断章:巻き込まれやすいモカ
突出したところのない、平凡な魔族。
モカの自己評価は、そんなところだった。
技術部門、ロゼル班――彼女はそこに所属している。
配属先を知らされた当時は、青くなったものだ。
技術部門に極めて危険な天才がいるという噂は前から聞いていた。
「ねえモカ、強めの魔獣の翼が10対ほど欲しいなあ!」
極めて危険な天才――班長のロゼルは、よくそんなことを言ってきた。
彼女が言う「欲しい」は、「取りに行こう」と同義である。
そしてモカは、ロゼルに引っ張られて魔獣の生息する地域で命がけの捕獲作戦を余儀なくされる。
そうしたことが日常茶飯事であった。
さらに厄介なことにロゼルは人族の領土にしかいない生物の素材を欲しがることも多く、研究室の壁にある班員の予定を書く掲示板には、モカとロゼルの欄に『敵地出張』と書くことがしばしばあった。
もちろん人族の領土へたどり着くためには、大荒野を踏破する必要がある。
当然ながら戦場を迂回しつつの潜入を行うのだが、バレるときはバレる。
というかロゼルは基本的に声が大きいし存在がやかましいので、わりとしょっちゅう見つかった。
そのたびにロゼルは嬉しそうな顔をして、新作の魔道具や薬品を使った攻撃を試みた。
そして無視できない割合で、失敗作だと判明して余計に窮地を招いたりした。
そうなるとモカの出番となり、効果を実証済みの魔道具でどうにかその場をしのぐ。
ようやく人族の領土に到着したら、今度は命がけで強力な獣を仕留め、帰りにまた大荒野を駆け抜ける。
そんなことを繰り返しているうちに、モカは強くなっていってしまった。
イオリの言葉でいう『レベルが上がった』というだけでなく、いわゆる実戦経験も積み重ねていった。
結果として、モカは班内で『ロゼル係』というまことに有り難くない役職をなかば強引に押し付けられてしまった。
あのレベル測定の間で、第四軍の兵士たちと一緒にステータスを調べた際、モカのそれは一線級にいる兵士たちの平均よりちょっと下、というぐらいだった。
戦闘訓練を受けていない、技術部門の身としては破格の強さである。
レベルは34。
第四軍の平均レベルは、約30だった。
――まずい、と彼女は思った。
その場には軍属のお偉いさんが大勢いた。
目をつけられた、という実感があった。
モカは今の仕事が――上司はともかく――仕事自体は好きだ。軍になんて入りたくない。
加えて嫌だったのは、あちこちから感じる、いわゆる好色の視線。
彼女にとっては単なるコンプレックスでしかない、自分の身体つき。
……けれど、直後にカゲヤやイオリが見せた強大なステータスと、イオリがお偉いさんがたに放った威圧のおかげで、モカへの注視は薄れたのが救いだった。
魔王と対等に会話できる貴人なのに、自分へも気さくに声をかけてくれ、折に触れて気遣いも見せてくれる優しい方。
モカがイオリに抱いたのは、そんな印象だった。
もともとはバランからの依頼でしぶしぶながら申し込んだ選抜試験だったけれど、今となっては調査隊に入れてよかったと彼女は思っていた。
ロゼルのおかげで蓄えた魔獣に関する知識や、多少の戦力や、技術部門としての能力を精一杯発揮しようと、生真面目な彼女は決意しての旅立ちだった。
――そして、白嶺。
予想していたのと同じぐらい厳しい登攀だった。
……つまりは、地獄のようだった。
道とは言いたくない険しいルート、容赦なく吹き付ける零下の風、足を取る雪、断崖絶壁、四六時中かつ四方から襲ってくる魔獣の群れ。
ここまでで最も表彰されるべきは、あり得ない索敵術を駆使するシュラノだと彼女は思う。
そして戦闘面においては、近接の練達者カゲヤと、正確かつ強力な弾幕を操るリョウバがいる。
さらにイオリが、冗談かと思える身体能力で冗談みたいな芸当を要所要所で見せる。
エクスナは場の空気を軽くしてくれるし、初日には単身で魔獣の群れに突入し、ボスを片付けてみせたという。
……正直に言って、一番役に立っていないのは自分だと、彼女は考えていた。
――そして現在。
黒い翼を持った魔獣が襲来し、雪崩から逃げて崖へ取り付いたはいいが、咆哮を食らって平衡感覚を失い、間抜けに落下してしまった。
自分で注意しておきながら、この樣だ。
脳がはっきりしてから、落下のダメージを確認する。
――出血はなし、骨に異常もなさそう、受け身を取れなかったので、接地点の左肩や腰に鈍痛。
雪崩によって積もった雪のおかげで、たいしたことはなさそうだった。
落下中、エクスナが叫んでいたのを思い出す。
……同じように脳を揺らされていたはずなのに、なんであんなにハキハキと喋れていたのかは謎だ。
ともあれ、彼女のステータスは自分よりも低い。レベルは確か4だったか。打ちどころがわるかったら――
周囲を探すと、ほとんど白一色の中に黒と青の配色がぽつりと見えた。
彼女の着ていた服の色だ。
雪をかきわけ、苦労してそこまでたどり着く。
上空では、例の咆哮が続いていた。けれどある程度の指向性があるようで、それは崖の上にとどまっているイオリたちへ向けられてた。モカも多少耳に響く感じはあるが、動作に支障が出るほどではない。
エクスナは、頭から雪に突っ込んでいた。
腰から上が、雪面から飛び出ている。
――もしもイオリがこれを目撃したら、『犬○家!』と叫んだであろうことは、モカには知るすべもなかった。
「よいしょ」
両足を掴んで、引き抜く。
気絶しているようだ。
そっと寝かせて、頬を軽く叩いた。
「エクスナ? 目は開けられる?」
「はい大丈夫です」
ぱちりっ、と彼女は目覚めた。
――ちょっとホラーじみた反応速度だった。
彼女は目だけで周囲を伺いつつ、
「……頭部に打撲、肩を亜脱臼、背中の筋に軽度の断裂、耳に裂傷――まあ、たいしたことありませんね」
彼女の大小判断は、モカのそれとはだいぶ違うようだった。