女神様、おひさ
私の出した大声は、周囲一帯に轟き渡った。
そしてその後に訪れたのは――完全な静寂だった。
ダメージを食らってなお石のように気配を消しているカゲヤ以外は、軒並みノックアウトされているらしい。
あたりにたくさんいた小鳥や虫も死――どうやら気絶してるようだ。
東京ではまず感じることのない静けさだった。
何も聞こえない。
誰も動かない。
そして、呼びかけたシアも来る気配がない。
単に聞こえてないという線もあるけど、奴のことだから『地上の生き物の呼びかけ1度で姿を見せるほど神は安っぽくありません』とかそういうことを考えている可能性も高い。
なので次なる1手。
さっきよりは声を落として。
「あのねシア、今の私、『天上の使者』ってことになっててね! さっさと出てこないと、この身分を悪用してシアを崇める教会なり集会なりに行って、あることないこと吹き込みまくるよ? なんならシアの眷属とかそんな名乗りも辞さないよ?」
「なにを言い出すのですかあなたは!?」
――釣れた。
「おひさ」
「不敬極まりない挨拶ですね!?」
「声が大きいよ、女神様」
「あなたがどの口でそれを言うのですっ」
地面から30センチぐらい浮かんだところに、前触れもなくシアは出現していた。
「いやしくも神たるこの身を脅迫まがいの手口で呼び出すとは、この手で神罰を下しますよ」
「具体的にどんなことをするの?」
「えっ、それは……」
「そもそもシアって戦えるヒトなの?」
「それは、その……」
「今のその状態って実体じゃないんでしょ。私も殴れないけど、シアもこっちに手ぇ出せなくない?」
「な、なんなのですイオリ? そこまで詰め寄らずともいいでしょう!」
だってシアのペースにしてしまうと私のストレスがやばそうだからなあ。
「でね、今日呼んだのは質問があったからでね」
「神に問いかけるものでありません。ただ信じて崇めなさい」
そう、この手の言葉に乗っかると話が迷子になる。
「なんで私はレベルアップできないの?」
「信仰心が足りていないのですよ」
「冗談はいいから」
「イオリあなた、礼節を地球に置いてきたのですかっ?」
「で、どうして?」
「――わかりました、落ち着きましょう」
「落ち着きながらでいいから説明よろしく」
「くっ――なんて話の通じない人間なのでしょう」
どの口が言うか。
「……いいでしょう、言いつけ通り魔王への協力は続けているようですし、多少の報酬はあってしかるべきですね」
「うん、がんばってるよ!」
王族のマナー講習とかね。
「なんだか引っかかりますが……。では、まず」
「うんうん」
「レベルアップとはなんですか?」
「駄目だ使えねえ!」
「なっ!?」
「おっと失礼、本音が」
「正直が美徳でないことをこんこんと説諭しますよっ」
「いや、あー、でもそうか。ねえ、シアって地上のことどのぐらい把握できてるの?」
「もちろんすべてを見通していますよ」
「冗談はいいから」
「だ、誰か! 誰か助けてくださいっ。神をも恐れぬ不埒者が現れましたよ!」
シアはあらぬ方向を見て助けを求めている。
そして、
「あっ、いえ、あなたを呼んだわけではありません! どうかそのまま遥か彼方へ――ああ、待ってくださいっ」
なにやら慌てふためくシアの横に、
「――なんだ、ずいぶん面白い存在がいるな」
燃えるような明るい赤髪をかき上げながら、私を見下ろす女が出現していた。
ていうか確実に、神様だよね。
私は跪いて、王族流の一礼をした。
「お初にお目にかかります。神々の一柱とお見受け致しますが、我が名を御耳に届けさせて頂く栄誉を賜っても?」
「ああ、許す」
「ありがたく存じます。――私はサクライオリと申します。こことは違う世界、地球という星から呼び寄せられ、仮初の身体に憑依している者です」
「私に対する態度とありえないほどの差が!」
うるさいよ、シア。
だって初見の神様相手にうかつな態度取れないでしょ。指先一つで消し飛ばされたらどうしてくれる。
赤髪の女神は、ああ、と納得する声を上げた。
「お前か。ラントフィグシアが色々やらかしてここへ招いた客人は。そうかそうか、ならばそう畏まるな。立ち上がり平時の振る舞いを取っていいぞ」
「ありがとうございます」
よかった、話が通じる系の神様だ。
「なるほど、しかし聞いた通り珍しい存在だな。異界の魂を持つ混沌の肉体か。ラントフィグシアのまずい説明を聞いた当初は、とうとうこいつ気が触れたかと思っていたが」
「そんなことを思っていたのですかっ?」
「ではまず、謝らせてもらいたい。この度は隣の大馬鹿女神が誠に失礼を働いた。どうか許して欲しい」
「いえ、それは、後追いでしたけど報酬を提示してもらいましたので、互いに同意した取引だと今は捉えています」
「――そうか、感謝する。あのときは私たちでこの大馬鹿を取り囲んでさんざん罵倒のち説教を与えてから、相手が納得する見返りを用意しろときつく言い含めておいたが……、無事にその話はついていたようだな」
「はい」
「私、何度も言いましたよね!? 問題なくその話は済ませたと!」
「お前の言い分は聞いててイライラするし信用もならないんだ」
あ、神様同士でもそうなんだ。
「――ああ、名乗りが遅れたな。私は熱を司る神、レグナストライヴァだ」
見た目から炎系だと思ってたけど、だいたい当たりか。
「あらためまして、サクライオリです」
「短名はサクラか?」
「いえ、イオリと」
「わかった。イオリ、すまないがこの馬鹿が地上に投影体を寄越したのはどういったわけか説明してくれないか」
「あなたもさっきの大声を聞いたでしょう、そして卑劣な手口で呼ばれたのです私が」
「お前はしばらく黙ってろ」
「なぜっ?」
愕然としているシアはほっといて、私は当初の質問をもう一度口にした。
「実は、私はこれまでに魔獣と人族を倒したのですが、この世界の人々のように強くなることができなかったのです。それでそのわけを尋ねたくて、シアを呼んだのです」
「シア? ――ああ! 短名か! はははっ、なんだラントフィグシアお前、短名なんてこっそり考えてたのか? 変わったやつだな」
「違います! イオリが勝手にそう呼び始めたのですっ」
「え、あの神様って短名はないんですか?」
「ああ」レグナストライヴァは楽しそうに頷いた。「その風習は地上だけだな。私たちは互いを略さずに呼び合う。地上の生物も、私たちには短名がないと考えている――というか、仮にあってもそれで呼ぶのは不敬だと思っているらしいな。自分たちが便宜上使っている略称だ。神に向かって己を短名で名乗るのも、神を短名で呼ぶのもありえないことだと考えているらしい」
「なるほど」
目上の人に向かって自分を下の名前だけとかあだ名とかで自己紹介するようなものだろうか。たしかにそれは失礼な話だ。
そして私は、バカ社長を勝手につけたあだ名で呼ぶ新入社員のようなもの。
「にしてもシアか。これから私もそう呼んでやろうか?」
「お断りしますし絶対他に広めないでくださいよ!?」
うーむ。
やっぱりシアが絡むと話がなかなか進まない。