この世でただ1人にしかわからない違和感
およそ70頭の獣。
大型犬サイズから馬や虎ぐらいのサイズまで、いずれにせよ一般人なら到底太刀打ちできない相手だ。おまけに興奮剤みたいな代物でも飲まされたのか、吠え方や暴れ方が尋常じゃない。
真っ先にぶつかったジュラナス将軍率いるローザスト王国の兵士は20名足らず、そこへ戦争管理ギルドの職員が同じく20名ほど加わった。それでも獣の方が倍近い。
平均レベルは30を越えるだろうけど、対する獣も多少はレベルを蓄えている。そもそも基礎能力が人間と比較にならない大型獣を、それでも全員が必死に相手取っていた。彼らの防衛戦から漏れてきたのは10匹ほどだ。
「将軍! ここはもう――」
「逃げるのがお利口ってかい!? あっちで散々っぱら戦ってる連中の前でそう言ってみな!」
「くっ――! 全員、退くな! 押し留めろ!」
……よし、エクスナのおかげで頭が冷えている。
獣の様子もよく観察できてるし、ローザスト兵やジュラナス将軍の声も聞き取れるし、たった今真っ黒いライオンみたいな獣の爪で腹を裂かれた兵士を見ても焦って自分ひとり突っ走ったりしない。
けれど、戦場の兵士たちに横槍を入れさせまいと奮戦している彼らのことは、
「シュラノ、できれば急いで助けたい」
「了解」
並走しているシュラノの身体から魔力が立ち昇る。
「零下牢獄」
前方に薄っすら白い煙が立ったかと思うと、ひび割れるような音とともに細い氷の柱が無数に地面から突き出し、組み合わさり、一瞬で巨大な氷の鳥かごが将軍たちと獣を囲ってしまった。
「――っ! 全員、やり過ごしな! あの壁に追い込んで仕留めるよ!」
すかさずジュラナス将軍が吠え、ローザスト兵のみならずギルド員たちも相手にしていた獣たちから数歩身を引く。暴れまわる獣たちは何か仕込まれているのか、大半が眼の前の兵士を無視して戦場の方へと駆け、行く手を塞ぐ氷の鳥かごに齧りついた。――が、シュラノの魔術は200名の特殊軍からフリューネたちを守り抜いたこともある折り紙付きだ。
無防備な獣たちの背後から兵士たちが武器を閃かせる。甲高い鳴き声がそこかしこから上がり始めた。
「よし、漏れたの仕留めるよ!」
ジュラナス将軍たちの防衛線からいち早く抜け出ていた獣たちは、同様に氷の牢獄に閉じ込められることからも免れていた。
その先頭を走るのは自転車より大きそうな犬。牙が包丁ぐらいありそう。
腕に力を込める。
走りながら殴るのは意外と難しく、走っている相手をうまく殴るのも難しい。おまけに相手は人型じゃなく、人間よりも素早く靭やかに動く獣だ。
空振って後ろのシュラノたちに回したくはない。
――なので有効なのは、相手の軌道上に攻撃を置くやり方。そして小さな拳ではなく、腕全体を用いた――
ごしゃり、
頭部が潰れた獣が縦回転しながら宙を舞う。
そう、ラリアットである。
先鋒がやられてもひるまず襲いかかってくる次の獣たちへも同じように左右の腕をぶち当ててゆく。
低く駆けてすり抜けようとする奴にはサッカーボールキック。
蹴った隙を狙って軸足に噛みついてきた奴は、重心を変えて蹴り剥がす。高々と宙に浮いたその獣へ後ろのシュラノが炎弾を命中させた。
私を大きく迂回し左右に散っていった残りの獣は4頭。そちらはコウエイさんが部下を指揮して数人がかりで相手をしている。あれなら大丈夫そうだ。
「見たか? おい……」
「ああ、騎馬にはねられたネズミみたいだった」
「噂には聞いていたが……」
「さっきあれ噛まれたよな? なあ? なんで傷ついてないんだ?」
背後で兵団の人たちがひそひそと喋っている。そっか、警備隊と違って普段の訓練とかを見られたことないからなあ……。
まあ今さら噂を気にしてもしょうがない。
氷の鳥かごのなかではまだ多数の獣が暴れている。
「シュラノ、あれも扉とか作れるの?」
「無理。壊して入るしかない。けど長くは保たない」
ほぼ一瞬で発動してたし、零下砦ほどの便利さはないってことか。
それならとジャンプして籠のてっぺんあたりにしがみつき、バキバキと格子状になった氷棒をへし折っていく。さすが、結構な硬さだ。
できた隙間に身をすべらせて内部へ。
「うわ、わりと寒いな」
着地がてら真っ赤な牛の脳天を踏み抜き、周囲を見渡す。
既に兵士たちと獣の数は同じぐらいになっていた。
「おや、こっちまで来てもらうたぁ悪いねえ」
ジュラナス将軍が声をかけてくる。手にしているのは槍の先に斧みたいな刃がついた派手な武器だ。なんていうんだっけな、ああいうのゲームにも出てくるんだけど。
「そちらこそ、真っ先に血を流して頂き感謝します」
「なあに、知った顔もあの戦場に多いからね」
にかりと笑って将軍は武器を振るう。
……もしかするとジュラナス将軍の部隊から貸し出されたのかな。
獣たちの多くは氷の牢に齧りついて外へ出ようと足掻いている。そこへ背後からはローザスト兵とギルド員が切りつけ、外側からは格子の隙間を突いてうちの兵団たちが槍を振るっている。
「相変わらずシュラノが有能すぎる……」
この氷牢がなかったらもっと被害が多くなっていただろうし、戦場にも獣たちが流れ込んだことだろう。
氷牢に取り付かず中を暴れまわっている方の獣を順に仕留めつつ、戦場へと目を向ける。こちらに近い兵士たちは異常に気づいて意識が向いてはいるものの、戦争自体は依然として続いている。
国同士の利害が懸かっている以上、無効試合なんてもっての外、一時中断なんかもまずあり得ないというのがギルドの方針だと聞いていたのでこのまま最後までやり切るつもりなのだろう。
実際、横槍は水際で防げているし、あとはエクスナたちがサトウマを無事に確保できればどうにかなりそう――
「ん?」
なんだろう、なにかおかしいような?
虎に似たでかい獣がのしかかるように噛みついてくるのを蹴り上げつつ周囲を見渡す。
氷牢の中でも外でも獣と人が戦っている。どちらも優勢。私に襲いかかってくる獣がいない隙を見て気配察知に集中してみたけど、さらにまた追加の横槍が入ってくるような感じでもない。
――いや、いる!
この獣たちが現れた森の陰、そのあたりからさっきはいなかった数名の気配がする。
エクスナの部下が様子を見に行った? ……違う、気配がこちらに向かって嫌なものを放っている。
どうする、優勢とは言っても手が空いているような人はさすがにいないし、いったん私がここを出て正体を確かめに行くか?
――駄目だ、リスクが高いって皆に怒られる。
それに、私は遠くまで気配察知をする前に、なにかがおかしいと気づいていた。なんだ? まずはその原因を確かめるのが先だ。
「将軍! ちょっとだけ抜けます!」
「なんだい急用かい!? 構わないよ十分助かったからねえ!」
氷牢から外に出て、既にそちら側の獣をほぼ仕留め終わっているシュラノたちのところへ。
「シュラノ、索敵お願い」
「――新たに反応あり。あちらに7、今度は人」
私が察知したのと同じだ。あの森の陰。
近くで聞いていた特殊軍の人が「向かいます」とすかさず言ってその場を離れた。よし、ちょっと安心できた。慌てず考えよう。
「それ以外は、この近くでなにか気づかない?」
「――ない」
「わかった。ありがとう」
シュラノが探知できないとなると――
シュラノの索敵魔術は周囲の人や地形など物体が対象だ。一方私は気配という非物体が対象。だから地形とかはわからないけど、代わりに感情の色がわかる。
――待て、気配とか感情とか、それらの大本、私が感知できる根本は――魂だ。
ばっ、とあらためて周りを見る。
今この場では、多数の獣たちが死んでいる。人も――何人も殺されている。
死んだ生物は天へと魂が昇り、その一部は倒した相手に経験値として流れていく。そうした魂の動きは光の洪水としてこの目に映り――
「違う」
気付いた。
「魔獣じゃない、獣だ」
人族の領土に生息する獣を殺しても、人族に経験値は入らない。
実はこいつらが魔獣だったら――エクスナが無反応だったのでそれもない。別の魔族が関わっているかもしれない事態を彼女が見逃すわけがない。
じゃあ、今私の目に映っている見慣れた光の流れ、天へと昇らず、周囲を漂っているのはなんだ? この場でただ2人、経験値を獲得できる私とシュラノにも吸収されず、よく見ればただただ地上に留まっているだけのこの光は――
「――っ!」
不意に謎の集団の気配が膨れ上がった。この感じは、なにか魔術を放つ予兆!?
「シュラノ、なにか来る! 備えて!」
「了解」
周囲を漂う魂の欠片が、脈打つように揺らぎ輝きを増した。