人族の領土へ
「見えました……」
息も絶え絶え、といった風情のエクスナが久しぶりに口を開いた。
――そう、いつも賑やかな彼女が黙るぐらい、疲労はピークに達していたのだ。
「あれが最初の目的地?」
私が尋ねると、
「はい。――人族の領土最北に位置する国家、白嶺から降りてくる魔獣や、稀に来襲する魔族から鉄壁の守護を誇る強国――、北方の大盾と呼ばれるラーナルト王国です」
カゲヤが説明した。
白嶺突入から10日目、下山ルートに入っていた私たちの視界に、久々の地上が広がっていた。
白い大地に、黒い城壁、その内側に建てられた家々と大きな城。
中世ファンタジー風のお城ではなく、黒い金属でできた要塞みたいな外観である。
そのまま浮上して空中戦艦になったりしそうな感じの。
「申し訳ありませんが、ここから少々迂回し、通りづらい進路となります」
「そうなの?」
「はい。このまま道なりに進んでしまうと、見張りに気づかれますので」
そこから地上に降りるまで、さらに2日半を要した。
「――このあたりで休みましょう」
カゲヤが言ったのは、白嶺から続いている細い川のほとりだった。
「あー、ようやく白嶺も終わりましたねー」
荷物をおろし、針葉樹に背を預けながらエクスナが言った。
「すごいですよね……、この人数で、全員無事だったなんて」
モカもほっとした表情だ。
「それで、ここからどうするんだ? ラーナルトに潜入するのか?」
リョウバがカゲヤに訊くと、
「そんなところです」
と彼は答えた。
「たしか山から見えたのが王城なんだろう? 領土の端、しかも白嶺寄りに王が住む奇特な国家だと聞くが」
「その通りです」
「なら『審門』があるだろう。避けて通れるのか?」
「なにそれ?」
私が訊くと、リョウバが説明してくれる。
「見た目では判別できない魔族と人族を識別する手段の総称です。たとえば専用の道具を埋め込んだ門や通路、僅かな気配の差を嗅ぎ取る専門家、似たような能力を持った獣、引っ掛け問題を無数に仕込んだ問答など――、基本的には各国内の秘匿技術で、また数も限られるため大抵は国門や王城、謁見の間など要所に配置されます」
「言ってしまえばイオリ様ご自身もその一種ですね」
エクスナが言う。
「あ、そっか。なんなら私、これで働き口とか探せるのかな」
「むしろバレたらそこらじゅうから誘拐されるぐらいの価値をお持ちですよ。……うまく拐えるかはともかく」
「で、どうするんだ? お前とエクスナは通れるだろうが……、イオリ様はどうなんだろうな」
「んー、たぶん私も大丈夫な気がするけど、自信はないな」
「あ、イオリ様は間違いなく大丈夫ですよ」
「え?」
モカの発言に首をかしげる私。
「魔王城にも同様の装置はありますので。レベル測定器の製作へご協力頂いていた際に、それも確認済みです」
「あー、そういえばなんか妙な道具を触った記憶があるなあ」
あのときは次から次へ検査の連続だったので、いちいちどれが何なのか訊く余裕もなかった。
「……つまり、その3名で潜入する、ということか?」
リョウバの問いに、カゲヤは首を振った。
「いえ、全員で向かいます。――が、そのためにはこれを使わせて頂きます」
そう言ってカゲヤがリュックから取り出したものを見て、リョウバが唸る。
「――『蔓延する縛眼』か……」
「ええ、厳重に梱包していたので、動作に支障はないはずです」
六角形の容器に入った、アイボール系の魔物みたいな彫刻。
魔王様も私に使っていた、秘密保持の魔道具だった。
その日は早めに夕食をとり、そのまま床について、起きたのは深夜だった。
「……留守番してたいです……」
半ば目を閉じながらエクスナが言う。
「仮にも暗部の所属が、夜に弱くてどうするのですか」
カゲヤがため息をつく。
「私はお昼時の影に潜む仕事が多かったんですよ……」
エクスナ以外のメンバーも、さすがに眠たそうだ。険しく厳しい白嶺を抜けたことで溜まっていた疲労が吹き出しているのだろう。
おくびにも出さないのはカゲヤだけだった。
「リョウバ、痕跡を消して頂けますか」
「ならしてから雪で隠せばいいか?」
「はい。このあたりの雪解けは当分先ですから」
テントまで片付け、各自またリュックを背負う。
「では向かいます。シュラノ、索敵を」
「……了解」
こちらも眠そうなシュラノが、もはや慣れ親しんだ魔力を放ち始める。
針葉樹が立ち並ぶ森の中、月明かりを頼りに歩き出す。
幸い、今日は満月に近い。というかこの世界は、大中小と月的な惑星が3つもある。
積もった雪が月を反射し、普通に明るかった。
「月の周期まで計算してたんですか?」
モカがカゲヤに尋ねる。
「一応、ここまでは。この先はイオリ様に進路を決めて頂くことになりますので」
「うーん、しばらくは色々訊かないと決められないけど……」
私はやや弱気になってそう言う。
「もちろん、できる限りお答えします。人族の領土については、北西は私、南西はモカ、中央ならエクスナが土地勘を持っております」
「え、モカ?」
隣を歩く彼女を見る。
「……はい、班長に連れられて、多少は……」
「うん、そっか……」
なんともいえない表情のモカに、私は深く訊くのをやめた。
「エクスナは、その中央にある国が故郷なの?」
「はい。中央には6つの小国があるんですが、私はその南に位置する国の生まれです。まあろくでもないとこですが、ある意味見る価値はありますよ」
「ふうん……?」
小声で会話しながら林の中を歩き続け、やがてちょっと開けた場所に出た。
「着きました」
とカゲヤが言う。
「なんもないですねえ」
エクスナがあたりを見回した。
彼女の言う通り、開けた場所だとは言っても、単に木がちょっと少なくなっているだけで、まだここは森の中である。
「そう見えなくては、意味がありません」
カゲヤは迷うことなく数歩進んだところでしゃがみこみ、
――がばり
と地面を持ち上げた。