断章:難易度とは金銭で下げるものである
ターニャとカゲヤが皆のお茶を代え、会議が再開した。
口火を切ったのはカゲヤ。
「では、イオリ様が例の地図に関して少し不自然な言動になられる点について、私の持っている情報を開示いたします」
「早速ですね」
とエクスナが言う。
「そのための動議でしたから」
とカゲヤは返し、会議室内のメンバーを見渡した。
「まず、魔王様は『蔓延する縛眼』という魔道具をお持ちです。効力は最上級の秘密保持で、対象とする情報について声や文字をはじめ一切の伝達を禁ずるというものになります。苦痛などの罰則を設けて縛るのではなく、当人の意識下に刻まれるため破ることができません。誰かへ伝えようと思った瞬間に、口は閉ざされ筆を持つ手は静止し、さらに相手へ疑念を抱かれぬよう話を逸らすなどの行動を無意識に取ってしまいます」
「……実在、するのですか……」
驚きつつも、フリューネはイオリに出会った頃にそれらしき呪物を知らないかと尋ねられたことを思い出した。
「それは、諜報戦が根底から覆りませんか……?」
やや青ざめた顔でアルテナが声をこぼした。
「そりゃ、そう思いますよねえ」呑気そうにエクスナは言う。「もし密偵がバレて捕まったときに、得た情報の要点をひとつ縛られてから解放されたとしたら、それを自国へ持ち帰るのは毒を流すようなもんです。まあそれなら自害するっていう手はありますが。最悪なのは私みたいに魔族へ寝返ったとしても、それを隠す必要すらないってところですかね。深層意識が勝手に誤魔化してくれるんで通常の虚偽より遥かに露見しづらいです」
「アルテナ」とフリューネが嗜めるように声をかけた。「心情は理解していますが、既に私たちは『こちら側』です。気にするべきは他にありますよ」
そう告げてから、彼女はカゲヤを見る。
「その魔道具は魔王様がお持ちであるとのことですが、他の方では使えないような、例えば魔王様ほどの絶大な魔力が必要などの条件があるのでしょうか?」
「いえ。希少な品ではあります。手元に置かれているのは魔王様だけだとも聞いています。ただ使用条件は特にないので、誰かに下賜されることもあり得ます」
「人族の手に渡った可能性はあるのでしょうか?」
「断言はできませんが、簡単に奪われたり人族へ横流ししたりするような者に魔王様が貸与されることはまずないと考えて良いかと」
それを聞いたフリューネは力んでいた身体を緩めた。
「それであれば、相当に低い可能性として当面は切って捨てて良さそうですね」
その様子を眺めていたエクスナが感心したように声を上げる。
「へえー、本当に切り替えてますね。いや流石と言いますか」
「あら、今日のここまで一考もしていなかった愚か者だと思われていましたか?」
愛らしく首を傾げるフリューネに「参りました」と笑って頭を下げるエクスナ。『ちなみにいつ頃から?』という野暮な質問は押し殺した。
「というかカゲヤお前、今のは自慢か?」
女性陣全員からもっとも遠い席へ移されたリョウバが半目で問いかける。
「そのような意図はありませんでしたが……。まあ自分はもとから知っていたというのもあります。でなければそもそも使用できませんから」
なんのことか分からず不思議そうにしているフリューネにカゲヤは説明する。
「実を言いますと、我々もそれを使っています。魔王様とラーナルト王族が密かに通じているという点と王城内部への抜け道について、もともとそれを知る方々以外へ情報が流れないようにと」
「私も聞いてはいましたけど見たのも使われたのもあれが初めてでしたねー」とエクスナが言う。「まあえらく貴重な品物ではあると思いますよ。けどそういえば効果を確かめたことないんですよね……。今度ファガン王にでも言ってみましょうか? いや言えないんですけど、私がどんな挙動するのか見てみません?」
「万一を考えると恐ろしすぎるのでやめてください……」
すがりつくような視線のフリューネ。
「あれ? でもそういえば、なんであれってラーナルトのお城に入る寸前で使ったんですか? それこそ出発前に魔王城で使っていれば奪われる心配とか無用だったじゃないですか」
そんなエクスナの問いにカゲヤは、
「もったいなかったので」
と端的に答えた。
「え? ……あっ!? そういうことですか!?」
「なに? どういうことエクスナ」
隣に座るモカの肩にぽんと手を置き、エクスナは答えた。
「つまりですね、白嶺を越えるという一大難関でもしイオリ様とカゲヤ以外が死んでたら、アレ温存できることになってたと、そういうお話ですよ」
「ああ……、うわあ……」
納得し、そして大いに引くモカ。
「そ、それほど貴重な品なのですね……」
苦しいフォローを入れるフリューネ。
「魔王城を立つ前、サーシャ様から教えて頂いたことがあります」あっさりとカゲヤは話を戻した。「自分の判断で仲間に開示して構わないと。――内容は、魔王様がイオリ様に対し、ある情報について蔓延する縛眼をもって口外を禁じられたというものです」
その言葉に、リョウバとエクスナが鋭い視線をカゲヤへ飛ばした。
モカとシュラノは、その封じられた情報について考察を巡らす。
そうした様子を見て、本当にカゲヤしか知らない情報だったのだとフリューネは悟った。
「その内容までは自分も聞かされていません。ですがサーシャ様はこう言っていました。『魔王様は確かにそれを秘密とされました。ですがイオリ様がそれを秘めたまま何か行動されるようであれば、全力で補佐しなさい』と」
「それって、魔王様への背信――とも限らないわけですね」
尋ねかけ、自分で答えを見つけるエクスナ。
「ええ。あくまで口外を禁じられただけなので、イオリ様が独自に動かれることは制約とならないようです。前提として魔王様はその情報をイオリ様には伝えるべきだと判断された。そしておそらくはサーシャ様、バラン様も内容をご存知なのでしょう。そのうえで考えられるのは、例えば魔王様あるいはイオリ様の弱点となるような事、または人族どころか下手な魔族にも渡せない秘宝の在り処、似たものではそもそも自分たちが知るべきではない天上に関わる物事、などでしょうか」
「私たちを処分する秘密の手段なんて可能性もあるんじゃないですか? 人族に捕まったとか正体バレたとかイオリ様に叛意を向けたとか働きが不充分だとか」
流れるように挙げていくエクスナ。
「それですと、イオリ様を補佐せよというサーシャ様のお言葉に沿いません」
「いや、むしろカゲヤが実際に手を下す立場にあるとかめちゃくちゃ簡単に想像できちゃうんですが」
「そこは同感だな」
とリョウバが言い、モカもこっそりと頷いた。
「……ですが、イオリ様の関心が未踏海域にあるという点を踏まえればやはりカゲヤ様の推測、なかでも秘宝や天上に関することという線が考えやすいですね」
紅茶で口を湿らせてフリューネが言う。
「はい。フリューネ様が懸念されている『深海への調査を止めるべきか』という点につきましては、そうした理由も踏まえ自分は否の立場を取らせて頂きます」
「まあ、そうなりますかねえ……」
諦めたようにエクスナが両手を机に投げ出す。
「だが、無策で主の行動に付き従うばかりでは臣下の名折れというものだろう」カゲヤが腕を組む。「深海への調査を目的に据える。それは良い。だがまずはモカとカゲヤの経験をイオリ様にお伝えし、その危険度をご理解頂き、準備を整えるための算段を整えるのが目下の課題ではないのか?」
「それ、要するに時間を稼ごうってことですよね?」
「そうとも言えるな」
エクスナの問いに真面目くさった顔でリョウバは頷く。
「準備と言うと、やはり例の『歩く船』の建造ということになるんでしょうか」
モカが首を傾げ、
「それも重要ですが、さらに前段階がございます」
とフリューネが答えた。
「向かう先はアジフシーム都市連合のさらに東端です。旅程はジルアダム帝国へのそれより長くなるでしょう。ですが帝国の懇親会を経て、各国からお姉さまへの関心は非常に高まっております。この時勢下でまた長期間領土を空けるのは相応の工夫が必要となるでしょう」
「あ、それですけど公的に他国へ視察ってことにはしないほうが良くないですか? 何しろ目的が目的ですし、どんなこと起こるかわかったもんじゃありませんよ」
早くも色々と想像して嫌そうな顔をするエクスナ。
「ああ――、でしたら例の闘技大会を執り行う前にした方が安全ですね。これ以上お姉さまのお姿が知れ渡ると密かな遠征は難しくなります」
「時間を稼ぐという話と早くも相反してきたな……」
頭の後ろで両手を組むリョウバ。
「ええとつまり、現状ただでさえ色々忙しいこの上に、深海調査の準備とお忍び旅行の準備と実際調査する間の領土運営とかの調整が乗っかるわけですね。しかも闘技大会までという期限付きなのに私達としては時間が欲しいと。……あのーフリューネ様、早急に暗部の人材を補充したいのでもっと予算ください」
「そうですね……、新市街にだいぶ投資しているので正直申し上げると財務上は難しいところですが、このままだと誰かが倒れかねません」
その筆頭候補であるフリューネははるか遠くを見据えた視線で決意する。
「非常用としていたステムナ大臣の私財、この際景気よく使ってしまいましょう。暗部だけでなく領土各方面の人材拡充を一気に進めます。このような難関、この先も間違いなく絶対に頻発するでしょうから、私たちには笑顔で受け止められる土壌が必要です。――ええ、あらためて覚悟いたしました」
後に、今代魔王シゼルイシュラがその功績をたたえ労をねぎらうことになる少女は宣言した。
「このレイラ・フリュート特別自治領を、魔王様とお姉さまに捧げるべく人族領土で最も豊かな都市にしてみせましょう!」