断章:この情報量の会議からハブられてる主人公がいるそうな
「それ以降も何度か海での水練は行いましたが、後は似たようなものです。絶死の罠を体現するような生物か、見た時点で撤退を決めるような怪物か。最後まで私はそれらと戦うことは許されず、ひたすらに水中での身のこなしを鍛えるのみでした」
「私の渾身の突っ込みを軽やかに無視してくれやがりますね……」
地を這うような低い声を発するエクスナだが、それでもカゲヤに動じた素振りはなかった。
「ともあれ、カゲヤどころかサーシャ殿すら手こずる怪物という情報は有益だな」
リョウバが場の空気を変えるように声を上げた。
「そうですね。イオリ様はふたりの戦力を特に評価しているようですし」
とモカが同意する。
「つまりはカゲヤ様とモカ様のお話、どちらもお姉さまへの抑止力になりますね。ただしその前に、果たして本当に深海への調査を止めるべきかという判断は必要ですが」
フリューネの発言に感心するようにエクスナが目を丸くした。
「こんだけの話を聞かされてその前提を出してくるのは流石ですね」
「ええ、正直申し上げて私は生涯海に入らないと本日誓いましたが。ただ今回のお話、元を辿ればラントフィグシア様と、レグナストライヴァ様がご降臨なされたあの時ですよね」
それはラーナルト王国をこのメンバーで出立してから最初のビッグイベントだった。
時の女神と熱の女神、2柱同時の降臨という百年単位で見ても稀なる出来事。
……つい先日、ジルアダム帝国でもそれが起きた時点で歴史書には特異点としてこの時代が記されるであろうことは間違いなかった。
「そうですねー。けど正確に言えば、女神様がご降臨された場所にもともと埋まっていたあの紙片ですよね。あの暑苦しい集団が場所を突き止めたやつ」
とエクスナが言う。本来の呼称が長ったらしいこともあって、暑苦しい集団という呼び名が浸透しつつあった。
「はい。『千年王国の崩壊を知る者へ』という一文が書かれた地図でした。結局、未だにその言葉の意味はわかっていないのですが」
フリューネが言う通り、地図の示す場所と描かれていた人物についてはミゼットたちが突き止め、実際に会うこともできた。しかしながらその人物の素性、そして千年王国という言葉の意味することは判明していないのだ。
フリューネたちも独自に調査はしてきたが、成果は上がっていない。
……そして、さらに気になることもあるのだがそれはフリューネの口から、特にイオリがいないこの場では口にしづらいものだった。
が、そんなフリューネを見ていたエクスナがなんでもないことのように口を開く。
「そうなんですよねー、あの地図ってもとからあの地に埋まっていたわけですし、女神様はイオリ様の呼びかけに応えてくださったんですよね。んで、あの地に行ったのは単に獣を狩るために近くの街で聞いた情報をもとにしていたと。つまり神々とあの地図って因果関係ないってことになります。――にしては、イオリ様が妙に重要視してると思いません? なのにその理由については御本人もよくわかっていない……、いえ、なんでしょう、隠してるとかじゃないんでしょうけどあの地図に関して発言されるときにちょっとイオリ様らしくない言動になるというか」
その言葉は、広々とした会議室内によく通った。
誰もが言葉を選ぼうとする中、エクスナはフリューネに語りかける。
「まあそういうわけなんで、魔王様配下の私達もフリューネ様と同じ情報量です、この件については」
「……ありがとうございます、よく、わかりました」
硬くなっていた表情を少し和らげてフリューネは言った。
その様子を見て、
「潮時ですか」
そう静かに言ったのはカゲヤ。
彼もフリューネと、両脇にいるアルテナとターニャを順に眺める。
「フリューネ様」
「……はい」
またも身を固くしてフリューネは答えた。
今日この場では、紅銀女帝のことや魔族領の海域のこと、そしてイオリと地図の関係についてと、踏み込んだ話が多く出ている。
そして口を開いたのは魔族メンバーでも随一の厳格さを誇るカゲヤ。果たして釘を刺されるだけで済むか、重ねての契約術式を刻まれるかと身構える彼女に対して、
「あなたのお立場は『人族領土を視察する魔族への同行者』でしたが、今より正式に『こちら側』へ来て頂きます」
とカゲヤは告げた。
目を見開くフリューネ――だけでなく、他のメンバーも人族魔族関係なく驚愕の表情を浮かべている。一部、シュラノという例外はいるが。
集まる視線を平然と受け止めてカゲヤは続ける。
「この先、諸々の作戦が本格的に稼働します。魔王様からのご命令も密になるでしょうし、既に状況は『人族領土の視察』から次の段階へ進んでおります。当然ながら魔族側の者で秘めるべき情報が増えますが、正直に申し上げてフリューネ様にそれを共有しないことは、もはや任務の支障となるでしょう。あなたはそう判断できるだけの実績を積み上げておられます。加えて、イオリ様の精神衛生上においてもフリューネ様を疎外することにまったく利点を見いだせません。これもまた、あなたの成果です。以上の理由から、我々はフリューネ姫を人族から魔族の側へと、取り込ませて頂きます」
それは、言ってしまえば『なあなあ』にしていたこと。
共に長く旅をし、幾度かの戦闘をくぐり抜け、神の降臨を始めとする希少な経験を経て、ついにはひとつの領土を治める立場になった同士。その旗頭であるイオリの行動に沿うことを目的としてきたこれまでの道程は、お互いの立場の境界を次第に曖昧にしていた。
それは良く言えば信頼であり、悪く言えば油断である。
カゲヤの発言は、それを俎上に上げるものだった。
――とは言え、フリューネとアルテナとターニャ、3人はラーナルト王国を立つときに契約術式を刻んでいる。内容は大雑把に言えばイオリたち魔族の視察団を裏切る行動に出ると心臓が潰れるというもの。
そして仮にそれを覚悟して一瞬だけでも何らかの行動に出たとしても、ラーナルトの王族は魔王と密約を交わしており、ここバストアク王国やジルアダム帝国、ウォルハナム公国もイオリとの交流を深めている。この状況下でフリューネが刹那の反旗を翻したとて効果は望めないだろうし、イオリ――レイラ姫の名が人族に知れ渡るほどに、ここレイラ・フリューネ特別自治領に名を連ねるフリューネの立場は周囲から『レイラ姫の一派』と認識されてゆく。
もしもこの先イオリたちの正体が人族にバレた時には、フリューネも確実にその仲間だと判断されるだろう。
つまりカゲヤが明言せずとも、フリューネたちは既に魔族側に身を置くしかない状況だった。
そうしたことは当然承知しているカゲヤは、相変わらず無表情に言葉を継ぐ。
「ですがフリューネ様もラーナルト王族の矜持として私ごときの言葉ひとつでお立場を変えることはできないでしょうから、ひとつ約定を」そこで彼は珍しく拳を握りしめ胸に当てた。「この先、人族との戦線に紅銀女帝が再び姿を見せたときには、私が倒します」
――それは、例えるならば人ひとりで巨大地震を止める、あるいは素手で一国を更地にする――そうした類の、言わば妄言とされるものだった。
けれどカゲヤの口調には、普段の彼らしからぬ気負いや緊張だけでなく、幾ばくかの自負が感じられた。
「その戦果がフリューネ様の差配によるものだとなれば、ラーナルト王国のみならず人族全土においても有効な手札となるでしょう。あなたが人族を裏切ることに対して負われるご心労をそれなりに軽くして差し上げられるかと」
あくまで対等な状況から交渉する体裁を守るカゲヤだが、既に歴戦の政治家に比肩する目を持つフリューネが彼の不器用な気遣いを察するのは容易い。
故に彼女は心からの笑顔で返す。
「誠に感謝いたします、カゲヤ様。では本日これより、私はあらためて魔王様へ恭順いたします。――ですが許されるならば、我が忠誠はお姉さま、イオリ様へ捧げさせて頂ければ幸いに存じます」
カゲヤは短く頷いた。
――類まれなる動体視力を持つイオリがここにいたら『あれ、今カゲヤものすごい一瞬だけ微笑んだよね!?』と騒いだことだろう。
「その点はご自由にどうぞ。イオリ様にどう認めて頂くかは、既にフリューネ様の方がご存知かと思います」
「はい。不遜ながらそれについては一抹の自信がございます」
花開くように微笑むフリューネの横、ターニャは普段の平静な面差しを崩さず、アルテナは大いに戸惑っている。
そんな彼女たちをフリューネは順に見つめる。
「ターニャ、引き続き苦労をかけますが、あなたのすべきことは今までと変わりません」
「承知しております、姫様」
深々と一礼するターニャに揺るぎはなく、その有り様にカゲヤは同じ侍従として密かに感嘆する。
「アルテナ、思うところはあるでしょうから命令します。ついてきなさい。絶対にあなたが必要です」
極上の笑みでそう告げるフリューネに、耳を赤くし口元を引き締め、何かを吹っ切った様子で、
「もちろん、お供いたします」
と応えるアルテナ。
王族とは言え少女らしからぬ器の片鱗を見せる様子に暗部の長として見習おうと奮起し、同時に今見せられた関係性に若干の興奮を隠すエクスナ。
そして、
「おいちょっと待てカゲヤ、前から言いたかったがお前、たまに平然と美味しい立場を持っていってるのはどういうわけだ。なぜ私に譲らん。たしかにフリューネ姫を今すぐどうこうということはないが10年、いや8年、なんならもうちょっと――」
たわけた発言で場の空気を一変させたリョウバに約4名の鉄拳が見舞われた。
普通に殴ったカゲヤ、エクスナ、モカ、そしてフリューネの他に、抜刀しかけたアルテナをターニャが抑えた