もろはのこぶし
疲労でだるい身体を地面に横たえていたのも束の間、私は両腕から這い上がる疼痛に慌てて身を起こした。
「あれ痛い? 今さら痛いよ!?」
最後の方はほとんど意識することもなかった凍傷による痺れを纏った激痛が、思い出したように主張を再開している。
同時に、けっこうな空腹感にも気づく。
――やばい、そろそろ燃料切れだ。
刺された右の上腕はほぼ完治しているけど、氷に覆われた両手はずうっとドットダメージを受けていたのだ。化け物との戦闘がけっこう長時間だったし、相当なカロリーを消費していたらしい。痛覚軽減にまわすだけの余力がなくなりかけている。
「シュラノー、これすごい使えたよ、ありがとう。解除してもらっていい?」
意識すると途端にずしりと重みを感じる片手を上げて呼びかける。
けれどシュラノは、それに対して首を振るという仕草で応えてみせた。縦じゃなく横に。
「え?」
首を傾げてみせると、数歩近づきながら彼は言う。
「ひたすら硬く、溶けない氷をと」
「……あー、うん、たしかにそうお願いしたねえ……」
「氷の魔術は、生成と溶解に同等の消費が必要」
「そうなんだ」
「……魔力切れ」
魔力という言葉だけ周囲に聞こえないよう小声で言うシュラノ。
そっかー、なるほどなるほど……。
あの大っきな氷の鳥かごを作ってもらったし、開戦時からも索敵魔術を何度も使ってもらってたし、そりゃMPも尽きるよね。
「これ放っといたらどのぐらいで溶けそう?」
「30日は保つ」
あかん、死んでしまう。というかまた変なあだ名とか定着しかねない。
「ねえスタン、これ斬れない!?」
「ああ?」
寝転がったままのスタンに声をかけると、面倒くさそうに首から上だけ起こしてこちらを見る。
「……馬鹿なんですかレイラ姫?」
「スタンに敬語で言われると余計に刺さる!」
「ょうがねぇなぁ……」
ぼそぼそと言いながら起き上がったスタンは、ヒビだらけの刀を地面に置いたままこちらへと歩いてくる。そしてすれ違った兵士が背中に装備している鞘から実にさり気なくスムーズな動きで剣を抜き取った。兵士の方は気づかずに離れていく。
「そんな技持ってるんだ……」
「勘違いすんな、普段から盗んだりはしてねえぞ」
軽く素振りをしてから、その剣をカチンと私の腕を覆う氷塊に当てる。
「む……」
さらに何度か軽く当て、最後にひと振り、まっすぐな剣閃を落とす。
――砕けたのは、剣の方だった。
「てめえ平坦男、おもしれえもの作るじゃねえか……」
歯をむき出して獰猛な笑みを浮かべながらスタンは私から離れ、シュラノの方へ行ってしまう。おーい、まだ私の両腕死ぬほど冷たいんですけどー?
「20……いや15日であれ斬れるようになってやる。また作れ」
「了解。なお全快時ならより強固にできる」
「ちっ、上等だ。とことん硬くしてみやがれ」
ちょっと男子ー、妙なことに燃えてないでー。
ってヤバい、マジでそろそろ涙出そう。思えばあの化け物を全力でサンドイッチにした止めの一撃ですら砕けなかった氷塊だ。いかん頑丈すぎる。本気でどうしようこれ。
焦る私のセンサーに、救いの手がヒットした。
この頼れる気配は間違いない。
「カゲヤ!」
戦争が終わったばかりだと言うのに、疲労の色も見せずものすごい速度で駆けてくる。
「レイラ姫! ご無事ですか!」
「お願い、これ砕いて! ものすっごい硬いの! 凍傷がヤバい!」
氷塊を掲げて必死に声を上げる。
カゲヤの表情がさらに引き締まり、走りながら槍を構える。戦争に持ち出していたナマクラじゃない、本気武装の十文字槍だ。
「揃えて肩の高さへ! 足を地に!」
言われるまま氷塊を持ち上げ、片足を踏み込んで地面に突き刺し、その場に全力で踏ん張る。
あっという間に距離に入ったカゲヤは、脇に構えた槍をドリルのごとく回転させながら私の目でも追えない速度の猛烈な突きを放った。
その一撃は見事に、両腕の氷塊を粉々に砕く。
「あ」
それは誰の声だったか。
――ちなみに。
自炊派でお肉を冷凍庫にストックしてる人とかはよく知っていると思うけれど、凍った肉というのは弾力を失い硬くなる反面、脆くもなる。たとえば凍らせたベーコンなんかはパキッと折れるので使いやすい。包丁を使わずに済む。
もうひとつちなみに、濡れた手は氷に貼りつきやすい。先に洗い物を済ませてから副菜に冷凍食品の袋とか出そうとして微妙にくっついたりする。
そして今現在――いや一瞬前まで、私の両手は氷の中にあり、戦闘中にかいた汗によって内側でびったりと氷塊に貼りつき、継続的に氷属性のダメージを負い続けた結果、自動回復が間に合わないレベルで芯まで凍っていた。
そうしたわけで。
私は優秀な動体視力によって、己の両腕を覆っていた氷塊にくっついた指先から肘辺りまでの皮膚や肉や血管が、一緒に砕けて舞い散る光景を鮮明に視界に収めることとなった。
残されたのは肉と感覚を失い大部分の骨がむき出しになった、まさしく魔法が解けた愚○克巳の腕に酷似したR18グロ画像。
あー、なるほど、これだけ燃料切れかつ集中モードも解除された状態だと気絶を防ぐいつもの能力も使えなくなるんだなー。
視界が暗くなる一瞬にそのことだけ感謝しつつ、私はすうっと気を失った。
◇◇◇
戦争が終わった後も、ギルドの職員たちは忙しく立ち回っていた。
最も重要なのは点数の確認。勝敗自体はひと目見てわかるほどに差がついていたが、それが数え間違いをしていい理由には決してならない上、今回は点差による罰金の取り決めを双方の将によって設けられている。
「このあたりだけで倒れてるのが20人か……」
「死者はいないな?」
「ああ」
「てことは、つまり2000万カラルだよなあ?」
「俺が人生何回やれば稼げるんだろうな」
戦争はとかく大金が動く。長年ギルドで働いている彼らは重々承知していることだが、それでも今回賭けられた金額は領地同士で合わせて千人足らずの戦争という規模からあまりにも外れていた。
「あの領地、人が入ってきそうだな」
「そりゃな。こんだけ景気の良い話はそうそうない」
勝利と大金を掴み、兵力を証明し、神の恩寵という極めつけの代物まで公開し、おまけに領主があれだけの美女にして強者にして有名人だ。
喋りつつも、彼らは気を抜かず点数をつけながら戦場を巡っていく。
他の場所では、次に重要な事柄――謎の襲撃への調査や対応に追われていた。
こちらは言ってみれば戦争管理ギルドへ喧嘩を売ってきたようなもの。職員たちは目をギラつかせて兵士への聴取や獣の死骸の調査をしていた。
謎の巨人を倒した戦士たちのうち、レイラ姫は激戦の果てに気を失い、スタンという剣士はろくに答えを返さず戦場の方へ去ってしまい、――止めようとした職員数名が犠牲となり、残るジュラナス将軍に諸々の経緯を聞いていた。
「――ではあの森の影から獣が来たと」
「そうだね。ついでに言うとこの化け物が現れるちょっと前にレイラ姫がなにか勘づいたようでね、部下を向かわせてたよ」
「なるほど、できましたらご一緒に現場へお越し願えないでしょうか」
「ああいいよ、私も興味がある」
職員のひとりと連れ立ってジュラナス将軍は森の方へと向かう。平地を迂回せず、まっすぐに森の中へと入るふたりを将軍の部下が数名追いかけた。
「――どうだい?」
「安全です」
しばらく森の中を歩き、陽の届きづらい大木が密集しているあたりでジュラナス将軍が誰にともなく問いかけ、別の方向から姿を見せたローザストの兵士がそう答えた。
それに頷いた将軍を先頭に、大国ローザストの精鋭たちが聴取していたギルド職員の前に跪いた。
「ご尊顔を拝したく」
厳粛な口調でジュラナス将軍が言った。
「いいでしょう」
戦争管理ギルドの職員――やや下ぶくれの柔和な顔立ちをしているその男が答えると、兵士のひとりが顔を伏せたまま立ち上がり近くの川から汲んだ水桶とタオルを差し出した。
男は頬に含ませていた綿を取り出し、濡れタオルで化粧を落とし、カツラを脱ぎ、胴に巻いていた厚手の布を解いてゆく。
そして現れた素顔は、玲瓏たる美貌の貴人だった。
しっかりした喉仏が隠れていたら女性と見紛うほどだ。
「顔を上げなさい」
その声にジュラナス将軍たちが従う。
貴人の容貌とその立場に、兵士たちがごくりとつばを飲む。
ただひとり将軍だけは、深々とため息をつきながら許可を得ることもせずに立ち上がった。
「ご無事で何よりだよ。ったく、アンタ様の護衛じゃなくて獣の討伐に参加しろだなんて合図受けたときはどうしようかと思ったもんさね」
「その割には反論もせず即座に動いていただけたようで。遠目にも生き生きとして見えましたよ」
男は穏やかな声音で将軍と話す。
「そりゃあ仮にもうちの連中混ざった戦争の最中だったからねえ。ほんと無粋な横槍だったよ。結局まだなんだったのか訳がわかっちゃいないけどさ、聞いてもいいのかい?」
「私もまだ核心は握っていませんよ」
微笑む男を将軍はじろりと見返す。
「……じゃあひとつたけだ。今回の件、アンタ様が一番欲しかったものはひょっとしてあの怪物だったのかい?」
「遠からず、ですね」
そう言って男はパンと手を叩く。跪いたままの兵士たちがビクリと肩を動かすが、将軍だけは平然としていた。
「さて、少し忙しくなります。まずは買い物ですね。ジュラナス将軍には発端となった借金の立会人としてもう少し立ち回っていただきましょう」
「なんだい、あのお嬢ちゃんを買おうってのかい? ――まさか領地ごととか言い出さないだろうね?」
「おや、気に入りましたか」
「ああ、悪かない娘だよ。本気で手に入れようってんなら私が養子にして鍛え上げてやりたいぐらいだ」
「戦士に対する評価ですね」
くすくすと口元を隠して男は笑う。
「確かにレイラ姫は興味深い。ですが彼女のことはもう暫く静観しておきます。私が買いたいのは、今日この1日で一気に価値を上げた人物ですよ」
「あの槍使いかい? カゲヤだったかね」
「確かに彼も逸材どころではないですね。興味本位ですが、うちに勝てる人材はいますか?」
「1対1の話だろう? 今日はとことん手加減してたようだから9割推測に最後の一撃だけ考慮して……まあ、こいつなら絶対勝てるって断言できるような戦士はうちどころか大陸見渡してもいないんじゃないかね」
「そこまででしたか……」
男が目を見張る。
「評価を見直しておきます。ですが私が買いたいのは別の人物でしてね。――フゲン王国デンツ領の領主代行サトウマ」
その名前に、今度はジュラナス将軍が驚きを見せた。
「既にこちらの駒ではありましたが、裏では色々と動いていたようですから。もっともそれこそが価値を釣り上げることになりました。彼の身柄を正式にうちで預かります。将軍はギルドとフゲンに渡りをつけてください」
「済んだらある程度は聞かせてくれるんだろうねえ?」
「もちろん」
にこりと男は笑い、将軍の横を通ってひとりの兵士の前に立った。
「お疲れさまでした。交代を」
「はっ! 重職を担わせて頂き常々感謝しております!」
「引き続きよろしくお願いします」
再び敬礼してから兵士はフルフェイスの兜を脱いだ。
その顔立ちは、さっきまで男が変装していたときのものと鏡写しのように似ていた。
ギルドの職員として正式な身分を持ち、普段から勤務しているのは彼の方である。変装することで姿を似せることができ、声質も近く、そのうえで戦闘と諜報・潜伏に長けているこの兵士を育成するコストは普通の兵士や諜報員の倍ではきかない。
そんな人材を男は各地に用意していた。
普段の激務もあり、気軽に今日のような変わり身を活用できる立場ではないというのに。
酔狂なことだとジュラナス将軍などは実際当人に言ったことすらあった。
「ではひとまず国へ戻りましょうか。先に近くの街まで行ってますね」
「ああ。できれば一緒についてきたいがここで待たせるには目立ちすぎるからねえアンタ様は。せいぜい大人しくしててくださいよ」
「わかっていますよ」
将軍は嘆息しつつ護衛の兵士を選抜する。
「それじゃあこっちをさっさと済ませて追いつくとするよ」
最後に、またジュラナス将軍は口調を改めた。
「道中、御身のご無事をお祈り致します――王子様」
「ええ、あなたも」
ローザスト王国第一王子にして国王補佐、名実ともに大国のナンバー2である男は優雅に手を振った。