まあ、こいつら魔族領選抜隊なので……
紅の竜。
リョウバの左腕から放たれた真紅のレーザーは、無数の突風に揺らされまるで生き物のように蛇行しながら一瞬で断崖を駆け抜けた。
それは本当に、竜を召喚したのかと思える光景だった。
そしてその竜は暴風に負けることなく獲物――緑色の球体へと辿り着き、狙い違わず牙を突き立てた。
崖底から轟音が鳴り響く。
球体が砕け散り、リョウバが膝をつき、一瞬、風が止んだ。
次いで、地の底から天へと突風――薄緑の色を纏った風が巻き起こった。
その色と、何より感じられる気配に先代バストアク王が恩寵を解放したときの記憶が蘇る。
緑の風はゆるく渦を巻きながら空高く昇り、そして急カーブを描いて落下してきた。当然というべきか、リョウバ目掛けて。エクスナが私の腕を引き、ふたり背後に避難する。
リョウバは今にも倒れそうなほど消耗しているように見えるけれど、汗と血に塗れた顔を上げ、吹き下ろされる緑の風をしっかりと見据えた。
ドッ、と激しい風圧が押し寄せ、襲ってくる砂埃に目を細める。気圧差か耳が少し痛い。
リョウバは風に押し包まれ、薄っすらと影しか見えなくなっている。そう、風というにはあまりにも濃い、エネルギーの塊だ。
「いったたた……」
やがて風が収まり、私よりずっと砂埃による物理ダメージを受けてしまったエクスナが顔をガードしていた両手を下ろす。
「――リョウバ?」
彼を包んでいた風の膜も消え去り、見えたのは地面に大の字で倒れているリョウバ。……うん、大丈夫、生きてる。
気配で無事なことを確認できたので、そのまま集中を高め、彼の体内を巡る光の水――魂――、それとは別種の、今まではなかった濃い緑色の宝石みたいな輝きが胸のあたりに生まれているのを見つけた。
神の恩寵だ。
側に寄っていき、しゃがんで顔を覗き込む。
目を閉じてぐったりとしていたリョウバが、重たそうに瞼を動かした。
お疲れさま、成功したみたいで良かった、そんなことを言おうとしたのだけど、
「これは、間違いなく膝枕への展開……!」
「寝ろ」
思わずチョップをお見舞いしてしまった。
最後の気力だったのか、がくりと気を失うリョウバ。
「この筋金入り、捨てて帰りましょうか」
「迷ってるから誘惑しないで」
結局その日はリョウバは目を覚ますことなく、私たちも野宿することになった。
「そういえば、エクスナはどうやって恩寵をもらったの?」
テントの中で寝る支度をしていた彼女に尋ねる。
「私ですか? まあ、こんな大層な試練とかではなかったんですよ。単に魔王城に潜入したら神が語りかけてこられたんです」
「……は?」
「なんでも単身で魔族領を踏破したのが初だったそうでして、いやびっくりしましたよ。危うく声上げて見つかっちゃうところでした」
確かにエクスナ、最初は魔王様を暗殺しに来たっていってたけど、単身……?
「え、つまりその、ひとりで大荒野突破して魔族領土を横断して、魔王城まで忍び込んで?」
「はい」
「それって、要するに人族初の偉業を成し遂げたってこと?」
「そう言われると照れますが、そんな馬鹿なことに挑戦する人が少なかったんだと思いますよ」
「そう、なのかな……?」
これ、知られたら人類の歴史に名を残すんじゃないの?
そりゃ神様も恩寵をくれるよね。
あんな強力な性能だってのも頷ける。
――っていうか待って!? つまりこの子、魔王城までの道中は恩寵なしで踏破したってこと? レベル5以下の少女が!?
「リョウバがどんな恩寵を賜ったのか、楽しみですねえ」
てきぱきと寝床を整え、眠る体勢に入ってしまった影の偉人エクスナ。仕方ないのでそれ以上深掘りするのは諦め、私も寝ることにした。
翌朝、テントから顔を出すと既にリョウバは目覚めていた。
「おはよう」
「おはようございます」
いつも通り爽やかな笑顔だ。昨日の今日だからか、とても機嫌良さそう。
「体調はどう?」
「まったく問題ありません。昨日はレイラ様の膝枕でぐっすりと眠ることができましたし」
「記憶を改竄しないで」
「太腿の心地まで鮮明に思い出せるのですが」
「完璧に妄想だから」
朝食を済ませ、テントの片付けや焚き火の後始末などを終えて私たちは試練の地を後にすることにした。
あの球体を砕いたせいだろう、断崖に近づいても無数の穴ぼこから風が吹いてくることはなかった。
私が目を凝らしてみても神様の気配は残滓すら見えず、特殊軍のひとりがロープで降下したけれど、球体を飾っていた台座に何か書かれていたりするわけでもなく、この場所にはもう何もないという結論に達したのだ。
帰りは下り坂なのでエクスナを背負うこともなく、急ぐ必要もないので会話しながら進んでいく。
当然ながら、最初の話題はリョウバがどんな恩寵を得たのか。
特殊軍の人たちは前後に距離を空けてもらい、3人だけに聞こえる大きさでリョウバはその効果を説明してくれた。
それを聞いてまずエクスナが口にしたのは、
「なんて間の悪い……!」
という露骨にがっかりした言葉だった。酷い。
もっとも言われたリョウバも、
「まったくだ。一番の見せ場を逃した」
と笑っていたのだけど。
まあ強力な恩寵なのは間違いない。
「でも機嫌良さそうだねリョウバ」
だから私はそう言ったのだけれど、彼は微妙に視線を逸らした。
「ええ、レイラ様のご期待に添えたことを嬉しく思っております」
なんだか歯切れが悪いな。
「……あー、リョウバ、言い繕っても不信感が残っちゃいますよ。自分で言いたくないなら事実だけ私が簡単にお伝えしてもいいですが」
妙なことを言うエクスナ。
「……恩に着る」
けれどそれが通じたようでリョウバは私に「申し訳ありませんが、少し先行させて頂きます」と告げて一礼し、早足で先に進んでしまった。
「え、どういうこと?」
「リョウバの機嫌のことですよ。レイラ様に見透かされて動揺したんでしょうね」
「もしかして私なんか悪いことした!?」
「いえいえ、単にあいつが昔話をしたくないってだけのことでして」
既に小さくなった背中を軽く睨んでからエクスナは言葉を継ぐ。
「たぶん、正確には機嫌がいいと言うか、安心して気が緩んだんでしょうね」
「あー、そうかも?」
私は集中すれば人が漂わせる気配から感情とか言葉の真偽まで察知できるけど、仲間に対してはやらないよう気をつけている。なんだか覗いてるようで気が引けるのだ。ただ安全確保のため気配察知だけはなるべく怠らないよう皆からお願いされているので、どうしてもそこから微妙な感情の流れも読めてしまう。
「レイラ様、魔王城を出発する前にバラン様から私たちの経歴は教わっているんですよね?」
「うん、ある程度は」
「リョウバについて、欠点とか良くない情報とか聞かれてます? 私に言える範囲で構いませんが」
「えーっと……、女癖が悪いけど強引にとか相手が嫌がることはしないし、私に実際手を出すような男じゃないから安心していいって……」
あれ? バラン?
「……それは、帰還したらバラン様に文句を言っても良いのでは……」
「ちょっとそんな気がしてきた……」
いやまあ、たしかに私もリョウバを嫌いになるとか本気で怒るとかはないんだけど、あんだけセクハラされてるのは事実なんだよなあ……。なんでヘイト溜まらないんだ? あれも一種の人徳なのか?
――おっと話を戻さないと。
あとは、まあエクスナには言ってもいいか。
「それと、過去に味方を誤射して謹慎処分を受けたことがあるって。でもそれ以降は同じことは起こしてないし、今では遠距離攻撃なら魔王軍でも五指に入るって」
「なるほど……。リョウバが所属している『空追う牙』についてはどうです?」
「え? いやそれは特に」
「そうですか。あそこは元々はただの『第三軍別働隊』とだけ呼ばれてて、通常の術士隊よりさらに遠距離からの攻撃を得意とする狙撃専門集団なんですよ」
「ああ、だからリョウバもそこに」
「はい。それでですね、あいつが自分じゃ言いたくなかったのはここからでして」
エクスナは水筒で喉を潤してから続ける。
「人族側の軍に、『麗翼隊』っていう部隊がいたんです。女だけで、全員が空を飛ぶことのできるっていう希少な存在でした」
「空を?」
飛行能力はめちゃくちゃレアな能力だってサーシャから聞いている。魔王様みたいに長距離を飛べるなんてのは前代未聞レベルで、人を運べるぐらい大きな飛行型魔獣もかなり珍しいとか。
「誰かひとりが恩寵持ちで、条件の合う者を一緒に飛ばせるのか、集団で高度な術式を使ってるのか――当然ながら情報は封鎖されてました。ですが有効性は非常に高く、偵察から補給から高空からの攻撃まで、魔王軍はかなりの被害を受けたそうです。もちろん人族側では大人気で、ほとんど崇拝するような連中もいたらしいですよ」
「あー、そうだろうね」
希少な飛行能力持ちで、全員女性。潜伏してる敵を見つけたり、陣形を把握したり、激戦区を援護したり敵陣深くまで薬や水を送ったりはぐれた部隊を見つけたり、救いの女神といったところか。たぶんヒーローとアイドルを混ぜたような存在だったんだろうなあ。
「それを全滅させたのがリョウバです」
「えっ!?」