前線にいないと落ち着かない王女
『サトウマという男は、身分や権力よりも金銭と物品を優先する人物かと見受けました』
先日の胃痛会談を終えた後、フリューネはそう評していた。
『ステムナの一族のなかで突出した才や人脈を持っていたわけでもなく、血筋も傍系。加えて裏切るほどの度量もないゆえに、ステムナの財産を移すための策として隣国へ差し出された。――すなわち土地に執着は薄い。いざとなれば国と身分を捨て、財産だけ抱えて逃げることに躊躇はないでしょう』
現在は50点差、イコール追加支払いは5000万カラル、ということは約50億円……
エクスナが推定していたサトウマの破産ラインを超えた金額だ。
もちろん向こうにはマリエットさんがいないからリアルタイムの正確な点差はわかっていないだろうけど、フゲン王国軍の方が倒れている兵士が多いことはぱっと見ればわかるぐらいの戦況にはなっている。
――その状況で、戦場を挟んだ反対側にいるサトウマはいまだ観戦席に座ったままだった。
そもそも開戦前に私が見た相手方のレベル、そしてローザスト兵と思われる人数を伝えたところ『その程度で勝利を確信し安堵する男ではないでしょう。少なくとも半数、200名はローザスト兵で揃えたいという程度の交渉はしていたはずです』というのがエクスナの推察だった。
ちなみに本日、フリューネは領主館でお留守番――というか私がこちらに来ている分、領主代行として普段の仕事をしてくれている。
『できればあの男が敗れ絶望に塗れた顔を拝みたかったものですが、ええ本当に、けれどあの男のせいで仕事を滞らせてしまうのも大変気に入りません』
なんとも複雑な表情で留守番を宣言していたフリューネは、その日の夕食にモカ特製の精神安定スパイス盛りだくさんカレーを配膳され、『やはり憎しみは何も生みませんね』と悲しげにしていた。
「――動きませんね。レイラ様から見てもおかしな素振りはないですか?」
「うん」
エクスナの問いに頷きつつ、フリューネのためにもここからしくじるわけにはいかないと気合を入れて相手を観察する。
今回の戦争にあたっては、純粋に部隊を揃えたり作戦を練ったりという他に、サトウマがどのような細工をしてくるかへの対策にもかなり時間を割いていた。
当日までに何か仕掛けてくるのではと警戒していが、エクスナが目を光らせていたおかげもあって兵士に露骨な買収や恐喝などはなし。武具や食料への攻撃もなし。ファガンさんや近隣の領主への搦手などもなく、今日この戦場へ向かう道のりも安全だった。
こちらへの仕掛けではなくフゲン王国側の軍備強化に腐心していたのかと思ったけれど、今日こうして実際の軍勢を見る限りサトウマが満足するほどではなかったのはエクスナの評した通りだ。
そうなると、残る警戒ポイントはふたつ。
この戦争中に何か横槍を仕掛けてくるか、またはどこかで本人が逃亡するかだ。
「この点差を今からひっくり返すような大技を外から狙えるとはなかなか考えづらいですから、やはり負けが見えた時点で脱出を図ると思うんですよねえ」
「そうだね。でも――」
遠くにいるサトウマを睨む。
「んー、やっぱこの距離じゃ気配は読めないなあ。でも側にいる護衛、なんか強そうな感じはする」
「レベルですか?」
「ううん、それも遠くてわからないけど、なんとなく物腰とかが」
「そうですか――既に奴の逃走経路は潰すように配置済みですが、ちょっと足しておきますね」
素早く部下に指示しているエクスナの隣、いつもの無表情で戦場を眺めているシュラノに声を掛ける。
「ごめん、そろそろ佳境だから頻度を上げてもらえるかな」
「了解」
特殊軍に加えてシュラノが定期的に索敵魔術を撃っているから、そうそう奇襲にはやられないだろう。
ただ、今日はリョウバとアルテナを領地の警備に残しているので、何かあったときに即動けるのはいつものメンバーだと私を含めた3人だ。あとはカザン王子にお願いして派遣してもらったナナシャさんと――
「だぁこの鉄腕男! いつまでんなみみっちい戦いやってんだボケ! とっとと薙ぎ払って俺様と勝負しやがれコラ!」
「大声で何をほざいたかこの馬鹿!」
「ってえなレアス!」
――お茶とお菓子を食らいヤジを飛ばしながら観戦しているスタンぐらいか。
そのスタンが弟子たちの奮戦を横目に開始からずっと注視しているカゲヤは、順調に敵の精鋭たちを倒している。
もちろん私たちから見れば順調に、敵から見ればそろそろ限界だろうと思われるような体で。
なにしろ既に自分の槍は折れ、敵から奪った武器もたしか4本目、頭から爪先までべっとりと血まみれで、左腕はだらりと下がり動かない。
――実際には武器はわざと乱暴に扱って壊し、出血しやすいが急所ではない箇所を狙って大量の返り血を浴び、腕は単純なブラフだ。
それでも敵から見えるのは恩寵を得るための獲物が今にも倒れそうという絶好の機会。最初の頃よりもずっと多くの兵士がカゲヤを取り囲んでいた。流石に危ないのでカゲヤ担当の心身熱烈教の人は後ろに下がらせたけど、もはや宣伝も必要ないだろう。
戦場全体でも相手との人数差がさらに士気を高め、報奨のかかった3点狙いで前に出過ぎる兵士も増えたけどそれをフォローできる余裕も生まれている。
――それを気の緩みと見る者もいるだろう。
晴れた昼間の空、遠くから3本の狼煙が上がった。
「横槍、50以上、特記――不明戦力!」
エクスナが素早く読み取り、その方角へさらに人員を向かわせる。
私は椅子から立ち上がりつつ、サトウマを睨む。――まだ座ったまま?
警戒している私たち以外ほとんどの人が未だ戦場に目を向けている中、狼煙に気づいたのはローザスト王国のジュラナス将軍だ。けれどそちらも座ったまま部下に何か指示している。あれは何が起きるか知っているからか、それとも無関係なのか……。
「入った。約70、速い――人ではない」
シュラノの索敵魔術にも引っかかったようだ。
「人じゃない?」
「そう。これは、四つ足、獣」
「ちっ」エクスナが舌打ちする。「撹乱して逃げる算段ですか」
やがてその足音と咆哮が届いてきた。観戦している人たちも徐々に気づき、あたりを見回している。戦場の兵士たちはまだ自分たちの剣戟や怒声にかき消されており、眼の前の相手に熱中している。
狼煙、シュラノの報告、そしてとうとう私の気配察知にも引っかかった。向かってくる何かに最も近いのは――戦争管理ギルドの人たち、それとジュラナス将軍たちの集団だ。
将軍が部下たちに声をかけ、全員が立ち上がり陣形を整えていく。そのスムーズさは戦場にいる兵士たちより1段上だ。
「連携してこっちに攻め上がりはしないようですね。ひとまずあれは壁にできると考えておきましょう」
その様子を眺めてエクスナが言う。
「ギルドは大丈夫?」
「職業柄、彼らは警戒してしかるべきですからね――ほら準備始めてますよ」
戦争管理ギルドの人達も、その半数ほどがジュラナス将軍たちに少し遅れて臨戦態勢を取り始めている。改めて見ればレベル30から40台がけっこう多い。戦争を仕切る以上、こうした横槍は想定して備えているということか。
「今のうちにサトウマに近づいておきたいですが、正体を見てからにしますか」
「え、じゃあ私とシュラノはとりあえずジュラナス将軍たちの方へ――」
「落ち着いてください。1秒を惜しんで救援に行く状況でもお立場でもありません」
私の袖を掴んでエクスナはきっぱりと言った。
「……ただ見ているだけがお辛かったのは理解しています。そうですね、戦争中につき、失礼」
耳に顔を寄せ、「イオリ様」とささやくように彼女は言う。
「忘れないでください。既に私たちは先代の王をはじめ200人以上を殺しているんです」
一気に頭が冷えた。
夏の昼下がりにコンビニへ入った瞬間のように。
……うん、こういうくだらないことを思えるなら大丈夫だ。本来の私個人がどうかは置いといて、今の立場と役割においてのレイラリュートは大丈夫。
思えば領主になってからは比較的平和な日々だったので私こそが緩んでいたらしい。
「ありがとう。もう平気」
「それはなによりです」
「帰ったらエクスナにいじめられたってモカに言うね」
「冗談ですよね!? やですよもうあの痛いだけのカレーは!」
気を取り直して狼煙の立つ方角を見る。
幸いなことに、見晴らしの良い平原だ。
そのなかで一番近くにあった森の陰から、それは姿を見せた。
牙の生えた馬、首の長い狼、よくわからない毛むくじゃらの四足獣――そんなごちゃまぜの獣の集団だった。
「――よし、毒持ちや病原持ちはいません。単純に牙と爪が怖い類です。訓練された風ではないですね。やたら興奮してます。レイラ様、血狂いはいそうですか?」
「ううん、レベルはどれも10いかないぐらい」
人族領土に棲まう獣は、魔族や魔獣を殺さないとレベルが上がらない。大荒野へ遠征する人族と違い獣は縄張りもあるため、魔族領に近いエリアでなければレベル1がほとんどだ。
つまり向かってくる獣たちはやたらと縄張りが広いタイプか、魔族領近くから捕まえてきたか、逆に捉えた魔獣を食らわせたかだ。
「そのぐらいなら外野でどうにかできますね。私はサトウマの確保へいきます。ナナシャ様を借り受けても?」
「うん、お願い」
「ではレイラ様もお気をつけて。頼みましたよシュラノ」
そう言ってエクスナは場を離れる。
「じゃあ私たちも」
「了解」
獣たちと最初にぶつかり合ったのはジュラナス将軍たちの一団だ。エクスナの言う通り、獣1頭を兵士1人で押し留めている。……とはいえ数が多い。
シュラノとコウエイさん、特殊軍と兵団の予備隊を連れ、私もその場へと駆け出した。