血塗れの護衛対象
「――イオリに抵抗があるのなら、そのままで良い。長旅で心労を患わせるわけにもいかんからな。……だが相応の威厳は保ってもらおうか」
魔王の発案で、私達は別室へ移動していた。
以前に魔王自身と戦闘訓練を繰り広げた大部屋である。
今日も壁や天上でスライムがうごめいていた。
……いやなことを思い出しそうになったので視線をそらす。
「これは合格した貴様らの参考にもなるだろう。――イオリの戦力がどの程度かというな」
魔王は、床に大きな魔法陣を浮かび上がらせた。
そこへサーシャが工事現場でおっちゃんが使ってるような一輪の荷車みたいなものを使って、どちゃどちゃとナニモノかの肉片や骨などを撒いていった。
かなりスプラッタな光景である。
そして魔王の身体から――表面の魔力ではなく、体内にある魂の坩堝から――光る水の球みたいなものが魔法陣へ向かっていった。
魔法陣がぶすぶすと黒い煙を上げ、血肉がもぞもぞと動き出し、さあっと赤い光が周囲を勢いよく照らした。
そして出てきたのは、
――なんだろう、地上に順応したホオジロザメがどっかでクマと交尾してできた愛の結晶、みたいな?
ぶっとい4本の足、灰色の毛並み、円錐形の頭部、トゲだらけの尻尾に、でかい口と無数の鋭い歯。
小型バスぐらいの大きさを誇るクリーチャーが、そこに誕生していた。
さて気になるそのレベルは――200かな? 300かな? あくまで私の主観だしどっちでもいいかな?
……とにかく相当強そうである。
……そして非常に嫌な予感がする。
「イオリ、こいつを仕留めてみせろ」
魔王は 無茶振りを 繰り出した!
「無理無理無理ぃ!」
首と手を全力でぶんぶん振って断るものの、「大丈夫だ」と魔王は微笑んでいる。
「……魔王様、我々は――」
ふと気づけば、私とクリーチャーの間に、ふたりの男が割って入っていた。
赤髪でガタイのいい方と、無口そうな黒髪の方である。
他の3人も離れたところで腰を落とし、即座に行動できるよう構えている。
やだ頼もしい!
「その反応は良しとしよう。――だが命令だ、下がっていろ。案ずることはない」
男ふたりは顔を見合わせ、それから仲良くこっちを見つめる。
「魔王様なに言ってんですか! 今こそパーティプレイを見せるときでしょうが」
「初見の貴様と合わせられる者などまずいないと知れ。第一、強敵とも言えぬ。以前に戦った際の私より遥かに下の相手だ」
「あんときも私は死闘でしたよ!」
「無傷だったではないか」
「疲れはしました!」
言い合う私たちを見て、頼れる我が仲間たちは何事か頷き合い、壁際へ下がっていった。
待って、ちょっとまって!
「いつまでもよそ見するな。生み出したばかりの魔獣は見境がないぞ」
ずしん、と足音が響く。
見れば生まれたての怪物は、真っ黒い眼球でぎろぎろと辺りを見回している。
すっ、と背後に気配が。
「サーシャ?」
おお、味方よ! と喜んだのも束の間、
「失礼致します」
サーシャは片手に持った霧吹きで、しゅっとひと吹き、私の肩口になにかをスプレーした。
「……サーシャ?」
「魔獣の好む匂いでございます」
一礼し、瞬間移動の如き速度でその場を離れる裏切り者。
「皆、よく見ておくがいい」
魔王の声を合図にしたかのように、巨大なサメ✕クマが私に襲いかかってきた。
「うわっ!」
ガチリと音を立てて空振る噛みつき攻撃。
私は背後にステップし、それを躱していた。
なんとなく、体温がいい具合に上がってくるのを感じる。手足が軽いのに力がみなぎっている。
魔王の無茶振りに慌てていた思考が勝手にどっかに去っていく。
いったん距離を取ったものの、さてどうしたものか。
魔獣の外見を見つめ、それから視界を切り替えて魔力や魂の様子を観察する。
顔周辺は噛みつかれるので近寄れないし、胴体はぶ厚い毛皮が打撃耐性高そうだし、尻尾はトゲだらけだから背後にまわるのも微妙だし。
――あ、手足が短いからか、なんとなくそこからの攻撃はなさそうな気がした。
じゃあ、とりあえず胴体を殴ってみるか?
「切り替えの速さと急場の度胸がイオリの特徴だ」
などと外野の解説が聞こえてくるが、今は頭に入れないことにする。
「ふっ」
横に回り、噛みつきが届かなそうな後ろ足付近に張り付く。イメージはモン○ンの双剣スタイル。
「よっ」
胴体に右ストレート。
「ギイィッ!!」
サメクマが甲高い悲鳴を上げた。
私の肘ぐらいまでめり込んだし、まあまあ効いてそう。
右から気配。
ダメージを受けながらも、魔獣は尻尾を横薙ぎに振るってきた。
「お?」
めり込んだ拳が、収縮した筋肉に絡まっている。引き抜くのに、ちょっと力が要りそう。
――避けきれないな。
飛んでくる尻尾に意識を集中し、トゲの同士の隙間を自由な左手と高く上げた右足で受け止める。
――なんだ、魔王の右パンチより全然軽い。
尻尾をはねのけ、反動でついでに引き抜けた右拳を同じ箇所にもう一発、より深く!
「うひぃ」
毛皮を突き破った感触。
魔獣の体内でなんかブルブル震えた何かに手が当たる。内蔵!? 内臓なのコレ!?
慌てて拳を引くと、ずぶりという音を立てて真っ赤な私の右手が顔を出した。穴の空いたサメグマの胴体からは勢いよく血が吹き出す。
「あ、その、ゴメン」
思わず謝る私。
「ギュガアアァッ」
急旋回して私に正対し、歯をむき出すサメグマ。
帯びている魔力が針のように私へと向かってくる。
それだけでなく目つきや姿勢や魂の光り方と流れ方などが、私に魔獣の意図を示してくる。
さっきまでは、おそらく『動くエサ』だと。
今は、『仕留めるべき敵』だと。
上がっている体温と逆に、冷えていく私の脳みそ。
「――ガァフッ」
喉奥から唸り声を上げながら再度噛みつきにかかるその頭部より高く跳躍し、縦に半回転、天上に足をつける。
「いい素材を落とせよ」
真下に突撃、血まみれの右拳を、サメグマの脳天にぶち当てた。
――硬い何かが壊れる手応え。
――その奥の柔らかい何かが押し潰れる手応え。
サメグマの背中に着地すると同時、その身体は力なく地面に崩れ落ち、ズズゥン……、と地響きを立てた。
「おっとと」
揺れる背中から床へ降り立つ。
サメグマの体内から光のかたまりが出ていき、上昇していった。
そのまま天井を透過。空まで昇っていくのだろう。
うん、近くで見てもやっぱりキレイだな。
「――はっ!?」
そのあたりで我に返った。
室内に目を向ける。
倒れ伏したサメグマの死骸。
満足そうにしている魔王様。
水桶を持ってこちらへ駆け寄ってくるサーシャ。
ほっとした様子のバラン。
目を丸くしたり口をぱくぱく動かしているパーティメンバーの皆さん。
そして客観的に己を見れば――魔獣を仕留め、返り血に塗れながら、何もないはずの宙をうっとりと眺めていた天上からの使者(仮)。
……神々の世界を誤解されたらゴメンね、シア。