観戦モード
「1頭が迂回を開始。前方に伏せると思われる。2頭は徐々に距離を詰めている」
シュラノは淡々と語る。
その言葉に、思わず振り向こうと――
「イオリ様、ご辛抱ください。気取られればいったん離れるでしょうが、次は数を増やすか夜襲をかけてくるでしょう。今襲わせるほうが消耗が少ない結果となります」
カゲヤに機先を制された。
「あっ、ごめん!」
「滅相もありません。――前方、あの大岩の裏に休憩を取る振りをしたいのですが、間に合いますか? シュラノ」
その言葉への相槌のように、シュラノの身体からうっすらと魔力の気配が広がったのがわかった。
魔獣に狙われていると知って、無意識に集中力が上がっていたから辛うじて感知できたぐらいの、弱い波長だった。
そして、
「問題ない。先行した1頭はさらに先まで向かっている」
とシュラノは言った。
全員が緊張感を高めながら足を進める。
高さ3メートルぐらいの黒い大岩の影、やや平らになった10メートル四方ぐらいの場所でいったん足を止めた。
「今、どのあたりですか」
カゲヤの問いに、またシュラノが魔力を発する。
「後ろは距離15、前方は距離10」
「ではシュラノとリョウバは後方をお願いします」
「わかった」
落ち着いた口調で答えるリョウバと、無言で頷くシュラノ。
「ああ、疲れた」
振りではなくガチの休憩モードになり、荷車からお茶の道具一式を取り出して用意を始めるエクスナ。
「まあ戦闘は野郎どもに任せてゆっくりしましょうよ」
カップを3つ取り出す彼女に、私とモカは顔を見合わせる。
「――エクスナ個人に言いたいことはありますが、その通りです。お任せを」
しかめ面で腰をおろし、自分も休憩する素振りを見せながら警戒を緩めないカゲヤ。
まあ、ひと休憩入れるにはいい時間だけど。
「それにしても、よくシュラノは気づいたよね。さっきのアレ、近くの敵を探す魔術とか、そういうの? なんか魔力は感じたけど、なにしたのかまではよくわからなくて」
私が聞くと、珍しくシュラノがはっきりとこちらに顔を向けた。
他のメンバーも、ぽかんとした顔で私を見ている。
――あれ、なんか変なこと言った?
「……周辺探査という魔術……」
シュラノはまじまじと私を見てぽつりと一言、それ以上の説明をしてくれない。
リョウバが吐息をついてから口を開いた。
「範囲内の地形や生物を把握できるという非常に有能かつ希少な魔術です。戦場に限らず、様々な状況で高い効果を発揮しますので。しかし難易度もまた非常に高いと聞きます。広範囲にわたる魔術で、跳ね返ってくる情報量が多く、しかもそれを気取られないよう隠蔽しなければならないので」
「あ、なるほど」
探されてる、ってことを敵に気付かれないようにする必要があるのか。
「限界まで水を入れたコップを持って、1滴も零さぬよう全力疾走するような精密さが必要だといいます。――私の軍にも1名おりますが、その者は準備として20分ほど瞑想が必要で、発動は日に3度が限界でした。……この白嶺を登りながら連発するシュラノは、正直言って信じられません」
「へえー、すごいんだねシュラノ」
感心する私に、珍妙な生物を観察するような視線を返すシュラノ。
「……感知されたことの理屈が通らない……」
小声でそんなことを言っている。
「まあまあ、イオリ様は天上のお方ですからねえ、なんか特別なんですよきっと。はい、そういうわけで安心しておやつにしましょう」
いつの間にかお茶からおやつにグレードアップしているエクスナの支度。すでに火を焚いてお湯を沸かし、クッキーとドライフルーツのケーキを皿に盛っている。
ポットに発酵した茶葉を入れ、高い位置からお湯が注がれていく。
「なんだか手慣れてるね、エクスナ」
「あ、わたし料理とか趣味なんですよー」
「へえ、私は苦手なので尊敬するなあ」
モカも会話に加わる。
「モカは普段の食事どうしてるの?」
「たまに食堂へ行きますが、いつもは水と栄養剤で……」
「それでどうやってそのスタイル維持してるの?」
「どこを見てますかイオリ様!?」
なんだか女子会的なトークをしているうちに、私にも近づいてくる何かの気配が感じ取れた。
視界には写らないけど、間近にいる。
押し殺した殺意――いや、食欲?――が流れてくる。
「来るよ」
私が言うのとほぼ同時に、女性陣を挟んで座っていた男3名が、別方向にそれぞれ跳ねるような勢いで立ち上がった。
襲ってきたのは、やけに足の長いサーベルタイガーみたいな魔獣だった。頭の位置が2メートルを軽く越えている。白地に黒い模様の毛皮で、牙は人間の前腕ぐらいありそう。
「ムルチナっていう魔獣ですねえ。足が長いんで、こういう岩場で器用に動き回るんですよ。基本的に白嶺でしか見ないんで、あの毛皮がけっこう高値で売れます」
エクスナが残ったお湯でカップを温めながら説明してくれる。
1頭が大口を開けてシュラノに飛びかかるが、寸前で盾のように魔法陣が浮かび上がり、魔獣を跳ね飛ばした。
「……あの魔法陣、見覚えがあるような」
魔王による、うさぎ跳び地獄飛行に使われたアレと似ていた。
「盾に刻んで剣を弾くのが普通の使い方なんですけど、陣だけで重たい魔獣をふっ飛ばすのは常識からちょっとはみ出てますねえ」
紅茶を蒸らしながらエクスナがさらに解説する。
「研究部門では有名な方ですけど、魔術の実践でも凄いんですね」
モカも感心していた。
一方リョウバに対峙する魔獣は、大岩の上に陣取って唸り声を上げている。
そして高所からジグザグに跳ねつつ、その長大な爪で襲いかかってきた。
リョウバは余裕を持って躱し、左手の短剣で胴を薙ぐ――が、浅い。その白い毛皮に血が滲んでいるけど滴り落ちるほどではない。
白い魔獣は苦しそうに唸り声を上げながらも動きは鈍らず、また高所に陣取って隙を伺うように身を低くした。
「高山の魔獣は、獲物にありつく機会が少ないので栄養を効率よく脂肪に換えます。そして次の獲物を仕留めるまでにだんだん痩せていき、だぶついた毛皮が斬撃や打撃への耐性を高めるそうです」
「あのナイフは業物ですが、相性悪いですねえ」
モカとエクスナの解説が聞こているのか、リョウバが苦笑いした。
そして、すっと彼の右腕が上がり――その腕が形を変えていった。
魔族の戦闘モードってやつかな。
赤い金属のような質感が腕を覆い、膨らみ、均一で滑らかな円筒になっていく。
――あれは……!
赤く輝く円筒――いや、銃口と化した右腕を魔獣に向けるリョウバ。
ロッ○マン! ロッ○マンじゃないか!