こっちの世界では初体験
「よーし全員、グラスは持ったなー?」
おう! と威勢の良い返事が数百人分返ってくる。
「残念ながら私は持てないが」
と私は、包帯でぐるっぐるに巻かれて指先すら出ていない両腕を掲げてみせる。
今度は半分ぐらいが笑い、残りは果たして笑っていいのか微妙な表情。いいんだよ笑ってくれよ。
「まあ今日の主役はお前たちなので問題ない! それでは現時刻をもって、明日の昼までお前たちは一切の職務から解放される! お疲れさま! よく戦ってくれた、ありがとう! それじゃあ乾杯!」
「「「乾杯!!」」
そこかしこでグラスをぶつける音が鳴り響いた。
領主館の近くにある広場に会場を拵え、前もって声をかけていた周辺の店から料理と酒を運んでもらい、ついでに酒場から給仕も借りてきて、戦争の打ち上げである。
乾杯の音頭で私が宣言した通り、この場は戦争に参加したメンバーのためのもの。私が上座に陣取って順に挨拶に来るのをさばいていくなんてことをしなくてもいい。とても気楽。むしろこちらが会場を巡ってみんなをねぎらっていく立場だ。
あの化け物と戦った傷も癒えており、夜風は涼しく、食べ物の良い香りがあちこちから漂っている。とても良い風情だった。
「どうぞレイラ姫」
「ありがとー」
……残念なのは、私の両手が包帯で封じられているせいでグラスも箸もフォークも串も何も持てないこと。
スピィが口元に差し出してくれるひと口大のステーキを噛み締め、続いて金属製のストローがついたグラスから冷えたビールを飲んだ。
言うまでもなく、両手も完治している。
あの腕肉爆散事故によって気を失った私は、運び込まれた馬車の中でエクスナに介抱を受けた。とはいえ私の自動回復についてよく知っている彼女は、消毒や縫合なんかよりもまず先に、栄養補給が必要かつ効果的だと判断した。
『試しに口を開けて水を注いだら眠ったまま飲み始めたので、食べ物もすり鉢ですって水で溶かして同じように飲ませていったんです。どんどん入っていくんでちょっとおもしろかったですよ』
ある程度飲ませていくとそれに合わせて自動回復が再開し、傷が治っていくと今度は飲むのもやめてさらなる深い眠りに入ったのだそうだ。我ながら便利な身体だと再認識する。
そんなわけで眠りながら馬車に揺られ、領地に戻った頃には完治した身体で元気よく目覚めたのだけど、そこに待ち構えていたのが既に報告を受けていたフリューネだった。
『お姉さまは、せめて怪我の不便さぐらいは知っておくべきですね』
その言葉とともにモカが手際良く私の肘から指の先まで包帯を巻いていき、
『しばらくその状態で生活していただきます』
と宣告されたのだった。
明日から従うので今日の打ち上げはなんとかご勘弁を、とお願いしたものの、
『モカ様がお持ちの薬で、軽い肌荒れと激痛を引き起こすものがあるそうで、なんでしたらそれを厚く厚く塗り込んでから包帯を――』
という直球の脅しの前には屈する他なかった。
「――僭越ながら、常人の感覚を多少なりともご理解されることはお役に立つのではと私も愚行致します」
そう言いながら揚げ芋をフォークに刺して口へ運んでくれるスピィ。
……まあ、確かに人外ロールプレイに慣れきっちゃうと地球へ戻ってから苦労しそうではある。
「うん、それにいくら治るからって領主が頻繁に怪我するのもどうかとは私も思うよ……」
「何よりです。ご不便をお感じにならないよう努めますので」
相変わらずスピィは有能である。特殊軍所属だっていうのに側仕えっぽい仕事もきちんとこなしてる。帝国じゃないのでターニャだっているのに彼女がつけられていることからも、フリューネたちからの評価の高さが伺える。
会場内を歩く。
最初に目に止まったのは男たちの輪の中で賑やかに飲んでいるふたりの女の子。
「シアン、ミージュ、今日はよく戦ってくれたね」
声を掛ける前に、近づいてくる私を見た時点で直立不動になったふたりにできるだけ気さくに笑いかける。
「ありがたきお言葉、感謝致します!」
「我らもとより微力を尽くすためこの地に滞在を許された身ですので!」
うーん、なんかまたさらに怖がられてないか私?
「そう姿勢を正す必要はないよ。肩の力を抜いて楽しんで。そうそう、ふたりとも凄く活躍したね。報奨についてはギルドの正式発表後になるけど、楽しみにしていて」
戦争が終わった時点で両軍の大将が欠席――私は気絶し、サトウマは捕縛され――という事情もあって、戦争の勝敗、得点差、謎の横槍の調査や対処、今後の手続き、そうした諸々はすべて戦争管理ギルドが預かり、後日あらためて発表ということになったのだ。
3点分の働きへの追加報酬はうちの領地内だけの話なので別枠だけど、そっちだけ先に進めちゃうのもどうかという話でいったん公表は止めている。
ただ目覚ましい活躍をしたメンバーについては打ち上げ前にざっと説明を受けていて、シアンとミージュもそのなかに入っていた。
シアンは個人で3人打倒を達成しつつ、さらに仲間への助攻でもかなり活躍したという。
ミージュは自分で仕留めた敵兵はゼロだが、周囲一帯の味方のサポートにフル稼働し、どうやら仲間内で決めた取り分だけでえらい金額を稼いだらしい。
「ありがとうございます! 正直申し上げて、帝国でも1戦でこれだけ稼げるなど聞いたことがないので嬉しい限りです」
あちこち包帯や湿布が覗いているが体調は大丈夫そうなシアンは元気よくそう答えた。
「お役に立てることを証明できたのであれば光栄です。
一方のミージュは傷ひとつなく、今日戦争に参加していたとは思えない外見だった。ただ気配にはかなり疲労の色が濃く、そのあたりは隠したい性格なのだろう、表面的にはそれを見せなかった。
その彼女が小声で言う。
「――あの、恐れながらレイラ様、少しだけご相談をさせていただけないでしょうか。今でなくてももちろん構いません」
「ん? 手短でいいなら今聞いちゃうけど」
「ありがとうございます」
さり気なく場を離れ、他の賑やかなグループ同士の間に移動してからミージュは口を開いた。
「ジルアダム帝国にいた頃も、大荒野への遠征が終わり休暇と少々の手当を得たことがありまして」
「うん」
「そのときシアンは、満面の笑みで娼館へ赴き4日ほど帰ってきませんでした」
「うん……?」
「お耳を汚すこと申し訳ありません。その、奴はかなり『うまい』ようでして、専門でない娼婦も数人、宗旨替えさせるほどだったそうです」
えーっと、これはどうやら飲み会の下ネタ的な話ではないな?
「その時も娼館の主や贔屓にしていた客とシアンが揉めまして、娼婦自身の足抜け騒ぎなども加わり、なかなかの事件になりました」
遠い目をしてミージュは語る。
「おそらく今回も奴は似たようなことをしでかします……! そもそも娼館へ行かせないよう監禁するのが一番ではないか、そうしたお考えになられるかと存じますが、奴はそのような窮地に陥ったときに限って異常な力を発揮します。以前も監禁した空き家と周囲の家屋が半壊する騒動になりました」
こらこら、姉妹を監禁したのかね君は。
「私が、全力で事後処理の消火に努めます。どうかお願いです。私たちをお見限りにならないよう、どうか……」
普段冷静で余裕を絶やさないイメージのミージュが悲壮な顔で懇願している。
……シアン、この国に来てもらった理由もあの子が起こした揉め事が発端だったけど、これはなかなかのトラブルメーカーっぽいな。でもまあ、あの子自身が悪いことしてるわけじゃないし。たぶんきっと。
ミージュの肩に手を置――こうとして包帯まみれの腕を思い出して頷きに変える。
「わかった。多少のことは目を瞑るし、フリューネたちも抑える。さっきミージュ自身が言った通り、ふたりの実力は証明してもらったしね」
それにフリューネもエクスナも、彼女たちのことを気にかけている様子を何度か見ているし、たぶん大丈夫だろう。
「ありがとうございます! より一層、お役に立てるよう精進して参ります……!」
何度も零を言いつつミージュはシアンたちのいる輪に戻っていった。
「スピィ、念のため」
「承知しております。街なかの警備に当てている特殊軍にそれとなく注意を払うよう含めておきます。……その、フリューネ様には私からご報告差し上げても問題ないでしょうか」
スピィが何を気にしているのか一瞬悩んだけど、簡単な話だった。
フリューネはまだ11歳の女の子だ。
その彼女にこの手の話をするのは確かに気が引けるどころの話じゃない。
……そしてもうひとつ、当たり前のことに気づいた。
それを気にかけているスピィだってたしか今13歳。
「フリューネたちには私から折を見て伝えとくから大丈夫。それとねスピィ」
周囲の喧騒がひときわ賑やかになってきたので、彼女の耳元に口を寄せる。――また包帯の存在を忘れていてちょっと変な体勢になってしまった。
「あんま早く大人になろうとしないでいいからね」
バッと離れたスピィは耳を抑えつつちょっとだけ頬を赤らめ、ジト目で見上げてくる。
「むしろ早くなった方がいいように思えました」
「えーなんでー」
「ちょ、見たミージュ!? 私もあれされたい! するのもあり! ってか噛まれた? 舐め――」
はしゃぐシアンの脳天をミージュがジョッキの底でどついているのが遠くに見えた。
……そんな風に見えたのか。そりゃスピィも恥ずかしがるわな。