白嶺
ここまでは快適な旅でした。
魔王城から飛竜で出立し、夜になる手前には目的地へ到着、その地を治める領主の歓待を受け、翌日は移動手段となる魔獣を交代して出発。
それを繰り返し、魔族領を東へと進んでいった。
快適な旅でした、はい。
朝食と夕食は各地の領主にごちそうになり、昼もたいていはお弁当を用意してくれる。そうでなくても荷物には保存できるし味もいい食材がたっぷり入っている。
夜は領主の城や邸宅にある客間を借り、日中の移動はスピードのある魔獣に乗って流れていく景色を楽しむ。
頼る領主はバランが予め決めて根回しも済んでいるため、食事中に怪しげな取引を持ちかけられたり軟禁されたりみたいなイベントフラグも立つことはない。
そしてとうとう、魔族領の東端にたどり着いた。
「……高いねー」
「ええ」
私のつぶやきに、モカが同意する。
「……険しいねー」
「はい」
リョウバも頷く。
山脈である。
左右にはどこまでも連なり、頂上は霞んで見えないほどの、大山脈である。
「これが、白嶺かあ」
魔族領と人族領を縦に二分する境界線。
線の下半分、つまり大陸南には大荒野が広がっており、戦線は主にそこで開かれている。
大陸北側で両軍がぶつかることは、まずあり得ない。
その理由が、この高く険しくどこまでも連なる大山脈――『白嶺』である。
「この山を乗り越えて行軍するだけで、8割が死ぬと言われています」
淡々とカゲヤが解説してくれる。
「残る2割も、疲労困憊のところに山脈を根城とする獣が襲ってくるため、ほとんどが食い殺されるそうです」
そこを進めと。
乗り越えろと。
「魔王様も無茶な計画立てますよねえ。いっそ大荒野を走り抜けたほうが生存率高い気すらしますよ」
エクスナがどこか楽しそうな口調で言った。
「……潜入調査ですからね。目立つ真似はできません」
モカはやや諦め混じりの笑みを浮かべている。
「理由については、もうひとつあります」
ぼそりとカゲヤが言った。
「え、あとなにが?」
私が尋ねると、彼は困ったように眉根を寄せた。
「……驚かせたいので黙っておくようにと、魔王様が」
あのイケメン、私をからかうのが気に入っていらっしゃるようで。
「ですが、魔王様とバラン様が採択した進路であることは間違いありません。詳しくは申し上げられませんが、確かにこの先を進むのが、最も効率の良い結果に繋がります」
カゲヤの言葉に、私は頷いた。
「うん、バランが言うなら間違いないね。それじゃあ行こっか」
「……イオリ様、失礼ながら魔王様へのご信頼が……」
またも困ったように最後を濁すカゲヤの肩を、エクスナがぽんぽんと叩いていた。
ここまで私たちと荷物を運んでくれたのは、サイに似た魔獣2頭立ての馬車――まあ馬じゃないけど他に適切な言葉が浮かばないし――である。
御者にお礼を言って、積んでいた荷物を下ろす。
ここから先はカゲヤの言う通り危険なので御者は同行させられないし、魔獣も寒さに耐えられず道幅も狭いためそもそも進めないのだという。
「では私はこれで。旅のご無事をお祈りしております」
そう言って御者は進路を逆に向け、この地を管轄している領主の元へと帰っていった。
「さて」
私は降ろしした荷物の小山を見る。
魔王城から運んできた衣類・食料・消耗品はあんまり減ってないうえに、各地の領主から餞別にと追加の補充も受けている。
けっこうな荷物量である。
6つの大型リュックに振り分けて詰め込み、さらに小さめの荷車に残りを積む。それでも余った分は、ロープやフックでやや強引に縛り付けた。
「イオリ様のお手を煩わすわけには」
とカゲヤが言うが、それは聞き入れられない。
「物理攻撃力の数字見たでしょ。単純な腕力とイコールじゃないけど、私が1位なのは間違いないんだから」
そう言って最も重い、飲料や酒が入ったリュックを私が背負った。荷車にも水は積んでいるけど、万一に備えてリュックにも分けているのだ。
ついでに荷車から落ちそうだった分もリュックにくくりつける。重量バランスが微妙だが、私の筋力ならあまり影響はなかった。
荷車はカゲヤが引き、先頭はリョウバ、左右にモカとエクスナ、後列に私とシュラノという配置で、山道を進み始めた。
「……」
正直、気まずい。
5人のパーティメンバーのなかで、シュラノとだけはまだ全然喋っていないのである。
横目で様子を伺うと、相変わらず影の薄い感じで、無表情で、黙々と歩いている。
なんの話題を振っても塩対応されてしまいそうな予感がしてしまう。
……まあ、とりあえずは慣れない山歩きに集中しようかな。
実際、山道はあまり整備されておらず、前を行く荷車はガタガタと揺れまくり、空には魔獣の影がちらほらと見える。
ああした飛行型魔獣がうようよいるうえに、その魔獣ですら山脈の頂上を越える高さまでは昇れないため、この道を自力で踏破するしかないのである。
勾配はかなり急で、ふと気づけば地上はかなり下の方になっていた。
既にエクスナは息が荒い。
「だいじょうぶー?」
彼女に声をかけてみる。
「いざとなれば荷台に乗るので大丈夫ですー」
それは大丈夫と言わない。喜界島じゃないんだから。
「そうなったら私が引き手になるからねー」
言った途端、荷車を引くカゲヤがじろりとエクスナを睨んだ。
「ちょ、怖っ! あなた人相凶悪なんですから凄まないでくださいよ」
「ならば自分の足を動かしてください」
「仕方ないですよー。私のステータス見ました? 物理攻撃力も体力も最下位でしたよ! どうです!」
「なんの自慢ですか」
人族2名が言い合っているが、別に険悪な感じというわけでもない。エクスナの性格も大きいだろうけど、魔王城に住む異端者同士、通じ合うところもあるのだろう。
「……シュラノも大丈夫?」
何気ない感じを心がけつつ、彼にも振ってみる。
「はい」
一瞬だけこちらを見て答えるシュラノ。
……簡潔なお返事で分かりやすいです。
しばらく黙々と進んでいると樹木の数が減ってきて、岩肌の露出が増え、風が加速度的に冷たくなってきた。
そして、
「中型の魔獣3頭、右後方より接近、距離40」
シュラノがふいに口を開き、そのことを告げた。