疑心暗鬼は紙一重
目が合うなり逃げていった2人の男性の姿が町並みに消えていった後も、シュラノは警戒心を絶やさないまま口を開いた。
「オレの索敵は無理だが、お前の気配察知はどうだ?」
「やー私もこれだけ人が多いと駄目だなー。よっぽど強い殺意とか敵対心とかが向かってこない限りは」
「そうか。……人の少ないあたりまで行ってみる手もあるが、無用な危険を買うこともねえな」
「そうだね。今の段階では敵かどうかもよくわからないし」
けれどあまり気分がいいイベントでもなかったので、外で酔っ払うのはやめることにした。宿で食事も出るそうだし、簡単なおつまみとお酒を何本か買って部屋で飲もうという話に。
「もし今見張られてるとして、宿がバレるのはマズいかな?」
「あの嬢ちゃんが言った通り造りは頑丈だし、もし何か起きたらこの街の衛兵も頼って正体探れる。そこまで神経質にならなくても平気だと思うが」
「……だね。夜になって人通りが減れば気配察知が使えるかもだし」
――幸い、宿に入るときも妙な気配はなく、部屋でまったりと飲んでいる間も平和なものだった。
そして夕食時になり、戻ってきたロンズさんと3人で食事を取っているときにその話題は出た。
「冒険者ギルドで聞いたのですが、ふたり組の男が地図を買いにやって来たそうです。乱暴な物腰だったので揉め事にならないよう注意したほうが良いと。そして買った地図なのですが……、私たちが向かう場所と被っておりました」
私とシュラノは目を見合わせた。
「同じ連中かどうかはわからないが……、面倒なことになりそうな気はするな」
「そういえば碧海都市でも、ガラの悪い奴らがやって来て北へ向かったって言ってたね」
まさか同じものを目指しているとは思えないけど、でもだとしたらなぜ同じ場所へ?
「ロンズさん、目的地の辺りって街とか名所とかあるんですか?」
「いえ、険しい山岳地帯ですし、観光客が訪れるような場所ではありませんな」
「うーん……」
妙な遭遇があったので念のためバッグから取り出して服のポケットにしまっていた例の紙片を取り出す。
1枚の植物紙に書かれているのは、1つの地図と、1つの似顔絵と、1行の文章。
地図はこれから向かう碧海都市の山岳地帯。似顔絵はロンズさんたちが見つけ出した謎の男性。そして文章は『千年王国の消滅を知る者へ』。
「それ、廃村の祭壇にあったんだよな?」
「うん」
「判じ物っつうか、まあ呼びかけてるような内容だからな。もしかすると他にも同じ地図が撒かれてて、そいつらもそれを手に入れたんじゃねえのか?」
「ああ、あり得るのかな……」
私の想像通り、これが魔王最大の秘密を示すものなんだとしたら、そんな複数作って触れ回るようなことをするものだろうか?
――結局のところ今は相手の正体について想像するにも情報不足、とりあえず警戒しておくしかない、という結論で夕食は終わった。
部屋に戻る前にもシュラノの索敵魔術と私の気配察知を試してみたけど、引っかかるものはなし。
「じゃあおやすみー」
「ああ」
「おやすみなさいませ」
男部屋に向かうふたりと別れて奥の角部屋へ。
移動中は野宿、宿を取るときや隠れ里ではロゼルと一緒だったのでひとりはちょっと久しぶりだ。
「ロゼル、おとなしくして……ないだろうからカゲヤたち大丈夫かなー」
そんなことを思いながら清潔なシーツのベッドで眠りについた。
「ありがとうございました。またお越しください!」
夜の間も特に妙なことは起きず、今朝は料理の配膳で忙しくしていた少女に見送られて私たちは宿を後にした。
昨日も見た巨大兵器群の丘を北西に抜け、一気に標高が高くなる山岳地帯を見上げながら徐々に舗装が雑になっていく道を進む。
辺りから観光客の姿は消え、背の高い木々が増えて日差しが隠れがちになり、ほどなく坂道から山道へと変わっていく。
そして。
「……いるなあ、残念ながら」
「お前の引きが強いのはこないだの捕獲で再認識してるからな。驚きゃしねえよ」
私の気配察知とシュラノの索敵魔術。どちらも明確に私たちを追ってきている集団を捉えていた。
「後方に2人、その左右に1人ずつか」
「え? 私距離があるから後ろ斜めはわからないけど、後ろには3人いない? 近づいたり離れたりしてるから微妙だけど、気配の感じがたぶん3人分ある」
「あー、そりゃたぶん草むらにでも隠れてんのか、匍匐か四足歩行でもしてんのかな。そうすっと獣と混じってオレにはわからなくなる」
シュラノの術はスキャナのように周囲の形を把握するタイプだ。私より広範囲を探れるけれど個体識別が苦手。一方私は範囲が狭いし地形もわからないけど、気配の質と種類を精査できる。
「ずいぶん慎重な相手だね」
「ああ。気配の種類はどんな具合だ?」
「大半は警戒心、敵意はそこまで強くないかなあ、恐怖心も――これは後ろの3人のうち2人から」
「恐怖ってことは、やっぱどこかでお前の暴れ方を見た奴じゃないか?」
「否定できない……」
大きな岩があったので、背後から見えないようその陰でいったん立ち止まった。
「今なら日のあるうちに街に引き返せるが、連中の目的がもし同じなら面倒なことになりかねない、か」
「うん。先を譲るのはなしで」
「向こうはオレたちに補足されてることは知らない。まあ警戒してる様子ぐらいは感づかれてるだろうがな」
「一気に攻め込む?」
「3箇所にバラけてるからなあ……。しかもお前は知らないだろうが、オレたち一般人は怪我すりゃ痛いし当たりどころ次第で死ぬんだよ」
「知ってるよ! 痛みは感じるんだよ!」
けどシュラノの言い分も正しい。彼も高レベルだけどパラメータが魔力に特化してるから耐久面は確かに一般人だ。後ろに固まってる3人か、斜め後ろ左右の1人ずつ、どこかを攻めてるうちに回り込まれたときシュラノとロンズさんを守りきれる自信はない。
「ちなみにシュラノ、自分が怪我してるときって回復術使える? 痛みでうまく発動できないとかある?」
「影響がないとは言えねえな。あとオレはお前やアルテナみたいに怪我を治しつつ前進するような真似はしたくねえぞ」
「――あのう、僭越ながらよろしいでしょうか」
と、ここまで意見を出さずに私たちのやり取りを聞いていたロンズさんが口を開いた。
「はい。どうぞ」
「ありがとうございます。その、少なくともサクラ殿は捕獲作戦の勇姿を拝見した限りではありますが、敵が姿を現せばまずまず勝てる力量をお持ちですよね?」
「あー、まあ、一足で殴れる距離ならある程度は任せてもらっていいと思います」
カゲヤが一緒だったらとてもこんな大口は叩けないけど、今この場では前衛を張れるのが私しかいないのだ。自信あるフリも大事だろう。
「シュラノ殿も、相手の位置がわかるのでしたら遠距離での優位性は高いですよね? 術式の練度も相当なものとお見受けしますし」
「ああ、そうだな」
「はい。その上でですが――既にこの辺りも木々が濃くなっております。この山岳地帯は頂上付近まで昇らないと岩肌が見えるような森林限界にはなりません」
「はあ……」
いまいちロンズさんの言いたいことがわからないなあ、と思っていたら。
「つまり、かなり近づかないと射線が通らないということです。弓矢はもとより、法術とて曲射は高度な技術と聞いたことがあります。であるならば今この瞬間に相手が攻撃してくる可能性はほぼ皆無、もう少し近づいてくればシュラノ殿が察知し、射線の通った瞬間に先制が可能。討ち漏らした敵が接近してきてもサクラ殿の独壇場――と。あ、いえ戦力にならない私ごときの愚行ではありますが……」
喋っているうちに自信がなくなったのか心身熱烈教の人とは思えないほど小声になるロンズさんだけど。
「…………」
私とシュラノは目を見合わせていた。
「あー、つまり」ガシガシと頭をかきながらシュラノが口を開いた。「相手が攻撃してくる様子を見せてから対応してもこっちが有利だから、今の段階じゃそこまで警戒することもないってわけか」
「その通りです」大きく頷くロンズさん。「加えて申しますと、警戒のため移動の速度が落ちることこそ向こうの利になってしまいます。私も冒険者ギルドで働いた折に幾度か獣の狩りだったり山へ逃げ込んだ罪人の捜索に努めたものですが、相手に見つからぬよう、痕跡を頼りに距離を保ちつつ追うのは非常に困難なものでした。ですから無理のない範囲で素早く目的地へ向かい、追跡する向こうを焦らせるのが良いかと」
私はため息をつき、シュラノは天を仰いだ。
「こりゃ盲点と言うか、弊害というか……」
「敵の過大評価ってわけでもないんだけど、当たり前にしすぎちゃったのかな」
私もシュラノも、視界に入らないエリアの探知ができる。それが極めて便利な能力だとカゲヤたちに何度も評価されていたけど、なかば習慣のようにそれを使い続けていた結果、探知に引っかかった敵はイコールでその瞬間から脅威、つまり「そいつがこの距離からなにか仕掛けてくる可能性あり」と思い込んでしまっていたのだ。
こっちから見えている相手には見られるおそれあり、という本来の視界と混同してしまったというべきか。『深淵を覗く時』的な。
「ロンズさんの意見、全面的に賛同します。もうさっさと前進しちゃいましょう!」
私は宣言し、シュラノを見る。
「てことで速度上げるけど、いけそう?」
「あともうちょいならな」
嫌そうな顔をしつつも靴紐を締め直している。
「ロンズさんも平気ですよね?」
「はい。これでも灯火駆けは爆炎級まで合格しております!」
……それってあれか、シナミがやっていた聖火ランナーみたいな謎修行のことだったか。
「ちなみにその級は上から何番目なんでしょうか……?」
「2番目ですな。初級・中級・上級・平熱級・高熱級・火炎級・爆炎級・灼熱級と分かれております」
なんで上級の次が平熱なんだ……、いやこの人ら体温高そうだしな……。
「たしかシナミ――うちの部下は初級の時点で何日も走ったとか。その、爆炎級ってどのぐらい走るんですか?」
「さて、日数は覚えておりませんが途中で季節は変わっておりました」
もはや旅じゃん。
「火炎級から先は距離や日にちではなく成果で合否が決まりますので。誰か付き添って記録するのも大変ですから基本的には単独で行います。納得したところで戻り、皆の前で成果を発揮するのです」
「成果?」
「はい。灯火駆けの序盤は夜になると身体を休め松明を交換するのですが、そのうち疲労で日没前に倒れるようになります。そこからさらに幾日も走り続けるとやがて前方にレグナストライヴァ様のお姿が見えるようになるのです」
熱中症による幻覚かと。
「その尊きお姿に辿り着かんと全力疾走するうちに全身の感覚が麻痺し、疲れが消え、日没どころか翌朝まで走れるようになります。その状態に身体が慣れ、会得したと確信したところで帰還し、いざ試験。具体的には水の入ったグラスを両手で握るのです」
「は?」
「そして熱の女神へ祈りつつ気合を込めると、成った者であれば水が沸騰します」
水を見る儀式じゃん! しかも沸騰って何よあなたたちみんな特質系なのやだー!
「要素だけ列挙すると術の修練にかなり近いぞ……。しかも上級者向けの」
ぼそっとシュラノが言った。
え、うそ、そのうちこの人たち火属性の術師集団になったりするの冗談でしょ!? これ以上暑苦しくなられたら流石に新市街から追い出されるよ?