自分との初対面
うん、ここまでひたすら質疑応答を受けてきたんだから、少しは要望を出してもいいよね?今のところふたりとも紳士的対応だし……。
少しだけ、緑髪の男がためらう素振りを見せた。
すると、黒髪の方が立ち上がる。
黒髪の男は、緑髪に比べると日本語の理解はまだまだである。しかし今の質問はわかったらしい。
彼は壁際へと進み、重々しい取っ手のついた両開きの扉を開けた。
それは出入り口ではなく、天井まで達する大きな鏡だった。
開かれた引手の内側も鏡張りの、三面鏡だ。
そして、
「……」
その大きな鏡は、やや離れた位置のソファに座っている私も、そこそこきちんと映し出していた。
両手や両足は、それまでも視界に入っていた。
黒板も鏡ほどではないにしても、私のシルエットをぼんやりと映してはいた。
……だから、そこまでの衝撃ではない。
立ち上がり、鏡の正面に立つ。
月の明るい夜空みたいな、深い藍色の髪。
人形みたい……というか人形そのものみたいな、無機質めいた白い肌。
大きな、赤と青が入り混じった瞳。
完全に別人の顔が、そこに映っていた。
「うーむ……」
思わず唸り声が出る。
幸いなことに、地球人的な目線で見ても美人である。
本来の顔ではないので恥ずかしげもなく例えるなら、エルフとか聖職者とか、それ系の清楚な美女である。
好みの問題だが、女幹部とか女戦士とか、そういう系の顔立ちじゃなかったのは良かったかもしれない。内面が根暗だし、運動神経も途絶えてるからね。
男2名の顔立ちや身だしなみからして、この場所の審美眼はあまり違っていないと思う。それならこの顔も、この世界的に美人で通用しそうだった。
まあ、首から下が人じゃないんだけどね。
さっきから視界に入っていた腕と同じで、肩や胸元も滑らかで陶器のようだが、関節部分は細いケーブルの束みたいなものがむき出しになっている。
――あれだ、いわゆるオートマタみたいな風体だ。ゴスロリ目隠し美女の方ではなく、宝具スキップできない某スマホゲーのエネミー的な感じの。
スカートの丈が長いので足首しか見えないけれど、そちらもまあ腕と似たような感じに思える。
胴体がどんなものか見ておきたいところだが、さすがにここで服を脱ぎ捨てる訳にはいかない。
ちなみに胸はそれなりにあった。いや、服の下ではどんな見た目をしてるのかはっきりしないけど。
全体的に、とりあえず、人型なのはラッキーと思っておこう。
手袋やブーツにハイネックで三首を隠せるぐらいの服装になれば、ちょっと血色の悪い人類でも通りそうだ。
さて、今の姿を確認できたところで、次の質問だ。
「私は、私の世界に、行ける?」
戻るとか帰るという言葉はまだ説明してないので、こういう聞き方になった。
私にとって、最重要の質問のはずなのだが、自分で驚くほどさらっとそれを口にしていた。
おそらくこの姿――今の私の身体は、本来に比べて頑丈なのだろう。
たぶん脳内、いわゆる精神力みたいなものも。
じゃあなんで記憶は変わらず持っているのかとか、そんなのは知らない。後で男たちが教えてくれるだろう。
私の問いに、
「はい」
と、黒髪の男が頷いた。
……これまたあっさりと、頷いてくれた。
そして緑髪の男に目配せする。話すのはまだ苦手だからだろう。
「イオリ様はいつ行くできます」
いつでも帰れます――と解釈していいのだろう。
「しかしですが、大きい金が出ます」
「ん?」
「1回、大きい金、出ます。1回、長い時間、ここ、ありがとう言います」
ええと……。
「通行料みたいなものが高いから、できれば1回の滞在を長くして欲しいってことですか」
こんな長いセンテンスを理解できるわけではないので、黒板にお互いの世界と矢印と門みたいな絵、それにお金と時間の概念に『大きい』という記号などを駆使し、私は男に確認を求めた。
どうやらそういうことらしい。
私はもとの世界のスケジュールを振り返る。たしか、明日は必須講義はない。ゼミもなかった。でも夕方にはバイトがある。あ、冷蔵庫のなかにそろそろダメになるアスパラが、今日の晩御飯に使おうと思ってたのに。
……まあ、それぐらいならいいか。
私は壁の時計――かなり大きくて複雑な機構がついた水時計である――を見て、緑髪の男から聞いたこちらの時間単位と地球時間を比べ、地球側で明日の昼ぐらいと思える時刻を示した。
「ここになったら帰りたいです」
緑髪の男が黒髪の方を伺うと、黒髪は「わかりました」と答えた。
……やっぱり、もっと偉そうな喋り方のほうが似合うよなあ。
終了時刻の合意が取れたことで、私はいくらか安心し、それからまた黒板を使って相互理解に努めた。