お馬さんについて
馬車のなかは、なかなか快適だった。
馬車にきちんとしたタイプがあるのか、正式名称がなんなのかはわからない。壁と天井がついている完全なお部屋型タイプで、椅子ではなく、ふっかふかのクッションをいくつも床に敷き、私たちはそこへ横座りになっている。
ふたりで向かい合って座った時の空間的余裕は、『日本の普通電車>この馬車>新幹線でシートを対面にしたとき』ぐらいの感覚だろうか。
横には4人並んで座るのは全然平気、詰めれば5人でも、といったところだ。
床の下には、いわゆるサスペンションっていうんだったか、そういった衝撃吸収の仕組みがあるらしい。思ったほどの揺れは感じなかった。
後方には両開きの扉がついていて、そこの上部と、左右の壁にも窓がついているので昼間ならかなり明るい。
前方、御者台側は半分ぐらいまで壁があり、その上はカーテンだけになっている。雨のときなどはその部分も隠す戸板が用意されているということだった。
今はカーテンを開け放ち、御者台に座るカゲヤと、馬車を引く2頭の隆起する背中が見えていた。
「ねえ、フリューネ」
「なんでしょう?」
王族作法の講義は、さっそく始まっていた。
まずは言葉使いや姿勢などの基礎を学び、その後に様々な振る舞いや物腰への配慮、挨拶と食事のマナー、いくつか決まった動作の手順、笑い方、目の配り方、流行、各国王族の名前、文化、風習――
などなどを学ぶのだという。
助けて。
今は小休止中なので、私はいつもの口調でフリューネに尋ねる。
「この馬たちって、どうやってレベル上げたの?」
私が見たところ、レベル20ぐらいありそう。
この馬車だってずいぶん重いはずなのに、ペースは乱れずに進んでいる。
でも馬って草食動物だし、繊細だって聞いたことがあるし、だけどレベルを上げるには魔獣や魔族を殺す必要があるのだ。
――あ、キン◯ダムでは馬が攻撃したりしてたな。あの噛みつきは意外だった。ウィッ◯ャーの馬は戦闘に参加してなかったよね? ドラ◯エのどれかで馬を呼んで攻撃させる技があったような……羊だったか? 呂布を名乗るアレは例外。
「ああ、そのことですか」
フリューネは穏やかに微笑を浮かべ、ゆったりと視線を馬へ向ける。
そうしたひとつひとつに気品が溢れていて、うわあコレをものにできるのか? と不安になる。
「馬に限らず、獣に魔獣を倒させて能力を上げるのは、なかなか骨が折れるものだと聞きます。大荒野で捉えた魔族や魔獣を、ある程度弱らせてから、訓練した獣と闘わせるのだそうです」
あ、そういう感じなのね。
パワーレベリングってほどじゃないけど、似た考えかな。
「そうした獣を『戦獣』や『闘経獣』などと呼びます。方針は大きく2つに分かれておりまして、すなわち『気性の荒い獣を魔獣と闘わせ、強化した後に調教する』か、『調教した獣に命令して魔獣と闘わせるか』です。前者は調教師の死亡率が高く、後者は獣の死亡率が高い傾向になります」
「へえー。じゃあ、どっちかというと後者のほうが多いのかな?」
調教師がどのぐらい多いのかわからないけど、手懐ける訓練中に殺される仕事なんて嫌だろう。
しかしフリューネは
「そうとも限りません」
と首を振った。
「希少な獣は、時に調教師より優先されます。また野生のまま魔獣と闘い続けた獣を捕獲した際も、その価値はとても高いものになりますので」
「なるほど」
シビアな話だ。
「それにしてもフリューネ、ずいぶん詳しいんだね」
私がそう言うと、彼女はまた上品に微笑を浮かべた。
「イオリ様、『あらゆる物事の価値を知っている』という点が、王族には特に必要となるのです」
「……はあ……」
わかるような、わからないような。
「王族は膨大に上がってくる報告を整理し、自身の目と耳と頭で得た情報も足し込み、国全体の状況を把握するのが第一歩となります。そこからどのような政策を打ち出し、どのような効果を想定するか、それを決める際に最も重要なのが『国の価値がどのぐらい上がるのか』という点です。ここでいう『価値』とは、商品の価格という定義ではなく、人口、軍事力、危機予測と対策、生産性、成長性、民の安心感など様々な要素を意味します」
「……はい……」
おかしい、いつの間にか講義のお時間に戻ってしまっている。
「闘経獣の価値、調教師の価値もそれらの一要素です。価値を計るには、それらを1頭あるいは1人用意するのにどれだけの時間と労力が必用で、維持するのにどれだけの金銭が必用で、どれだけの利益を生むのかを理解する必用があります」
「……はい……」
「ですから、イオリ様にお答え差し上げたようなことも知っておりました――などと偉そうに申してしまいましたが、実のところ私もまだまったく知識は足りておりません。今回はたまたま、私の知る内容をイオリ様からご質問頂いただけで、運が良かったと安堵しております」
年下の女の子に、謙遜されている……!
「ちなみにこの馬車を引いている2頭の白毛は、とりわけ血統の良い馬を一流の調教師が手塩にかけ、弱い魔獣から順に闘わせていった特一等級です。前の馬車を引く黒毛2頭は、白嶺の裾野で一定の縄張りを持っていた強靭な馬の群れから捕獲したものです。戦力としては黒毛のほうが優秀ですが、従順さでは白毛のほうが勝ります」
「なるほどねえ……」
私は軽快な調子で進み続ける馬をあらためて眺める。
さっき間近で見たとき、けっこう目とか可愛かったんだよね。
「うん、この子らに闘わせたりはしないよ。その前に私が倒すから」
そう言うと、フリューネは目を見開いた。
「――え、あの、恐れながらイオリ様、レベル1だと昨晩伺いましたが……」
うん、また失言したかな?
でもこれはそのうちバレただろうし、いいか。
ひとまず御者台に座るカゲヤの背中に、内心で謝っておいた。