ワンマン社長の採算度外視
魔王の部屋から転移した先は、左右の壁に絵や彫刻が飾られた幅広の通路になっている。普段、私の部屋へ向かう時は彫刻のうちひとつを操作するのだが、今日は違った。
通路の先には、深い紺色の絨毯を敷いた大階段がある。左右に並ぶ燭台に灯る炎は、何を原料にしているのか一定間隔で色が変わっていく。
その階段の先には、豪華かつ頑丈そうな両扉。密度の濃い岩石を削り出したような風合いで、黒い岩肌を濃い紫の金属が縁取っている。
サーシャが扉を開け、バランが先に通る。
扉の向こう側はしんと静まっているが、なんだか、熱気のようなものが押し寄せてくる。はっきり言って、暑苦しい。春先や秋口の体育館に入る寸前に感じる温度差に近い。
「……あんまり向かいたくない気分なんですが」
隣に立つ魔王に小声で言う。
魔王はにやりと笑った。
「慣れておいたほうが良い」
そして魔王が歩き始め、私も後を追う。
扉を抜けると、宙に浮いているかのような視界が広がった。
大広間だ。しかも私たちが通った扉は、壁の上方に取り付けられており、中二階みたいになっている。扉の先は幅の狭い空中廊下、おまけに手すりが細いので、視界の先が広大な空間なのだ。
視線を下ろす。
広間の床、明るい色の石畳に一部絨毯の敷かれたそこには、大勢の魔族が跪いていた。
魔王はゆったりとした歩調で扉から横に伸びた通路を進み、すぐ先にどっしりと設えられている豪華極まりない椅子――玉座に腰を下ろした。
そう、ここは魔王城の中枢、玉座の間である。
扉から見て奥、玉座の左隣にはバランが立っている。
私は右隣に立ち並んだ。
沈黙は続いている。
魔王様が、モカたちの最終テストをしたときよりもさらに威圧的なオーラを放っているせいでもあるだろう。
私は広間に整列している魔族を眺めた。
玉座の正面――とは言っても高さが違うが――にはリョウバやモカたち5名のパーティメンバーが固まっている。
間隔を空けてその左右には、いかにも強そうだったり怖そうだったり偉そうだったりといった、おそらく重役っぽい方々が参列している。
彼らの背後にも、魔族が何列も続いて跪いている。
総勢300名ぐらいだろうか。
それでも広間にはまだまだ十分なスペースがあった。
「拝謁を許す」
魔王の口から低い声が流れた。
一拍空けて、皆が顔を上げる。
――うひぃ。
まず魔王に向けられた視線が、続いて私の方に殺到するのを感じた。
なんなの、この人ら貫禄ありすぎじゃない?
「まずは貴様らの功労を称えよう」
魔王の切り出した言葉に、一部から安堵の気配が漏れた。
「幾度か周知した通り、我は今、人族との最終決戦に向けた計画を進めている。各部門には様々な皺寄せが行っただろうが、滞りなく職務を全うしていると聞いている。貴様らの忠実と有能には、魔族全領土の平和をもって応えよう」
ざっ、と魔王の言葉に皆が再び頭を下げた。
隣に立って魔王の言葉を聞いている私はと言えば、その言い回しに微妙な気持ちを抱く。
――勝利をもって応えよう、とか嘘でも言えないんだなあ、魔王様。
「さて、これも知っての通りだと思うが、計画の一環として人族の領土へ長期の潜入調査を行うこととなった。これは通常の偵察や工作ではない。この戦争を終結させるために我が必要とする、とある情報を入手するための特命である」
魔王の言葉を聞くお偉いさん達の意識が、中央に集まっているモカたちに注がれている。
――うわぁ、みんな緊張してる。あ、エクスナ以外ね。
「そしてこの特命を実行する主体者が、我の隣に立つ天上からの使者、イオリだ。全員、この者の顔を頭に刻み込め」
げっ、また視線がこっちに。
感心した気配、品定めする気配、期待する気配、心配する気配、怪しむ気配、侮る気配――そういった様々な意を込めた視線が襲いかかってくる。逃げたい。一部の方々からは、もしかしてそれ殺意? みたいな気配まで刺さってくるし。
「道中、貴様らの管轄地域を通過することがあるだろう。人族の領土へ放っている斥候や密偵と接触する機会もあり得る。新たに派遣した者、手配した設備に加え、これまでにない魔道具の普及や概念の流布も並行して進む手筈だ。――ここにいるイオリに、最大限の協力をせよ。あらゆる融通を効かせよ。イオリの目的達成に邪魔立てするようなことがあれば、それが故意でなくとも厳罰に処す」
室内に硬く重たい空気が漂う。
……魔王様、だからもうちょっと緩い空気に――してはくれないだろうなあ。
私を呼ぶための転送装置開発から始まって、素体の研究だったり転送の費用捻出だったり、魔王自身も言ってた業務の皺寄せだったりで、魔王討伐マル秘計画には反対意見も多いようなのだ。
もちろん魔王討伐という目的も隠しており、人族との最終決戦てなフェイクを入れているが、それでもなお、莫大なコストには難色を示す部下が多いらしい。
まあ、そりゃあちこち極秘事項だらけで、具体的に何をしてどんな成果があるのか、全体を把握してるのは魔王とバランだけだと言ってたしなあ。
『計画を心良く思わぬ者が、邪魔をする可能性は潰し切れぬ。最悪、出立したイオリの排除を目論むことも考えられる。……最大限、抑えるつもりではあるが』
先日、魔王はそう言っていた。
今日の圧迫モードもそのためのものだという。
――ただ、業務の皺寄せについては、大きな要因として魔王様ゲームしすぎ、という点はある。
ロゼルの電池開発がなかなか順調に進んでいるみたいで、魔王はわりと気兼ねなく長時間プレイに勤しんでいるのだ。
ゲームを止めてくださいと日々苦言を呈するバランの苦労が忍ばれる。
「恐れ入りますが」
眼下から、突然野太い声が届いた。
「発言の許可を賜りますよう」