このダンジョンを作ったのは誰だあっ!!
朝早くに村を出て、目的地に着いたのはお昼をだいぶ過ぎた頃だった。
「なんかもう、明らかに人を寄せ付けないって感じだね」
「はい、観光名所にするにも危険すぎます」
お弁当を食べながら、私たちはまず遠目にその場所を眺めていた。
ここまでの道のりを彩っていた樹々が姿を消し、足元は岩肌になっている。オレンジに近い鮮やかな岩で、私の握力でも簡単に砕けないぐらい硬い。
そしてその岩でできた地面は、少し先でぷっつりと途絶えていた。
断崖である。
向こう岸まで30メートルぐらいだろうか、飛び越えられる距離ではあるけど、目的の場所はそこではなく下方だ。
崖の下。
――というのは事前調査の報告で聞いているけど、崖っぷちから覗き込むことはできなかった。
なにしろ私達が座っている土と岩の境目あたりから先、オレンジの硬岩は穴ぼこだらけなのだ。それはもう穴あきチーズをさらに酷くしたかのような、集合体恐怖症の人は見るのがきつそうなぐらいボッコボコに空いている。
それだけなら穴に落ちないよう気をつければいい話ではあるのだけど、問題はここからだ。
「じゃあまずはお試しで」
村でもらった野菜と鶏肉を使って今朝作ったサンドイッチをかじりつつエクスナが部下に指示する。
先ほど道案内していた、私がご飯で買収した青年がこぶし大の石を拾い、崖に向かって放り投げた。
――ヒュポッ
と、その石は崖に届くだいぶ手前の穴に勢いよく吸い込まれてしまった。
カーン、とおそらくは吸い込まれた石が岩にぶつかる音が、かなり下の方から響く。
「イオリ様、どの穴に吸われたか見えました?」
「うん、あそこの三角っぽい穴」
かなりの速度で吸い込まれたので、何も知らない人なら消えたと思うことだろう。
「じゃあその場所を中心に見ていてください」
そう言ってまたエクスナが指示を投げた。
さっきと同じ場所から、同じ方向へ石が投げられる。
――ビュゴォッ
と、今度はさっき吸い込まれた穴より少し先の方で、別の穴から突風が吹き出した。
石は天高く吹き飛び、やがてまっすぐ落ちてきたかと思うと少し離れた穴へ引っ張られるように角度が変わり、そして最初と同じように吸い込まれていった。
再び鳴り響く衝突音が、山間に木霊する。
「こんな感じです」
「なるほどね」
私はあたりを見渡し、ちょうどいいのを見つけた。
「もうちょい大きな石で試していい?」
「むしろお願いしたいところでした」
「よかった」
立ち上がって目当ての石を拾い上げる。
「……簡単に持ち上げますね……」
「何を今さら」
バランスボールぐらいの石を両手で抱え、先の2回とは別の方向に向けてえいっと投げる。
斥候役と案内人のふたりが目を丸くしてるけど、そのうち慣れてくれるだろう。
私の投げた石はこれまた別の場所、ひときわ大きな穴に吸い込まれ、
――ズゴガガガガシュッ!!
と、なんだか凄まじい物音が地の底から轟いた。
そして少し離れたところの穴から、何かが噴水のように吹き出す。
粉々になった、石の残骸だった。
このパターンは事前調査になかったな。
「……当たり?」
「吸い込まれた時点で外れでしょう」
エクスナも立ち上がって周囲を見渡す。
「ちなみにレイラ様、穴の中に何か生物の気配は感じられますか?」
「うーん、いないかな」
「そうなると、今の現象はこの穴の中を吹き荒れる風によって擦り下ろされた結果と判断して良さそうですね。おそらく壁面がおろし金のようにでもなっているんでしょう。レイラ様の耐久力と回復力は十分に存じていますけど、どうです?」
「うーん、試すのは怖いかなあ……」
脳裏にすぐ浮かんだのは、先代バストアク王から食らった竜巻攻撃。
ヴィトワース大公の重機みたいなパンチにも耐えられたこの身体だけど、ああいう瞬間的な大威力よりも継続的なダメージ、つまりDOT攻撃が苦手っぽい。
それ以外にもダメージとして記憶に残ってるのは、レグナストライヴァ様の神獣から食らった火傷だったり、特殊軍から受けた毒だったりするので、この推測は合っているような気がする。
「ですよね。まあここで試そうとされるなら全力で止めないと帰ってから一緒に怒られてしまいますし」
「だね」
では、とエクスナは水筒を肩に掛けつつ歩き出す。
「場所を変えましょうか」
エクスナに連れられ、私たちは断崖を横目に見つつ沿うように移動した。
穴だらけの地面は一部だけというわけではなく、断崖の全域がそうなっているようだった。
ただ断崖自体はそこまで長大なものではなくて、わりとすぐにその終端が見えた。長さ数キロという感じだろうか。
「このあたりですね」
再び荷物を下ろして、前方を眺める。
さっきまでは横一面に見えていた断崖が、今は縦になっている。
地理に詳しいわけじゃないのでイメージでしかないけど、断崖というのは山と山の間のことだったり、枯れた川の跡だったり、地震でできた断層だったりだと思う。つまりは自然の一部だ。
けど目の前にあるのは、超巨大な刃物で地面を切り裂いたかのような、驚くほどまっすぐに伸びた亀裂であった。
その証拠に、断崖の底の様子が反対側の亀裂の終端まで曲がり角や突起などに邪魔されることなく一望できる。
そして、その崖底に鎮座する奇妙な物体の姿も。
「球だよね?」
「ええ。この距離からなので精度はあれですが、ちょうど人間の頭部ぐらいかと」
それは明らかに人工物――いや、神造物だと思える精巧な台座に据えられた、明るい緑色の球体だった。
「つまりはあそこまでたどり着いて、あの球に触れるか何かすれば恩寵がもらえるってことでいいのかな」
「そうだと思います」
「まずはこの穴ぼこだらけの地面をうまく通り抜けて」
「はい」
「運が悪いとどこかの穴に吸い込まれるか吹き飛ばされるかして」
「ええ」
「当然のように崖の壁面も穴だらけだし」
「ですね」
「なんかよく見たら崖底に剣山みたいな岩が連なってるし」
「しかも砂埃の動きを見る限り、あのあたりも不規則に突風が舞ってるようです」
と状況を確認したところで、ここまでほぼ無言でこのエリアを観察していたリョウバに私たちは視線を向けた。
「じゃあ、がんばって」
「――レイラ様が死ねと仰るのであれば喜んで従いますが」キリッと顔を引き締めて距離を縮めてくる。「せめて最後に天上へ持って行ける思い出を、具体的にはその辺りの木の陰で」
ズパンッ、とローキックで返事をする。
「ほらさっさと挑戦してきてください。骨を拾うこともできない環境なのが残念ですがやむを得ないですね」
「待て、予想以上に足にきたので暫し待て」
冷たい視線のエクスナにいつもの爽やかスマイルで返しながら膝をつくリョウバ。
「というかこの段階で私をあの死地へ放り込むのは酷ではないか!? せっかくここまで共に来たのだからもっと調査に時間をかけても良いだろう?」
「あー、そういえば私とレイラ様は手伝いに来たんでしたね……。なんかもう道中で疲れましたしここまでの実験で驚きましたし割と満足してました」
では、と言いながらエクスナはあらためて断崖と周囲の穴だらけの岩を眺め、何度か場所を変え、終いには樹に登ったり私が軽く上空に投げて「思ったより高い!」と叫んだりしながら高角度からの観察まで済ませた。
「――えー、はい、だいたいわかりました」
落ちてきたところをキャッチした私の腕から降りつつエクスナはリョウバに報告する。
「私もこれまで民家から王城まで潜入した実績がありますから。地形を読んで安全かつ効率的な経路を導き出すことにかけてはまあまあ自信があります」
部下がいるから濁してるけど、その王城って最初に魔がつくでしょ。
「その実例に勝てる者はそうおらんだろう……」
リョウバも知っているので苦笑いだ。
「で、結論ですが、隠し道も迂回路も正道も勝ち筋も何もかもないですね。さあ行ってらっしゃい気をつけて」
笑顔で手をふるエクスナ。
「待て待て待て、私にその愛らしさを見せるのは貴重だがそれだけでは流石に死ねんぞ? それにまだレイラ様のお力添えがあるだろう」
「私?」
そう言われても、
「エクスナが駄目だって見極めたのに私が何かできるかなあ……」
「いや色々あると思いますよ。例えば私がレイラ様の能力と思考を辿ってみますと――まずこの断崖、底まで突き崩して道作れませんか?」
「え、それ私の思考なの?」
「さっき地面を抉って砕いてたじゃないですか」
「う……」
言われて自覚したけど、「これどのぐらい硬いのかな?」で実際壊そうとするのって現代に生きる女子として微妙では。
まあ気を取り直して、
「じゃあ、ちょっと本気で試してみるね」
穴ぼこのちょっと手前で、地面に向けて拳を放つ。
――ゴォォォーーンンッッ――――
空洞が多いせいか、やたら反響するなあ。お寺の鐘みたいな音がした。
「予告から実行が速いです……」
耳を抑えてしかめっ面のエクスナ。
で、結果はと言うと、
「真下だから体重乗せづらいとは言っても、これじゃなあ……」
前腕の半ばまでめり込んだパンチは、半径1メートルぐらいに放射状の亀裂を生んでいた。
たったそれだけ。
普通の土の地面だったら、以前にスタンを吹き飛ばしたみたいに軽い爆発ぐらいの威力で堀っくり返せるんだけど。
「ん、よっと――おおっ!?」
埋まった腕を引き抜くと、周囲の亀裂がパキパキと音を立てて近くの穴に伸びてゆき、いきなりボコッと繋がった大穴から突風が吹き出した。
宙を舞う私。
――うっわあ、懐かしい感覚。
空の向こうで、あの王様が馬鹿にした笑いを浮かべているのが幻視できた。
それを振り払うように指を揃えた右手で大きく空中を薙ぎ払う。
反動でエクスナたちのいる方へと落下方向を変える。――あのままだとどこかの穴に吸い込まれる予感が確かにあった。
着地して、駆け寄ってきたエクスナたちに開口一番、
「この試練、性格悪い」
「ちょっ、落ち着いてくださいこの場を作られたのは風神です!」
「あ、そうだった……」