断章:港町の少年
ケイルは、この港町で生まれ育った。
今年で11歳になる。
父親は漁師で、自分の船も1艘持っている腕利きだ。この町で漁師は一番の花形といえる職業なので、ケイルも父を尊敬していた。
けれど父の船は、上の兄2人が譲り受けることになっている。それはケイルが生まれる前から決まっていたことだ。
だから彼は、父の知り合いで最も腕のいい干物屋のおじさんの店で働かせてもらうことにした。父に相談した上で、自分から頼み込みに行った。
将来、兄たちが獲ってきた魚を一等品の干物にして売りたいのだと、おじさんに説明した。
『楽な仕事じゃないぞ。ヒレやウロコが鋭い魚は多いから、下処理で手がボロボロになるし、塩水や調味液がその傷口に染みるんだ。干物の匂いも体中から消えなくなるし、天気に一喜一憂する毎日。買いに来る客には気の荒い旅人や、もっとたちの悪い奴らも混ざってる』
おじさんは怖い顔でそんなことをケイルに語った。
そのときは説明された内容やおじさんの顔と口調に泣きそうになったが、どうにか我慢して翌日から働くことになった。
おじさんの語った内容は、間違っていなかった。
それでも、ケイルがこの店で働き始めて、もう4年になる。
――そして、今日やってきたお客は、今まで来たお客の中でも飛び抜けて目立つ人たちだった。
背が高く、強そうで、格好いい男の人。
ケイルよりちょっと年上の、輝くような金髪の可愛らしい女の子。
そして、同じ人間なのか疑いたくなる、信じられないほど整った顔立ちの女の人。
旅人の来訪が多い町だけど、そういった人種に比べて軽装だし、汚れていない。余裕のある物腰は、名の知れた戦士や財を成した商人に通じるものがあった。
でも戦士にしては誰も武器を持っていないし、鎧などもつけていない。だいいち女の子と女の人はとても闘えるような外見ではない。
かといって商人にしては宝飾品などのない実用的な身なりだし、彼らに特有の値踏みするような視線がない。
富豪や貴族だとしたら、もっとお付きの人がいるだろうし、だいたい自らこんな雑多な町には来ない。
とても目立つが、同時に素性のわからない3人組だった。
素性はわからないが、しかし貧乏人でもなさそうだった。
それなら、ケイルが働いている店のおじさんは声をかける。
「兄さん、えらく羨ましい身分だなあ」
……もっといい切り出し方はないのかなあ、とケイルは毎回のように思う。
でもこれで意外とうまく売り物を捌けるのだから、ケイルが未熟なためにそう思えるだけなのかもしれない。
そして今回も、声をかけられた3人は店先まで足を向けてくれた。
「味見してみな」
おじさん――働きだしてからは、親方と呼んでいるが――の一言で、ケイルはすばやく干物を1枚焼き始める。
珍しいことに、試食前から
「ここで買いましょう」
女の子の声が上がり、
「――イオリ様?」
「うん、任せる」
男の人が、女の人に尋ね、あっさりと商談が始まった。
イオリ、という名前なのだとわかった。
女の子と女の人は、仲良く試食をする。
美味しそうに食べてくれるので、ケイルも嬉しくなった。
少し話を振ってみると、丁稚奉公のケイルを侮るふうでもなく応えてくれ、
「――このあたりで、盗賊の集団とか凶暴な獣とかいないかな?」
イオリという女の人は、そんな質問をしてきた。
そしてケイルが教えた、獣が暴れているという林。
その方向に、昼間でもなお輝かしい光が天から降ってきたのは、あの3人組が買い物を追えて去ってから1時間ぐらい後のことだった。
町は、大騒ぎになった。
何があったのか騒ぐ大通りの店主たちの集団に、やがて町外れの教会から涙目の神官が近づいてきた。
「あれは神が降臨された証です」
――町は、さらに大騒ぎになった。
そのうちに町の外からも、いくつかの集団が押し寄せてきた。
近隣の町の騎士団、自警団、別の教会や団体の関係者、その他大勢の野次馬が。
当然、目立ちまくっていたあの3人組が何か関係しているのでは、という話題も上がった。
彼らとしばらく会話した親方とケイルは根掘り葉掘り何度も尋ねられ、売った明細以外は素直に話した。――卸値や販売量は個々のお客との大事な情報である。迂闊に漏らす商人に、ご贔屓はつかない。
本来なら会話内容だってそうそう他人に流すものではないが、殺気立った大勢に取り囲まれては、ある程度話さざるを得ない。
そうして午後はほとんど商売にならず、しかし普段以上にくたくたになって、ケイルは家路についた。
――そして、もうすぐ家につく手前の細道で、いきなり視界が暗くなった。
「――っ!?」
口に何か詰め込まれ、その上から縛られ、担ぎ上げられ、ものすごい速度でどこかへ運ばれていく。
やがて乱暴に地面に放り投げられ、息が詰まって咳き込んでいるうちに、目隠しや猿ぐつわが外されていく。
そこは町の外、海に続く岩場の陰だった。
目の前にいるのは、5人の男たち。
「――君が謎の3人に林のことを伝えた少年だね?」
真ん中にいる男が話しかけてきた。
笑顔で言葉も優しげだけど、ちょっとつついたら破裂して別の何かが出てきそうな雰囲気の、気味が悪い男だった。
ケイルは混乱しつつも、必死で頷く。
「何を話したのか、一言一句漏らさず教えてくれないかい?」
ケイルは正直に話した。
それは今日何度も、他の皆に説明した内容だ。
よどみなく、一部始終をケイルは説明した。
「それだけかな?」
頷く。
「ほんとうに?」
頷く。
「まあ、それならそれでいい。今はね。――ただ、これから少し遠出をすることになる。何か思い出したら、いつでも言ってくれていいからね」
男は、にいっと笑った。
「なん、で……」
さっきまで説明したときと違い、舌がうまく回らない。
けれどどうにかそれだけ、ケイルは口にできた。
「うん、そうだね。簡単に言えば、首実検というやつだ。……南に行くと、彼らは言っていたんだよね。なら、追いかけよう。それで、君の見た顔がいたら、すぐに教えてもらえるかな」
「あ……」
今度は、まともな言葉がでなかった。
「じゃあ、悪いけどまたしばらく黙っていてもらおうか」
ケイルのすぐ近くに立っていた別の男が、また猿ぐつわを嵌めようとかがみ込んでくる。
嫌だ。
怖い。
――助けて。
その瞬間。
ズドンッ
と、何かが空から降ってきた。