交渉における腕力とはこういうことだ
実を言えば、今日の交渉の結果として戦争になる可能性は事前にフリューネから聞かされていた。
……というか、あり得るケースは片っ端から聞かされていた。
そしてどのケースでも、基本的に私は黙って話の流れを見ているという役割を与えられていた。
『今回、誰が何を得たいのかが会見の場にならないとはっきりわかりませんので、落とし所は相手の出方を見つつ私が決めさせて頂きます。お姉さまにお願いしたいのは、最後の一手です』
フリューネからの指令はひとつ。
敵を揺さぶること。
そのために私は今日この場では黙って話の流れを見定めつつ、気配察知をフル活用して相手方の感情の起伏も同時に観察していた。
サトウマはフリューネとの応酬の間、まあまあ本気で怒っていたけどあれは単に色々言い返されたことへのシンプルなムカつきだろう。だから後半、戦争に関するルールへあれこれと注文つけたときには余裕を取り戻していた。
そしてそれを、私はおかしいと思った。
なにしろ今日の本題は、『貸した金を返してほしい』ということなのだから。
なのにサトウマには冒頭からここまで、困っているとか憤っているとか、そういった気配がまるでなかった。要するに真剣さが見当たらず、リラックスしているようにも見えた。
フリューネがジュラナス将軍に尋ねた『実際に金を貸した場を見たのか?』という質問と合わせれば、答えはすぐに見える。
要するに借金はブラフだ。
確かに証文はあるけど、本当に1億2千万カラルという大金が貸し出されたわけじゃないのだろう。
だからサトウマは余裕を持っている。なにしろ交渉だろうと戦争だろうと、私たちが勝って借金が帳消しになったところで損するわけじゃないのだから。
――次にジュラナス将軍だけど、こちらは終始退屈している様子だった。
精々がヴィトワース大公やジルアダムの名前が出たときに真剣さを帯びた程度だ。
そしてサトウマのことも、軽んじているような気配だ。彼と喋っているときに全然緊張感がないが、親密感もない。
将軍がこちらに対して抱いているのは、軽い好奇心という感じだろうか。敵意とかは今のところない。職業軍人のひとたちは敵意なしに刃を向けることができるからそこは油断できないけど。
まあつまり、ふたりとも私たちに対して正面切って本気で相手してるという感じじゃないのだ。
当事者意識が薄く、明らかに誰かに使われている様子。
将軍という立場のジュラナスを駆り出していることから、たぶんローザスト王国のもっと偉い人なんだろうか。
――さて、ではフリューネからお願いされた『揺さぶるべき敵』は、この場合誰になるのか。
それはまあ、サトウマで間違いないだろう。
背後に誰がいるのか知らないけど、あくまで対外的には私たちの領地とサトウマの領地との戦争だ。フリューネもこの場で条件を出せと言っているのだから、まさか背後に誰がいるのか見当つけてその人に向けた内容にしろとは言わないだろうし。……言わないよね?
というか、現時点で私にとって敵とみなせるのはサトウマだけだ。
なにしろ会談の冒頭から可愛い妹を挑発するような物腰だし?
明らかにローザスト王国の名前を使って脅しをかけてきてるし?
こっちの主要戦力を露骨に削ってきてるし?
そもそも負けても損せず、勝ったら大金が入ってくるとかいう良いご身分だし?
あとそろそろその嫌味っぽい笑顔が生理的に無理になってきてるし?
ていうか気配察知フルにしてるせいでその下心もフルに見えちゃってるし? なんか私だけじゃなくてアルテナやフリューネにまで同じ感情向けやがってるし?
あらあら役満どころの騒ぎじゃないわねうふふ。
ぶちころすぞ。
……私は静かに息を吐いた。
落ち着こう。なにしろ今から出すのは戦争に関する条件だ。下手なことを言えば私の領民が無駄に死ぬ。
「私から出す条件は、ふたつです」
まずひとつ、安全性を強化しよう。
「ひとつめ、聖地ジルアダム闘技場に倣い、罰則を追加させて頂きます。すなわち敵の両目、両手足、性器、都合7箇所のうち2箇所以上を負傷させてしまった場合はマイナス2点と致しましょう」
殺した場合のマイナス3点より弱いけど、これも勝敗には大きな影響が出るから露骨に大怪我させるような真似を減らせるだろう。
私の発言にサトウマは戸惑っている様子で、ジュラナス将軍は少し難しい顔をしながら気配に軽い苛立ちが感じられた。
ローザスト王国の目的は派手な戦争をすること? いや――見届けることか。こちらの戦力を実際に見てみたいってことかな。
まあ、露骨に反対意見が出る様子もないから次にいこう。
次こそが揺さぶりの一手だ。
落ち着いて慎重に――と思ったけど、
『戦争を選んだ場合、負けたほうが良いという可能性もございます。そのときは条件を出すときに領主様とお呼びしますので、できるだけ損害を抑えるための条件ひとつとさせてください。レイラ様と呼んだ際は具体的な条件を考えるため一度持ち帰るとだけ。そしてお姉さまと呼んだ際は――』
「ふたつめの条件ですが」
――勝つしかありませんからお好きなだけ吹っ掛けてくださいませ。
そう言ったときと同じ、覚悟を決めた眼差しでフリューネは私を見ている。
うん、そうだね、このいけすかない男は叩き潰す。
「勝敗の点差、最大で400点でしょうか、負けた方はその1点につき100万カラルを支払うこととしましょう。もちろん国や領地に迷惑はかけられませんので、私とサトウマ様、双方の個人財産から」
「は?」
一瞬、まったく意味がわからないという顔をしたサトウマだったがすぐにその表情は驚愕で塗りつぶされた。
「――はあ!? な、なにを!? 100万などと、そんな、貴方の言うように400点差でもつこうものなら……」
「4億カラルですね」
借金の3倍返し。
日本円で360億~480億ってところか。
遠くまで来たものだな、私も。
「そのような馬鹿げた額、だ、誰が……」
「呑んで頂けないのなら、そちらが提示した条件での戦争も受けません」
私は向こうから見えないようにテーブルの下で指先を天井へと向けた。
スピィが微かに、つま先で1度床を叩いた。了解の返事だ。
「ただ私は妹ほど気が長くありませんので、交渉に時間を費やすつもりもありません。ですからその場合は、1億2千万カラルを即金で、頑丈な袋にでも詰め込んで、その少々膨れたお顔に投げつけて差し上げます」
ゆっくりとそう言いながら、スピィがポーチから出した数枚の金貨を受け取る。
「投げ……? 貴方は、いったい先ほどからなにを……」
狼狽しているサトウマに向けて、手のひらに乗せた金貨を見せつける。
「5千カラルといったところでしょうか。利子にもならない額ですが――」
軽く手を握る。
開く。
「……は?」
呆然とした声をあげたのはサトウマか、背後の衛兵か。
数枚の金貨は、丸めた新聞紙のごとく一塊の金属になっていた。
「投げつけるというのはそのままの意味ですよ。このように」
ひょいっとその金塊を天井へと放り投げた。
案外軽い音と共に天井へ穴が空き、その奥でなにか湿ったものが潰れる音がした。
さっさと椅子を引いて後ろへ下がる。隣りに座っていたフリューネもアルテナが素早くエスコートしている。
ぼたり
と白いテーブルクロスへ落ちてきたのは赤い液体。
はじめは雫だったそれはすぐに糸のように流れ落ちてきた。
「ずいぶんと薄い天井ですね。それに害獣もいるようですし」
この場で暗殺をしかけてくるとは思えないから、単なる用心だったのかもしれないけど、人の頭上で不穏な気配を垂れ流していた相手にかける情けもない。
私は今にも倒れそうなほど顔色を悪くしているサトウマへと微笑んでみせた。
「こちらの話は終わりです。私と大金を賭けて戦争するか、私に大金を投げつけられてその顔面を害獣のように潰されるか、どうぞお好きな方をご選択くださいませ」