行動力:A
最初に目に入ったのは、近くにそびえる山の頂上、そこに積もった雪の一部が崩れたところだった。
その下方に積もっていた雪も、連鎖的に剥がれるようにして崩れてゆく。
崩れた雪は白い煙を上げ、その煙はみるみるうちに大きくなる。まるで早回ししている雲の映像のようだった。
山は私たちのいる場所と地続きになっている。煙はところどころに突き出た岩場を、波が防波堤を飲み込むように覆い潰し、さらに巨大になって襲いかかってきた。
「――反対の登りへ!」
カゲヤが叫び、
「踏み台に」
シュラノが私たちそれぞれのすぐ近くに、見慣れた魔法陣を浮かべた。
全員迷うことなくその魔法陣に飛び乗る。雪崩とは反対方向に立ちはだかっている崖の、どうにか足場にできそうな位置を各自が探る。
視界の端で、全員が弾丸のように魔法陣から射出され、崖のあちこちにしがみついたのが確認できた。
雪崩は私たちが直前までいた場所に達すると、対面の崖にぶつかって左右に広がり、その場に濃い雪煙を高々と舞い上がらせた。
私たちのいる高さをあっさりと越え、視界が濃密な白一色になる。
呼吸をすると冷たい氷の粒が大量に入って、噎せそうになった。
「左前方、上空20!」
視界の効かないなか、右手からシュラノが珍しく大きな声を上げる。必要なときは声を張れるのか。
ギィン!
とシュラノが示した方角から、甲高い音――魔獣の咆哮が鳴り響く。
「うぅ……」
左から、モカの小さな呻きが聞こえた。
ほとんど同時に、
「落ちます! 死にはしません! でもあとで絶対助けにきてくだ――」
超早口でエクスナが叫びながら、その声も一緒に下方へ落ちていくのが聞こえた。
脳を揺らす咆哮――モカが注意していた攻撃か。
うん、もちろん絶対に助ける。
あと、あの魔獣は許さん。
「落下地点補足、2名、生存」
すかさずシュラノが声を飛ばし、瞬間的に沸騰しかかった私の頭も一気に冷える。
――再び、咆哮。
2度、3度と連発される。
ちょっと耳がじんとするぐらいだ。効かないっての。
雪煙はまだ濃いが、魔獣の濃厚な気配は伝わってくる。位置は掴めた。
私がいる崖の足場は、つま先がちょっとはみ出すぐらいの幅しかない。左右にも動けない。腰のあたりの手頃な出っ張りを左手で掴んでいるので、安定感はある。
「コントロールはどうなんだろうなあ、この身体」
右足を宙にして体を捻り、左半身の支えを軸に溜めを作り、右手に持ったままだった魔獣の角をブーメランのように投げつけた。
人間大の巨大な角が、雷を纏いながら飛翔する。
「――グギイィィッ!」
雪煙の向こうから悲鳴。
よし、命中!
「ギッ、ギグッ!? ギィィガァァツ!」
どさりと、何かが落ちる音がした。
魔獣の気配はまだ上空にあるから、刺さった角を抜いたってところか。
あの雷を体内から食らっても動けるだけの耐久もあると。
じゃあ第二弾。
――の前に、
「わたし飛ぶから、撃たないでねー」
その言葉にカゲヤが慌てて、
「お待ちを――」
ごめん、待たない。
モカとエクスナが埋もれて凍死か窒息しちゃわないうちに倒す。
というわけで、いっきまーす。
跳躍。
空を飛ぶ魔獣めがけて、白い煙の中を一直線に。
「――ギ!?」
「まいどぉ」
狙い通り。
魔獣の肩口あたりに飛びついた。
素早く観察すると、魔獣の右足から血が流れている。火傷もしていてボロボロ。さっきの角はあそこに命中したのか。
むわっと嫌な体臭が押し寄せてくるので、手早く仕留めよう。
額に突き出た角を掴み、顔面へ拳を――
「あら?」
魔獣の全身から、一瞬でどろどろと体液がにじみ出てきた。
黒くて、酸っぱい匂いがして、たぶん毒か酸的なもの。幸い私の義体は耐性があるようでダメージこそないが、その体液は非常にぬるぬるしていた。
角を掴んだ手も、足を踏ん張っている肩のあたりも、あっという間に摩擦を失い、
「あらら?」
残念ながら飛行能力を持たない私は、間抜けな声を上げながら落下していった。
――ぼすんっ
まあ、下が雪じゃなくてもこのぐらいの高さじゃダメージは受けないけど。
しかし地面を覆う雪は雪崩のせいで表面の密度が薄く、立ち上がってまたジャンプしようとすると逆に足が埋もれてしまう。
困った、動きづらい。
――殺気。
頭上から、黒い魔力弾が向かってくる。
動きづらいので、両手をクロスしてガード。
「げっ」
痛くはないけど、服の袖部分が耐えられなかった。
防寒で着込んでいるが、まとめてぼろぼろになる。両手の肘までがむき出しになり、冷たい空気にさらされる。
こんな雪山で羞恥プレイを食らってたまるか。
しかし相変わらず動きづらいし、魔獣は近寄ってこないし、私に遠距離攻撃手段は――あるっちゃあるんだけど、なんていうか非常に使いづらいし。
打開策を探して集中する私の感覚器官に、ヒットするものが1件。
「シュラノ! 左斜め後ろに跳びたい!」
崖の上に向かって声を上げる。
返事はないが、ちょうどいい位置に魔法陣が浮かぶ。
急ぎつつも慎重に足元の雪を踏み固め、力加減を考えながら軽く跳躍、空中で姿勢を変えて、魔法陣から発射。
目指すは後方のちょっと離れたところにある岩場。
覚えのある気配が、そこから感じ取れた。
そこらのマンションぐらいある岩場の頂上に着地し、その裏側を見下ろす。
「おひさ」
そこにいたのは、2頭の魔獣。
私たちと魔獣の戦いを覗き、あわよくば餌を横取りするか残飯目当てだったのか。
まあ、いい。
青い毛皮に立派な角――1頭の角は、片方折れていたけれど――見覚えのある魔獣に向けて、私はにっこりと微笑んだ。
そんなに怯えた目をしないで? 私はただ君たちのドロップアイテムが欲しいだけなんだ。