丁寧な殴り合い
席についたのは4人。
私とフリューネ、サトウマとジュラナス将軍だ。
私たちの背後にはスピィとカゲヤに警備隊の人たちが立ち、向こうも事務官っぽい人たちと護衛っぽい人たちが並んでいる。
お茶を淹れてくれたホテルの人は表情を保っているのが流石だったけど、気配はかなり乱れていた。
……まあ、これから莫大な借金についての話し合いなので空気が硬いのはしょうがないか。
「さっそくですが、本日この場までご足労頂いた件の証文をご確認頂ければと」
そう言ってサトウマが指を鳴らす。
……映画やドラマだと定番ぽい仕草だけど、リアルで見たの初めてかも。
彼の背後に立っていたひとりがテーブルに近き、布に包まれていたそれを静かに置いた。
ガラス――じゃないな、樹脂っぽい? ともかく透明な素材で作られた額縁という感じの代物だ。その中に1枚の紙が閉じ込められていた。破られたり燃やされたりしないための保護ケースなんだろう。
「拝見致します」
とフリューネが言い、スピィがそれを手にとって私とフリューネの間に置き直す。
……よかった、そんなに文字が多くない。
「亡くなられたステムナ様と、サトウマ様、その個人間での借金に関する証文に見受けられますね」
淡々とフリューネが言う通り、いわゆる甲と乙はふたりの氏名のみで、バストアク王国や旧ステムナ領、あるいはステムナ大臣が長を務めていた人事局や財政局など公的な組織は書面に一言も記載されていなかった。
どちらかが死んだ場合の扱いについても特に触れられていない。
額面は聞いていた通り1億2千万カラル。
なんと利子なし、返済期日はないがサトウマが要求してから1年以内に半額、残りも3年以内に返すという内容だった。
「我々には無関係な貸し借りのお話だったと安堵させて頂くために、この場をご用意頂いたという解釈でよろしいでしょうか?」
にっこりとフリューネが笑う。
「誠に残念ながら、そのご理解では幼子しか納得させられないかと」
サトウマも優雅に笑い返す。ラ・フランスみたいな輪郭してるなあ。
「あら、幼子すら分かる道理を曲解するような頭をお持ちの方がいらっしゃるのかしら」
「そうですね、聞くところによりますと叔父上――ステムナの財産はそのまま新たな領主が継がれたとか。そして領地を継ぐということはその権利、債権も継いだということ。であるなら債務も引き継ぐことが当然だということをご理解頂けない脳をお持ちの方よりは珍しくないのでは?」
「ふふ、どこからお聞きなされたのか存じませんが、旧ステムナ領の一切合切はファガン王がまずお引き受けになられ、色々ときれいにして頂いた後にまったく新たな領地とその支度金を姉が授かったまでです。過去の聞くに堪えない汚れなど何も引き継いでおりませんの」
「おやおや、そういえば妻が言っていましたが頭が良いと思っている子供はそれをひけらかしたくてお喋りが止まらないそうですね。まあふと思い出してしまっただけですが。それはそれとして巧みに言葉を重ねられておりましたが、失礼ながら実を捉えられていないように見受けられます。周囲から見れば叔父上の土地と民と遺産を北の果てからわざわざお越しになられた姫君がそっくり掠め取ったのは明らか。いえ当然ながら客観的な視野を必須とする領主とその代行である方々はご認識されているはずなのですが」
「ああ、私もふと思い出しました。当人の微かな才覚では有り得ない財産を融通したはずの、敬愛している素振りを見せていた親戚が死んだと聞いて即座に身辺を警備で過剰に固めてなお震えていた貴族筋の成人男性がいたとか。客観的に見ればその態度だけで相当な罪状を科せられるだけの所業をしでかしていたと周囲に吹聴しているようなものだと思ったものです。サトウマ様が仰るように領主代行であればもちろんそんな真似に呆れ返ることでしょう」
ふたりの会話以外、物音ひとつしません。
……胃が痛えんですけど。
ふたりともにこやかな表情を崩さないまま露骨にバチバチにやり合ってる。そばで聞いてるだけの私が言葉の棘と鋭い気配の針でズタズタなんですけど。ねえなんでそんな穏やかな顔と声でいられるの? ていうかこの調子で領主代行同士が言葉で殴り合ってていいの?
さすがに喉が渇いたのか次の罵声を考えてるのか、両者ティータイムに入った。すげえ、どっちもカップの水面が揺れてない。感情を内に秘めきってる。
「――さて、美味しいお茶のせいか雑談に興が乗ってしまいましたが、デンツ領としては借金の返済を求め、我々レイラ・フリューネ特別自治領としてはその義務はないと断る。証文は拝見しましたし、後は手紙などで交渉を重ねるということで、本日の議題は終了でしょうか?」
カップを置いて穏やかに話を再開するフリューネに、サトウマもまた落ち着いた声で答える。
「いえ、それでは話が平行線になり、交渉が長々と続くことでしょう。ただでさえ莫大な金額、そこへ貴方がたの時間をも使わせてしまうのは心苦しいものです。ですから、本日この場へご参加いただいているジュラナス将軍のお力添えを賜ることで迅速に合意形成ができればと考えている次第でして」
おっと、ここで来たか。
ここまで無言でふたりの会話を聞いていたジュラナス将軍は、やれやれといった感じでお茶を一息に飲み干し、「そうだねえ」と私たちを見据えた。
「まず最初に言っとくと、私はこの男とステムナ大臣――前大臣か、そのふたりが借金の契約を交わす場にいた。立会人てのはそういう意味だ。肩代わりとか担保を預かったとか、そういったことまでしちゃいないけどね。つまりお嬢ちゃん方にゃ悪いけど、この男が借金の存在を周囲に吹聴したとき、私はその事実を保証しなきゃならん」
淡々と喋っているその声は、部屋中によく響いた。
フリューネがサトウマ相手よりずっと緊張感を高めつつ口を挟む。
「ひとつだけ聞いてもよろしいでしょうか」
「なんだい?」
「ジュラナス将軍が立ち会われたのは、証文を交わした場面だけでしょうか? それとも、――実際に1億2千万カラルというお金が渡されたところまでご覧になられていたのでしょうか?」
にいっ、と将軍は笑う。
「そこまでは見ちゃいないよ」
サトウマが微かに目元をぴくりと震わせた。
「ありがとうございます」とフリューネは微笑み、「それでは、ジュラナス将軍のお力添えとは如何なるものなのでしょう」
「軍属の私ができることなんて決まってるだろう」ぎらりと将軍の目が光る。「あんたたちが戦争をする。私はその場にも立ち会って、審判する。サトウマが勝ったら、あらためて借金の債務を引き受ける。お嬢ちゃんたちが勝ったら、帳消し。わかりやすいだろう?」
――戦争。
「それは、大陸法に則った決戦ということでよろしいですよね?」
「ああ、もちろんさね」
「たしかに、この金額は戦争を起こす程には莫大です。――しかし先程申し上げたように、私たちとしましてはその契約自体を認めておりません。帳消しという案は魅力的ですが、その一歩前、交渉をもって契約自体を無効とする方針もまだ捨てるには惜しいと愚行しております」
「ああ、わかってるよ」
深々と将軍は頷き、そしてゴキリと首を鳴らした。
「けどお嬢ちゃんもわかってるだろう? 契約者が誰だったか、証文の内容がどうなってるか、貸したはずの金がどうなったのか――細かいところを突っ込めばきりがないし、いくらでも泥沼にできる。その一方で、バストアクの前領主がフゲンの現領主代行に金を借りた――その事実をうちが、ローザスト王国が認めるんだ。論争が長引くほどに他の外交へ悪影響が出るってことを、理解してるんだろう?」
歯切れよく、力強い口調でそう告げるジュラナス将軍。
フリューネは束の間目を閉じてから、凛とした声を発する。
「理解しました。それではまず、どのような戦争をするのか確認させて頂けますでしょうか」