干渉しないこと。

 それにも必死で頷く。

「最後に、ここより他の地で、子供たちから感謝の言葉を千回、受けること」

「――はっ?」

 男たちの目が丸くなった。


 それに構わず、女の人は手にした羽を、軽く上に上げた。

 その瞬間、ビシリ、と羽が凍りついた。

 赤い羽根が、青ざめた氷に閉じ込められている。


「……この氷は、貴様らに下した命令の期限となる呪いだ。この具合ならば、十年というところか。これが溶けるまでに最後に下した条項を満たせない場合、骨まで溶かす高温が貴様らを襲うことになる」


「――そん、な……」

「ま、待ってください! 俺たちは――」

「お、俺はこの小僧になにも……」

「黙れよ」

 騒ぎだす男たちは、しかし女の人の言葉一つでまた言葉を呑む。


「なに、たいしたことじゃない。たとえば孤児院でも設立して100人を迎えてみろ。彼らが毎日感謝の言葉をくれたのなら、たった10日で達成だ。もちろん、強制して得た言葉は無効だ。言うまでもないか?」


「あ……」

 愕然としている男たちに、女の人は鋭く告げる。

「以上だ。速やかに去るがいい。足の傷は、骨と動脈に当たらぬよう配慮してやった。痛むが歩行は可能だ。――それとも背中から撃って追い立てられたいか?」


 男たちは喉奥から悲鳴を漏らしながら、必死の形相で逃げていった。

 片足をひきずりながら、互いに肩を貸しながら、苦痛の声を上げながら。


 彼らの背中が小さくなった頃、

「――ふう」

 女の人が、銀色の仮面を外した。

 その下から現れたのは、昼間に見たあの途轍もなく美しい顔立ちだった。


「あー、もう……ほんとにごめんねっ!」

 しゃがみこみ、ケイルと同じ目線の位置で、女の人はさっきまでとまるで違う口調になっていた。


「私が迂闊に変なこと聞いたせいで迷惑かけたね! ごめんなさい! すぐに城下町から兵士たちも来るから。君のことは特に注意するよう伝えるから。2~3日かかるみたいで、仕事はお休みしたほうがいいと思う。これ、あのおじさんに諸々の迷惑料って」

 矢継ぎ早に喋り、懐から貨幣を出してケイルに手渡す。

 ……多すぎる。

 ケイルの三ヶ月分の稼ぎぐらいある。


「怪我はしてないよね? どっか気になる?」

「あ、いえ、大丈夫です……」

「よかった。……はあ、ほんとによかったよ」


 顔を俯かせ、ため息を吐く女の人は、相変わらず凄い存在感を放ちつつも、なんだか親しみやすい雰囲気も併せ持っているようだった。


「――あ、これ邪魔だよね」

 そう言って、首にかけていた髪の毛を解き、懐から取り出した箱にしまい込む。

 それだけで、随分と纏っていた威圧感が薄れていた。


「えっと、じゃあ、さっきのはお店への迷惑料でね。それと別に、君を巻き込んじゃったことへの補填がなにかできないかなーって。……なにがいいと思う?」


 イオリという名の女の人は、少し困ったように、そう言ってケイルに笑いかけた。




 ――またまた余談であるが。


 謎の叫びを上げる巨大な獣が林の奥に生息しているという、数十年後にこの近隣で広まっている伝説。

 そこには続きがあった。


 その獣を退治するため、美しき神の眷属がこの地へ来訪し、女神の降臨を執り行なったという。

 しかし降臨した慈悲深き女神は獣を殺すことなく、神鳥の羽をもって林の奥から出てこられないよう封じたという。


 そんな伝説である。

 


 なお、神が降臨したその場所は、獣を起こしかねないために禁域かつ聖域として管理され、周辺の村は立ち寄るものが増えたことで大いに潤った。

 ――そしてまた、「ヒヤジル」や「タキコミゴハン」や「アクアパッツァ」といった、名産の干物を使う独特な魚料理を売りにし、さらに「フランチャイズ」というまったく新たな仕組みを用いて周辺3国まで支店を展開した、大豪商ケイルの生まれた土地として、商人にとってもある種の聖地となっていた。

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