夜明け前より暗きもの
この世界において宗教は基本的に「よいもの」として扱われている。
私から見た地球との違いは、ひとことで言うとそのフランクさだ。大抵の人は複数の宗教に入っており、抜けるのもわりと気軽だ。
その理由はおそらく、神様が実際にいることが証明されているからだろう。レアケースとはいえ天上から降臨し、まさしく神業をふるった記録が世界中に残っている。だから地球の宗教ではとても重視されている「信じる」という必要がないのだ。
感覚的には、不敬かもしれない言い方だけど、たぶんサークルとか、あるいは推し活に近いのかもしれない。
――とはいえ、無数にある宗教の中にはいわゆる過激派、カルト集団も存在する。そしてそうした連中は軍隊とも傭兵とも犯罪者とも違った危険性がある。
「奴らは常識が通じませんからねー。予測と対策が立てづらいんですよ」
というエクスナの端的な評価に、会議室内の皆も頷いている。
「えーっと、どの宗教かって予想はついてるの?」
私の質問にはフリューネが答えた。
「そちらも順を追ってご説明させて頂きます。エクスナ様のお話の通り、サトウマは捕縛した後ギルドへ引き渡し、その護衛は全滅。そして今朝ギルドからの通知には、彼の処遇についてひとつの提案が記されておりました。――サトウマの身柄を、ローザスト王国が引き受けたいと」
「はい?」
驚きの声を上げるエクスナ。
「奴は捨て石だったはずでは?」
「……口封じでしょうか?」
首を傾げるリョウバに、考え込むカゲヤ。
「条件についてですが、まず当然ながらサトウマの資産はギルドとフゲン王国、それにこちらから選出した人員立ち会いのもと公明正大に行われます。そのうえで今回発生した掛け金、すなわち1億4400万カラルについて半額を即金で支払い、現金が足りない場合はローザストが捻出、そして残金の支払いについても彼の国がサトウマの資産売却や労役管理など含め責任を持つそうです」
「なんですかその露骨な好条件。もはや脅しに聞こえてくるんですが」
エクスナの言う通りだ。今回の戦争は予想以上に点差がついたので、その掛け金は事前に調べていたサトウマの資産では到底足りない額になっている。おとなしく諦めるには大金すぎるけど、かといって私とサトウマ個人での賭けという建付にしていたので他から回収するのも厳しい。まあ横槍を入れたペナルティとか管理責任とかを盾に、フゲン王国の国王にファガンさんから交渉してもらうかなーなんて思っていたんだけど。
「昨日のうちに追加調査もいたしましたが、やはりサトウマ自身になにか価値があるようには思えませんでした。そうなるとやはり考えられるのは死亡した護衛と襲来した獣、そしてお姉さまたちが仕留めた謎の怪物――これらの横槍がサトウマの独断かつ独自の繋がりで招いたものであり、その伝手をローザスト王国が求めているのだろうということになります」
コネクションが狙いか。
「実際どうでしたイオリ様? ローザストのジュラナス将軍たちと一緒に戦ったんですよね。こう、想定通りだとか打ち合わせ済みだみたいな雰囲気ありました?」
エクスナの質問に、あらためて昨日の戦闘を振り返ってみる。
「いやー、そんなふうには見えなかったよ。あっちの兵士も普通に驚いてたし、特にあの化け物はジュラナス将軍もかなり戸惑いながら戦ってたし、だからあの横槍はローザスト王国が仕込んだものじゃなかったと思う」
「やっぱそうですか。となるとフリューネ様の推論が当たってそうですねえ。……ただ、これだけすぐに条件を出してくるあたり、おそらくサトウマと共謀ではないにしても、なにかしらの予想はしていたのかもしれません。予想というより期待でしょうか」
「期待?」
「はい。もしかするとサトウマがあの集団を呼べるんじゃないか、その伝手を確保できるんじゃないかという期待です。聞く限りではジュラナス将軍も知らなかったんでしょうね。なのでその上役、フリューネ様も懸念されてた今回の絵図を引いた張本人ですか、その人物だけが密かに可能性を見出していたのではと」
ああ、レアスさんが『ただの高位貴族じゃない』って教えてくれた相手か。
「私もエクスナ様と同意見です。――さて」ひとくちお茶を飲んでからフリューネが続ける。「ローザスト王国のおそらくは最上位に近い人物が接触を望んでおり、かつその機会が貴重であり、それゆえに億単位の支払いを提示している。その相手は死を厭わぬ宗教団体であり、人や獣の死骸から怪物を生み出すというあり得ない術式を行使しました」
「え? 珍しい術なの?」
ネクロマンサーとかゾンビとかこの世界でもいるんじゃないかって勝手に思ってたんだけど。でもそういえば霊体型のモンスターをダンジョンに配置したことあったけど、あれも厳密には幽霊じゃなくて魔力を薄い膜で囲うタイプの生命体だったか。
「少なくとも私はそのような術を知りませんでした」
そう言ってから、フリューネは昨日の戦場で起きた事象、あの怪物が生み出された詳細な流れを皆に説明した。
「……このような『常識を破壊する行為』と他の要因から、私はとある宗教団体を想像したのですが」
そこでフリューネは室内を見渡した。
「どうやら私よりも皆様のほうが確度の高い想像をされているように見えます」
彼女の言う通り、魔王城から出発したメンバーは全員が難しい表情をしていた。……シュラノ以外。
フリューネの視線を受けて、口を開いたのはカゲヤだった。
「ご推察の通りです。――少なくとも私は、ここにいる者たちと同じ場で1度その術を目にする機会を与えて頂いたことがございます」
「あ、私もあの1回きりですよ」
「私もだな」
エクスナとリョウバがそう続き、
「私は職務上、その後も幾度かございました」
モカはそう答えた。
「――え? みんな知ってるの?」
「イオリ様もご覧になってますよ。というか倒してます」
「へ?」
私が倒したのって――
「あっ!」
戦歴を遡っていって気付いた。
「魔王様!」
そうだ、魔王の固有スキル【魔獣生成】。
魔獣の死骸や各種素材に自身の膨大な経験値から一部を流し込み、新たな魔獣を生み出すあの技。
あれで死門の黒獣とかゴールデンスライムとか、そして私が戦ったサメグマとか作り出したんだった。
「魔王、様の……、噂には聞いたことがありますが、真実だったのですね」
アルテナがぽつりと言う。
「はい。魔王様ご自身は特に隠されておられないようでしたが、術式を行使される場が城内の最奥に近いこともあり目にした者は少ないようです」
「……つまり、昨日の戦場で起きたことと同じく死骸から魔獣を蘇らせる――いえ、別の新たな魔獣を生み出す御業、でしょうか?」
「その通りです」
フリューネの問いにカゲヤが答える。
「そっかー、だからあの術師たち死んだのか」
測定不能クラスのレベルを誇る魔王様だからこそ平然と経験値を消費してるけど、経験値って要するに魂のことだ。並の人間が同じように術を使ったら生命全部吸い取られるぐらいのコストなんだろう。
「え……? イオリ様、それはどういう?」
不思議そうな顔になるモカ。
「へ? だから経験値使い切って死んじゃったってことじゃないの?」
お互いに首を傾げる私たちを見てエクスナがため息をついた。
「あー、わかりました。つまり魔王様のあの御業って魔力だけじゃなくて経験値も消費するんですね」
ああ、と皆が納得し、そのまま『あー……』みたいな目で私を見る。
「……もしかして内緒だった?」
「先ほど申し上げた通り隠されてはいませんでしたが、そこまで詳細をご存じなのは他にバラン様やサーシャ様ぐらいしかいないのではと」
目を泳がせる私に、優しくフリューネが声をかける。
「よかったですねお姉さま。お口を滑らせたのがこの場で。他の者がいる状況だったらもうどうしようかと」
「いやさすがに気をつけるよ! このメンバーだから気が緩んだというか……」
我ながら説得力がないので強引に話を戻す。
「で、魔王様の術式と同じってことは――ええと、祈りを捧げる神様も同じってことでいいんだよね?」
この世界の魔術・法術と呼ばれるものは神様へ祈りを捧げることが習得条件のひとつになっている。炎を放つ術なら熱を司る女神レグナストライヴァ様へ、風を操る術ならジスティーユミゼン様に祈りを捧げる必要があるのだという。
「その通りです」とカゲヤが頷く。「しかし神々のなかには地上の者へ術式をお与えになった記録のない方々もいらっしゃいます。そして、そのうち1柱は魔王様と縁の深い神です」
「……ああ、実は魔王様と、その宗教団体だけが習得できるってことだ? その神様専用の術式」
「おそらくは」
「それで、その神様って?」
「――戦神アランドルカシム様と共に、魔王を任命するため降臨されるという、破壊を司る神エンシードヴァナラ様です」
破壊神。
……またラスボスっぽいのが来たなあ。
「彼の破壊神を崇める宗教団体は地上にひとつきりです」エクスナが口を開いた。「というか私はそのたったひとつすら実在を訝しんでましたが……。まあ、いたんですねえ」
最後にフリューネがまとめる。
「『千夜払暁宴』――この世界で破壊神を崇める唯一の団体である故に、魔族と人族が共に所属するというさらなる唯一性を持つ幻の宗教団体ですね」