東の果ての冒険者
アジフシーム都市連合はその名の通り複数の小さな都市国家によって成り立っている。位置はジルアダム帝国の北、大陸の東端だ。
私たちの目的地はその中でも最も東にある、碧海都市。
内陸に位置するバストアク王国ではお目にかかれない、その名の通り紺碧の海原が私たちの前に広がっていた。
海面にきらめく陽光と、打ち寄せる波の音。潮の匂い。
「やっと着いた……」
座り込みながらシュラノがため息混じりに言う。
「どうにか保ったか」
水と食料が尽き果て、軽くなったリュックを改めながらカゲヤも遠い目になっている。
「シャワー浴びたい……」
さすがの義体と言えども髪の通りが悪くなり、ふと頬を撫でれば指先には黒っぽい埃がついている。
「っひゃー海! 久しぶり! さてここにはどんな――」
「ステイ!」
「待ちやがれ!」
「……っ」
恐怖心をかけらも感じさせない様子で20メートルほどの崖から飛び込もうとしたロゼルの肩を私が抑え、片足を地面ごとシュラノが凍らせ、カゲヤが回り込んで立ちはだかる。
「くっ……、みんな反応が早くなっちゃったなあ!」
「おかげさまでね」
ひょいっとロゼルを担いで歩き出す。
「散々連れ回されたからな。海までってのは勘弁だ」
ロゼルの首筋に氷の魔術を軽く発動させるという嫌がらせをしながらシュラノが言う。「や、やめろー」と悲鳴を上げるロゼルを助けようとする者はいない。
……ほんとに大変だった。
都市連合に入って早々、舗装された道を外れて山に突進したロゼルを追いかけていきなり進路が逸れ、2日ほどかけて元のルートに戻ったら今度は崖を飛び降りて湿地帯へ。その後も密林や洞窟や湖の底など自由自在に動きまわる彼女に翻弄された私たち3人は『モカも連れてくればよかった』と心から後悔した。
『もうあのまま自由にさせとかねえか? 帰りに回収しようぜ』
その回収が困難すぎることを承知でシュラノは提案した。
『いっそ時間のことは忘れて一緒に探索を楽しんじゃえばいいのでは』
領主という立場を放り投げて私は開き直ろうとした。
『足を折ってしまえば……、帰還した暁にはこの足を切り落として謝意を……』
メンバー内で一番真面目な性格ゆえに心労が祟りまくったカゲヤがぶつぶつ言い出したので焦った私は、
『いい、ロゼル? カゲヤは――サーシャの弟子だよ?』
色々含みを持たせて警告することで、ようやくロゼルはこちらが制御できなくもないレベルまで暴走を抑えてくれるようになった。
とはいえさっきのように好奇心のまま突き進む行動パターンはたいして変わっていないので、予定していた日数を遥かにオーバーしての到着だった。
「でもさでもさ、おかげでほらこんなに収穫が!」
消費した食料の代わりに詰め込まれた植物や鉱石やよくわからない謎物質でパンパンになった自らのリュックを叩いて自慢げにロゼルは言う。
「いや、貴重だってことは散々聞かされたけどさ……」
他の草木に隠された場所でしか咲かない花、見た目は周囲の石ころと同じなのに異常に重たい鉱石、やたらすばしっこいハムスターみたいな生物を延々追いかけて見つけた巣の奥深くにあった樹脂などなど。
それらを発見するたびにその植生や組成や生成過程などをロゼルは楽し気に語っていたけど、彼女を追いかけて疲れた私たちの脳みそにはあんまり入らなかったし、そもそもなんで見つけられるんだこんなものを、というツッコミをまずするところからだったし。
「えー伝わらない? 響かない? しょうがないなあじゃあわかりやすく言うとね、値段をつけられるものだけでも500万カラルは固いよ?」
ぴたり、と私たちの足取りが止まった。
「ごひゃく?」
肩に担いだままのロゼル、その背中にあるリュックを凝視する。
「お、おいおいサクラ動揺すんなよ、お前こないだの戦争でどんだけ稼いだと思ってる」
ぎこちない口調でシュラノが言う。
「いやいやいやあれとは話が違うでしょ、合わせて1000人近くの戦争で準備だって大勢が何日もかけてのお金だよ?」
死者だって出してしまったし、例の宗教団体をはじめ色々と問題も残ってるし。
旅行ついでに野山を駆け巡って拾った代物だけで日本円にして5億円相当になっているという事実のインパクトは別ベクトルで凄まじいのだ。
「ち、ちなみにロゼル? 値段をつけられない方は、価値がないんじゃなくて……」
「もちろん逆! まず流通しないし仮に売ったらお金より権力が物言う感じになっちゃうしね。たとえばこの葉っぱは魔王様にだって効く可能性のある麻痺毒の原料だし、この鉱石はダメージ与えずにHPを測定できる道具の材料候補だし、この樹脂はどんな鍵穴でも開けられる『最後の一手』っていう魔道具の主要部品だし――」
とても嬉しそうに語るロゼル。
顔を見合わせる私とシュラノ。
担がれたままリュックの中身を見せたせいでぽろぽろ落っこちる品々を高速で拾い集めるカゲヤ。
…そういえば、まったくの今更だけどロゼルって魔王様が直々に極秘の開発を指示する実力者だったんだよね。
ラーナルト、コルイ、バストアク、ジルアダム、ウォルハナム、ローザスト、それにここアジフシーム。そうした多くの国々を抱える人族軍勢とぶつかり合う魔族側の頂点が、その能力だけには相当な信頼を置いているのがロゼルという研究者なのだ。
「なあロゼル、さっき飛び込もうとした海には何があったんだ?」
さりげない感じにシュラノが尋ねた。
「知らない! だから潜ってみたかったのにもう!」
肩の上でふたたびジタバタ暴れるロゼル。
またも顔を見合わせる我々。
「やはりまず捕獲。次いで尋問、審議――」
物騒な感じにカゲヤが呟いてるけど、その方針に異論がないことは私もシュラノも互いの表情で察した。
それから小一時間ほど海を右手に北上した先、白い浜辺から緩やかな坂になっているところに町が見えた。
そしてその手前、浜辺の端っこから海に向かって長く釣り糸を伸ばしている男女3人組も見えた。
視力に自信がある私とほとんど同じタイミングで、その3人組がこちらに顔を向ける。目が異様にギラついているのがわかる。「うおおおお!」と波音に混ざって雄叫びが聞こえる。空耳だといいな。
だが残念なことに彼らは勢いよく釣り竿を手放し、あろうことかクラウチングスタートの構え、嫌な予感そのままにこちらへ向かって全力ダッシュを仕掛けてきた。
「……ああ、あれか」
うんざりした様子のシュラノ。
「え、なになに?」
好奇心あらわに見つめるロゼル。
「…………」私はため息ひとつ。「えーとあなたたち! 立場をお忘れなくー!」
そう声を上げた。
「――――っ! 承知しました!」
先頭を駆けている男性が悲壮な表情になりつつ返事をし、けれどダッシュの速度は衰えない。
おいおい大丈夫だろうなと思っているうちに彼らは接近し、ズザザザザッ、と浜辺の砂を撒き散らしながらブレーキ、しかるのちに直立不動からビシッと90度の礼をしつつ彼らにしては小さめの声を上げた。
「お目にかかれたこと光栄でございますサクラ殿! ようこそ碧海都市へ! 私はこの地で冒険者をしておりますロンズと申します! 宿は手配しておりますのでまずは旅の疲れを落としてはいかがでしょう! もちろん食事も抜かりありません! つい先ほど大物が釣れたばかりでして!」
……まあ、要するにミゼットさんがこの地に派遣した心身熱烈教の方々です。
バストアクの国許しを得ている上に私の領地に拠点がある宗教団体がこんな遠くの地で大っぴらに名前を出すと色々疑いを持たれる恐れがあるので、彼らは身分を隠して潜入調査をしてくれていた。
――ということまでは事前に聞いていたものの、代わりに装っている身分が何かまでは聞いてなかったんだけど。
そしてそれがよりにもよって、冒険者!?
「はじめましてロンズさん。ところであのー、その、冒険者というのは……つまりギルドか何かに?」
「その通りです! 我ら3人この地の冒険者ギルドに所属し、日頃は各地の調査をしつつ見聞を高めていた次第であります!」
「なるほど。であれば私たちもそこに所属してみたほうが動き回るのに都合がよかったりしますか?」
何気ないふうに尋ねる私。
偽りの身分とはいえ勝手にギルドに入るとかフリューネに怒られるの確定案件だけど冒険者というその魅力に私は抗えない。
「いえいえそこまでして頂かずとも! 我々のお客人として観光を建前にどこへでもご案内させて頂きます!」
ちくしょう。
「えーでもギルド員の方があちこちうろつきまわっても不審がられないでしょ? たぶんだけど私たちどうしたって目立つよ?」
おおロゼル! ナイス援護! でも目立つのってほとんど君のせいだからね!?
「ああ、そりゃそうだな。隠そうったって隠せない行動力と推進力持ってるのがふたりいるからな」
こらこらシュラノ、誰のことを言っているのかね。
「だが自分たちはあまり長くこの地にいるわけでもなく……、いざ抜けたり長期不在になるなどと伝える際に冒険者ギルドは難色を示すのでは?」
あくまで慎重なカゲヤの問いに、ロンズさんは威勢よく首を振った。
「そのあたりは比較的ゆるいとお考えください! もちろん重要な遺跡や資源を見つけた際には守秘義務が課せられるでしょうが、それこそ戦争管理ギルドのような専任ばかりの組織ではありませんので! 傭兵や狩人が兼務していることも多く見られます。逆に言えばそこまで多忙ではなく、ゆえに稼ぎもなかなか渋いところがあり、大きな声では言えませんが大陸中央に近い国々からは取り柄のない者たちの吹き溜まりなどと別称されることもあるのだとか」
……んー、なんだか難しい事情があるみたいだけど、それでもこのイベントは是非とも進めたい。
「まあどっちにしてもしばらくはこの街を拠点に動き回るんだから、顔を見せておくのは大事でしょ。向こうがどんな感じかも知っておきたいし、入るか決めるのはそれからでもいいし、とりあえず行ってみない?」
「……なんかそわそわしてないかサクラ?」
「ソンナコトナイヨ?」
不思議そうにこちらを見るシュラノ。私は仮面をつけていることのメリットを初めて感じつつ平静を装ってそう返した。