断ち切り
左ジャブ、右ストレート、追いかけるように右ミドル、腰をほとんど一回転させる人体ではありえない挙動の左バックブロー。
化け物が繰り出すコンビネーションを躱し、氷腕でブロックし、反撃の右ストレートを放つ。膝蹴りで相殺された。いったん距離を取る。
3メートルほどの体格となった化け物は、のしかかるような打ち下ろしではないストレート軌道のパンチでもこちらの頭部には届くようになっている。つまり一撃ごとに体勢が崩れることなく、結果として格闘技のようなコンビネーションをものにしていた。
化け物自身もまるでそれを喜んでいるかのように、繋ぎを変えたコンボを次々と披露してくる。相変わらず背中にも視界があるようでスタンやジュラナス将軍の攻撃にも対応しつつ、見てわかる速度で身のこなしが様になりつつあった。
大きくて重たくて素早い化け物が格闘技を駆使して襲いかかってくる。それはまともに鍛えて実直にレベルを上げた兵士であるほど絶望する類の相手だろう。基礎スペックのおかしい怪物が同じ土俵で油断もせず力任せにもならず、それでいて一撃必殺レベルの攻撃を連打してくるのだから。
「――ちっ」
スタンが放った斬撃を腕で受け止め、肉に食い込ませながらもそのまま奪い取ろうとする化け物。すばやく刀を引いてそれを回避するスタンの表情は苦々しい。殴った私も感じていたけどさっきまでよりさらに肉質が硬くなっている。
「ったくしんどい相手だねえ……!」
ジュラナス将軍は武器が重たそうなのもあってスタンのように回避100%とはいかず、あちこちから流血が目立っている。けれど私の攻撃にうまく合わせて化け物に細かくダメージを入れている技量はさすがだ。
とはいえ2人ともクリーンヒットを喰らえば戦闘不能は確実。スタンは普通に死にかねない。
ならばこそ、まともとは言えない育成方法を経てここに立っている私がメイン盾かつ主力アタッカーにならないといけない。
幸いなことに、私にとってはさっきまでの姿のほうがやり辛かった。いきなり体内から刃物を射出する能力は打ち止めだし、吸収できるような死体も周囲にはない。こちらの動きを模倣する技術も、追い越せる域には達していない。今の化け物は、ただひたすらに身体能力が高くて関節可動域以外は正攻法で向かってくる相手だ。何をするかわからなかった怖さが薄れている。
そして私は、こと身体能力の高さだけに関してなら大抵の相手に負けない自信がある。
「もう一押し……!」
体型変化でさらにまたエネルギーを消費したらしく、化け物が秘めている魂は最初の1割ぐらいまでになっている。
もうこれ以上他の兵士を吸収させないし、被害も出さない!
右フックを左腕で跳ね上げて懐に入り右ローキック。脚は氷を纏っていないけれど大幅に増えた体重は蹴りの威力も数段増している。化け物の足首を半分ほどえぐり取り、バランスを崩したところにボディへアッパー。
上空数メートルまで吹き飛んだ化け物に飛び道具はなく、無防備に落ちてくるところへギリギリの距離からジュラナス将軍が長い得物を振るう。無事だった方の足首に斬撃が入り、盛大な地響きを上げつつ化け物は背中から墜落。
「――っ、硬えなオイ」
すかさず接近したスタンが倒れた化け物の頭部についた黒いレンズ――恐らくは眼球へ刀を振るう。
「GARKIYY!」
切断はできなかったけれど半ばまで亀裂の入った眼球を抑えつつ化け物が起き上がる。痛みを感じるようになった? いや、視覚がひとつ潰れたことへの動揺かな。
とはいえ同じような黒いレンズが胸と背中にもついてる化け物は、半ば予想通り距離を詰めた私を見て身構える。
「回復もそろそろ限度かな!」
私とジュラナス将軍それぞれにやられた両足首は未だ負傷したまま、化け物は膝をついて構えている状態だ。それでも見上げるような体高ではあるけれど、
「もういい加減――っ!」
くたばれ、と跳躍。両手にとんでもない重りがあるけどそれでも化け物の頭上よりだいぶ上までは跳べる。
頭部の視界を失った化け物は上体をのけぞらせて胸部の眼球で私を捉えようとするけど、その隙を放っといてくれるような2人じゃない。
両サイドからスタンとジュラナス将軍が武器を閃かせ、化け物の両腕に深々と斬撃が刻まれる。
「っ、もう武器が限界だ! 決めな嬢ちゃん!」
「同感だ。帰って飯食って刀研ぎてえんだよ俺様は」
「先にちゃんとお風呂入ってよね!」
空中から声を上げつつ氷の双腕を振り上げた。
両手両足にダメージを受け、回避も防御もできない化け物へと、数百キロはある氷塊を全力で振り下ろす。
雷鳴にも似たお腹に響く轟音が周囲一帯を震わせた。
ここまでの戦いで周囲の鳥や小動物はとっくに逃げ出していたけど、さらに遠くの森からも無数の鳥が羽ばたいている。
気を抜かずに着地しながら化け物の様子――もはや残骸といってもいいその姿を見据える。腕と脚が1本ずつ吹き飛んでおり、頭はどこについていたのかわからないぐらい胴体と一緒くたになっている。
さすがにこれで終わりかと思ったその時、
びりぃっ、
と、胴体の中央に裂け目ができた。
ダメージによるものではないのがひと目でわかる、ファスナーを下ろしたような縦一直線の亀裂。
どんだけしぶといんだよ、とうんざりした気分で身構えるなか、裂け目の奥からそれは姿を現した。
白い球体。バレーボールぐらいの大きさ。
その下に続く、薄黄色の三角錐。1メートルほどの長さで頂点は下を向いている。
2つの物体はつながっておらず、微妙な隙間を開けて縦に並び浮いている。
まるでゲームのマップでキャラの位置を示すアイコンのような、無機質でシンプルだけど、人間を想起させるようなかたち。
それを見た瞬間、なぜか私はぞくりとした。
魂の様子はさっきまでと変わっていない。どころかもうすぐ消え去ってしまいそうな小ささだ。燃え盛る勢いを考慮しても、レベル50は越えないだろう。
材質はおそらく骨。はたして動けるのかどうかも怪しいその形状。
なのに私の脳内では警戒警報が鳴り響いていた。
白い球体の中央から、不意に波紋が広がる。
硬そうなその表面が滑らかに揺れる。
『……テンニ――」
それはさっきまでの鳴き声ではなく、あきらかに言葉を喋ろうとしており、
――キンッ――
背後から横一文字に閃いたスタンの斬撃によって断ち切られた。
「――っ、うああああぁっ!!」
金縛りが解けたかのように、そして何かに追われるように、私は両手の氷塊を左右から同時にその物体へ叩きつけた。
両断された球体とその下の三角錐は、その諸共にあっさりと、氷の巨腕に挟まれて粉々に砕け散った。
最後までそれ――化け物からさらに違う何かに変わろうとしていた物体に秘められていた魂は、そこから逃げ出すように凄い速さで離れていき、一部は私とシュラノの方に経験値として、そして残りは天へと昇っていった。
「完璧に、終わった……」
どさりと地面に座り込む。
まだ動悸が激しかった。
「おい、最後のはなんだ……」
こちらに近づいてくるスタンの額にも、たぶん冷や汗が滲んでいる。手にしている刀は最後の一撃の反動か、ヒビが入っていて今にも折れてしまいそうだった。
「わかんない、でも、なんかとんでもなく危ないって思ったでしょ?」
「ああ」
スタンもどっかりと腰を下ろした。大きく息をついている。
「ありがとうね」
「……あー、どういたしましてだな、レイラ姫」
そう言って仰向けに地面へ寝転がるスタン。
――どん、と遠くから太鼓の音が鳴る。
「ああ……、戦争も終わったみたい」
私も深呼吸をして寝転び、よく晴れた午後の空を見上げた。