断じて悪気はなかった
サーシャの一人称をどうするか。
別に『わたし』で不都合はないんだけど、さっきから意識をこちらの会話に向けていたし、ひとりだけ仲間はずれみたいになるのも忍びないしね。
しかし『わたくし』はバランに使っちゃったし、何がいいだろう?
いや、3人目でいきなり被るのもなんだしさ。
掃除の手は止めないものの、意識だけでなく目線もちらちらとこっちに向け始めるサーシャ。
うーむ、できるメイドさんで美人で表情動かさない系で銀髪で――。
……いっそギャップ狙いでいくか?
「これはちょっと高等技術なんですが、一人称『サーシャ』はどうでしょう?」
言っちゃった、言っちゃったよ私!
もう後には引けない。
論理的に説得してみせる!
「あの、それはどういう……?」
さすがのサーシャも、戸惑っているようだ。
「つまりですね、『私は何々をします』みたいな台詞を、『サーシャは何々をします』っていうふうに変えるんですよ。これがどういう意味合いをもたらすかというと、自分を名前で呼称することで、逆に客観性を表すわけです。魔王様の『我』みたいに確固たる個人ではなく、『サーシャ』という魔王様の付き人であるということを常に意識することができます。自分を指す一人称と言うより、その場で特定の役割を持つ自分という1人を指す――1.5人称とでも言いましょうか」
いいぞ私の脳みそ、地球なら絶対こんな長ゼリをよどみなく喋れないけど、今の高性能な頭と口ならいける!
サーシャは感心したように聞いている。
「サーシャさんのお仕事の目的は、魔王様に快適な環境で働いてもらうことですよね。そのとき究極的には、サーシャさん自身より魔王様を上に置いた考え方をする、己の欲を消して主に仕える――難しい日本語ではこれを『滅私奉公』と言います。自分をあえて名前で呼ぶことで、『私』を消して『サーシャ』という『魔王様に仕える1人』であることを自他ともに示す。まさに主を立てる側仕えの理想像。これこそサーシャさんの忠義を魔王様に見せる最適な一人称ではないでしょうか!」
すうっ、と、サーシャの瞳から一筋の涙が零れ落ちた。
「ええっ!?」
マズい、突っ走り過ぎたか?
さすがに一人称が自分の名前はイヤかっ?
「……私は言葉が足りないと、よく言われるのです」
しみじみとした口調で、サーシャは言った。
「怒っているのかと、疑われがちで。魔王様にも、たまに怖がられる始末で……」
「待て。いや、確かにそんなことを口にしたかもしれんが、そこまで思い詰めていたとは――」
魔王が少し焦っている。
「そんな私の本意を、見事に言葉にしてくださり、さらにその言葉を凝縮したかのような意味を持つ一人称を与えて頂けるとは……」
掃除の手を止めたサーシャは、こちらへ歩み寄ると私の手前で跪いた。
「サーシャは、魔王様の忠実なる側仕えとして、魔王様の最重要客分であるイオリ様へもこの微力を尽くさせて頂きたく」
……会心の一撃だった模様!
「あ、うん! ……これからもよろしくお願いしますね、サーシャ」
「はいっ……」
万感の思いを込めたように深々と頷くサーシャ。
……どうしよう、今更ながらに罪悪感が襲ってきたような。
これってあれだよね、日本語勉強中の外国人に変な言葉を使わせて、それを笑うような。
そんな最低野郎になってない?私ってば!
……いや、落ち着け、冷静に考えろ。
そもそもこの世界には、言葉遣いがおかしいからと言ってそれを笑う日本人がいない。唯一の日本人である私は彼女が自分をサーシャと呼称することをもちろん笑わない。むしろギャップで萌え苦しむ。
だから悪意あるからかいじゃない!セーフ!
――待て!まだ油断するな。
たしかに悪意はない。
だが結果的にはサーシャの可愛いところを見たかったという私の欲求を満たしている。
これはむしろ、無垢な少女に色々言わせて喜ぶセクハラ野郎的な感じじゃない? 私ったら。
……アウト? やっぱりアウトか?
いや、まだ踏ん張れる!
そうだ、私がサーシャに脊髄反射で喋った内容を、『この世界の正しい日本語』として押し通してやればいい!
この先日本語を学ぶ魔族の誰もが、サーシャの話す様を見て「なんて忠義心あふれるメイドなんだ」と感心するような世界にする。
そのぐらいの覚悟で私はサーシャをはじめ3人に新たな一人称を贈ったのだ。
これは私の決意表明でもある。
うん、そういうことにしておこう!
閑話休題。
サーシャが丁寧に淹れてくれたお茶を飲みながら、
「そういえばどんな具合ですか?パーティメンバー選びは」
とバランに訊ねる。
なんのパーティかと言えば、私が人族の領土を視察するためのものである。
さすがに前回みたく魔王を引っ張りまわすわけにもいかないので、現在魔王城内でメンバーを選定中なのだ。
「昨日の選考で20名まで絞り込みました。最終試験が3日後にあります」
ちなみに最初に募集をかけた段階で、1000人近い応募があったらしい。
魔王が新たに発足する極秘プロジェクトへの参加ということで、魔族の皆さんにとっては相当魅力的な募集だったみたい。
……行き先が人族の領土だってことは募集要項にあるけど、そこへ連れて行くのが何処の馬の骨か分からないこの私だって知らされた時点でがっかりされたりしないかな。
「じゃあ、3日後にはどんなメンバーか見れるんですね」
「いえ、それにはもうしばらくお時間を頂ければと」
「あれ、どうしてですか? 早めに馴染んでおいたほうがいいと思いますけど」
選考内容にも含まれているが、今回のメンバーには性格面も重要視されている。
なにしろ長旅になるので、道中ケンカになったりギスギスしたりするのは嫌なのだ。
「その、日本語の習得に時間がかかるかと。せめて簡単な挨拶と、自己紹介はできるように」
ああ、そういうことか。
『なら、私がこっちの言葉使いますよ。日本語は旅しながら覚えてもらってもいいですし』
と、こちらの世界の言語で私は話した。
「なっ」
「ほう?」
バランが絶句し、ゲーム中の魔王も興味深そうに私を見た。ダメージを立て続けに喰らい、自キャラが死ぬBGMが聞こえた。
「しまった!」
魔王が慌てて画面に目を戻すが、もう遅い。
「――イオリ、頭がよかったのだな」
ゲームをいったん中断した魔王は、感心したようにこちらを見る。
そういえばこの部屋では自習ばかりで、会話練習は自室にいるメイドさんとしかやっていなかった。
私の習熟度合いまではさすがのバランも把握していなかったか。
というより、自分たちの勉強のためという点に加えて、私に負担をかけないようにと、この部屋では魔王もバランも最近は日本語しか使っていなかった。
しかし魔王様、その言い方はどうなんでしょうか。
「……まあ、たぶんこの身体のおかげです。地球にいるときより、記憶力とか耳の良さとか段違いなので」
「いえ、イオリ様の努力あってのことかと」
バランが褒めてくれる。
「それではそのご厚意に甘えまして、最終試験通過者には、その場でイオリ様にお越し頂き、一言など頂戴できればと思います」
……そう言われるとちょっと緊張してくるな。